2007/07/16(月)13:48
サイパン旅行記 3日目(7/10)
相変わらず台風はサイパン近辺にいるため天気が回復しません。日本の台風と違って雨は降るもののちょっとすると止んでしまうので、傘の心配は要りませんでした。
部屋番号とドアの鍵です。以前と変更になってますね。
カードキーと有料テレビの案内です。マークと英文はFiestaと書いてあるのに、日本語は「第一ホテルサイパンビーチ」って書いてあって何処か抜けている感じです。
今日はツアーも入れてないので、朝食後また散歩に出ました。この棟の7階です。早朝という事もあってプールには誰も入ってません。
海には米軍の艦船が沖合いに3隻停泊しています。いつもと変わらぬ風景ですね。
隣にあるハイアットリージェンシーです。
一度部屋に戻ってから、アメリカンメモリアルパークに行きました。
星条旗が風に揺れています。メモリアルパークからガラパン方向を見た画像が右です。
ミクロネシアで戦死した、アメリカ海軍・陸軍・海兵隊員の名前が刻まれています。
マリアナ記念碑
記念碑には「自分の運命は、自分で決めることができない。」「このマリアナ記念碑は、第2次世界大戦中命を落とされたチャモロ人とカロリニア人の方々に敬意を表すものです。彼らの苦境と犠牲は、永遠に記憶されるでしょう。」
ビジターセンターです。サイパン戦から日本本土空襲、終戦までを写真と文章で解説しています。館内の写真撮影はOKです。
ビジターセンター前に地球を模した半円状の展示物が有ります。
館内に入ると直ぐにある、砂糖キビを運んでいる写真と大砲を運んでいる日本兵が目に飛込んで来ました。
無限資源の説明です。説明を読むと米軍の物量に圧倒されます。
日本軍と米軍の物資のレプリカです。
戦場を再現したものと、何の飛行機のエンジンか説明は有りませんでした。
日本軍と米軍のライフルを展示しています。日本軍のライフルの脇は恩賜の短剣?右の画像は日本兵の遺品です。家族に返還できないのでしょうか。
サイパン占領、バンザイ突撃(玉砕)によって組織的抵抗はなくなったもののゲリラ戦はあったようです。日米双方で43000名が戦死したそうです。
捕虜収容所で作られた物です。材料は空薬莢みたいです。
午後から今回のサイパンで一番楽しみにしていたカートです。日本のレンタルカートと比べてパワー感は有りました。初めてカートに乗る人は全開にすると怖いと感じるかもしれません。目標の1分フラットには届きませんでした。コースは若干ウエット気味でしたが、1分3秒台は出ました。日本からグローブとフェイスマスクを持参、嫁はレーシングシューズまで持って行きました。
マリアナシーサイドサーキット
スタッフの方と記念撮影
サイパンの行政の中心部シビックセンター
ジョーテンショッピングセンターの隣、サイパンワールドリゾートの前に有ります。
ガラパンで建築中の建物です。DFS隣です。
サイパンって建築中の物が中々完成しないけど、この建物はいつ完成するのかな。
ACE PLAZAって書いて有りました。
サイパン旅行記 4日目(7/11)帰国日 前編に続く