「産む」と「産ませてもらう」の違い
某育児サイトで、こんな言葉を見かけました。「よってたかって、産ませてもらえるから、大丈夫」「出産の痛みが不安で仕方ありません」というスレ主さんにたいして、ある人がつけた、レスのなかの言葉だったんですけどね。不安で、という人に対してのレスですから、励ましの意味があるんでしょう。でも、そういう意味をくみ取ったとしても、・・・産ませてもらえる、って、どうなんでしょう?なんだか、とっても違和感のある言葉です。妊婦は、ただ待っていればいいってこと?がんばらなくても、まわりでがんばってくれるからいいってこと?何があっても、自分はカヤの外で、医療者のなすがままでいいってこと?自分は何も考えなくても、つらいこと、めんどくさいことは、他の人が考えて答えを出してくれるから、それにしたがっていればいいってこと?・・・まぁ、多少大げさに書きましたが。でもね、そういう「主体性のないお産」をしていていいのかな?お産の主役は、ママと赤ちゃんであるはずなのに、最近のお産って、その主役の2人が、置いてきぼりみたいになってないかな。「連休になるから、今週中に産んでしまいましょう」「子宮口が開かないから、促進剤を使いましょう」「お産が進まないので、人工破膜しましょう」こんな事は、日常茶飯事的に言われていることだと思います。もちろん、そうでないドクターもいるでしょうけど。でも、ちょっとまって。ろくな説明も受けないまま、そこでうなずいちゃダメだと思う。自分はどうやって産みたいのか、赤ちゃんの状態はどうなのか、自分の体力はどうか、パパはどう思うか・・・いろんなこと考えた上で、自分で結論を出さなきゃダメだと思う。疑問に思ったら、流されないでちょっと立ち止まって、よく考えて。本当にそれでいいのかどうか。出産は、ママと赤ちゃんのもの。だから、主役はドクターじゃないんだよ。医療機関で「産ませてもらう」んじゃない、自分で「産む」の。痛くて怖いのは当たり前。だって、人間がこの世に生まれてくるということは、それだけ大変なことなんだってこと、身をもって体験できる、数少ない貴重な瞬間なのに、主役のママがカヤの外からの目線で見てたら、ダメでしょ。今までそうやって、あまりにも主体性のないお産をしてきた結果が、昨今の「産科医不足」の一端なんじゃないのかな?トラブルで入院を余儀なくされたり、帝王切開の適応が増えたり、普通分娩でも、難産だったり出血が多かったり。そりゃ、ドクターだって大変だよね。徹底的に管理したくもなるでしょう。あぁ、悪循環。病院で助かる命だってたくさんあるのはわかってる。でも医療に頼らなくても、生まれてくる命があって、生み出す力は持っているはず。あまりにも医療に頼りすぎて、それがなければ産めないって誤解している人、多いんじゃないかな?もっと前向きに、陣痛の痛みもとらえることができたら、それに耐えられるだけの体力をつけるとか、貧血の改善を図るとか、自分でなんとかしようって気になるでしょ。「産ませてもらう」なら、自己管理なんて適当でも、何とかしてもらえるもんね。そりゃ、ママにとったら楽ですわねぇ。でもそれじゃダメなんだと思う。自分をのこと、信じてお産に臨んでほしいな。何かしなければ生まれてこれないって、ホントはそう多くないはず。産ませてもらうんじゃなく、自分で産んでほしい。それができるはずだから。自分で勉強して、自分で納得したお産ができたら、きっとその後の育児にも、すんなり入っていけると思うな。「自分でがんばった!」って、自信を持てると思うんだよね。だからきっと、へこたれたりしないで、やっていけると思うよ。大げさ?でも、そう思うの。3人産んだ今だから、こういうことがわかってきたんだけど。子どもが生まれてしまえば、「産ませてもらう」「産む」の違いはわからないだろうけど、ママの中には、確かに違うものが存在すると思うんだよね。