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カテゴリ:特集
コミュニケーションの問題 アスペルガー症候群の人の話し方はちょっと変わっています。話すことができないわけではありません。おしゃべりなアスペルガー症候群の子どもも沢山います。でも話し方が少し変わっています。一言でいえば会話のやり取りが長続きしないのです。 話し方が回りくどい、曖昧が苦手、細かいところにこだわる アスペルガー症候群の子どもは話し方がとても回りくどいことがあります。「今日はどうやってここに来ましたか?」の質問に対して「朝8時3分に家を出ました。それから市営バスの10番に、バス停から乗りました。ちなみにそのバスは低床型の青いバスでした。10番のバスを__駅前でおりて、そこから__線の準急に乗りました。×駅で急行に乗り換えて__駅の3番線の後方のホームでおりて云々」といった具合です。どれが大事な情報でどれが枝葉末節かうまく選べないのが一つの理由と思われます。あまりくどくど言われると、言われる方はからかわれているのかと思いがちですが、そうではなく本人は一生懸命なのです。 曖昧な聞き方をされると意味がつかめないようです。久しぶりにあったので「最近どう?」と何気なく聞くと「どうって、何のことですか?元気かという意味ですか?勉強のことですか?友人関係のことですか、それとも家族との関係を聞いているのですか?」などと細かく聞き返されることがあります。その場で何が話題になっているか、言外の意味を汲み取ることが苦手なのでどうとでもとれる曖昧な質問には答えることが難しいのです。問いかけはなるべく具体的にする必要があります。 大人びた難しい言葉、場にそぐわないほどの丁寧語を使う 子どもなのに「ちなみに」「ところで」「逆にいえば」「おそらくは」などといった大人びた言葉を使うことがあります。今日の昼ごはんは何を食べましたか?と聞かれて「米飯と魚肉それと緑黄色野菜」と答えたり、手伝って欲しいという意味で「援助が必要です」と言う子どももいました。クラスで配布されたプリントを集めるときに「没収します」と言うなど間違った言葉の使い方もみられます。家族や同級生に対しても「ですます調」の丁寧語や文章体で話したり、テレビのアナウンサーのように正確すぎる話し方をすることもあります。丁寧語の中に不自然なほど乱暴な若者言葉が交じりこむ小学生もいました。兄の影響で乱暴な言葉を覚えたのですが、全体は丁寧語でしゃべるので非常な違和感があります。本人はあまり違和感を感じていないのです。基本的にアスペルガー症候群の子どもは友人同士の会話よりも、テレビや本などから会話を学ぶことの方が得意のようです。そのために、こういった現象が生じるのだと考えられます。辞典で覚えた難しい熟語やことわざを不自然なほど頻繁に使うこともあります。「やめて」という意味で「それは言語道断だから断固拒否します」とか「せいてはことを仕損ずると言いますから、そんなことをしたら弱り目にたたり目です」といった具合です。男の子なのに女の子のようなしゃべり方をしてからかわれる子どももいます。先生に指されて答えられず「あら、私こまっちゃったわ」といったようにです。母親と一緒にいることが多いため、母の言い方をそのまま模倣しているのかもしれません。大抵の子どもは男女の言葉の相違を理解してそれぞれの性別にあった言葉使いをするのですが、アスペルガー症候群の子どもはそういった使い分けが苦手です。 一方的でわかりにくい話し方 アスペルガー症候群の人は自分の関心があることを、相手の興味におかまいなしに一方的に話す傾向があります。自分の関心のあること(機関車やコレクションなどの趣味のこと)で頭が一杯だったり、関心のあることは他の人より知識が豊富なので話しやすい、相手の反応をモニターせず相手が迷惑そうな表情をしていても気がつかないことなどが関係しているのでしょう。話が飛びやすいのもアスペルガー症候群の人の話し方の特徴ですが、これも相手に理解しやすいようにという配慮が苦手なために、自分の関心の赴くままに話題が変わっていくのかもしれません。話し相手の予備知識を考慮していないため唐突な印象を受けがちです。 言外の意味を汲み取ることが苦手 言葉の裏の意味を理解することが難しいことが多いです。家に電話がかかってきて「お母さんいますか?」と聞かれ「はい、います」と答えます。そのままだったので相手が「お母さんを電話に出してください」と言うと「お母さんはいますが、今家にはいません」と答えました。最初の質問に対して子どもは母がいるかどうかについて答えたつもりなのです。慣用表現も混乱の一因になります。「先生に叱られてお母さんは耳が痛かった」と言われて、親切にも鎮痛剤を持ってきてくれたりします。「今日のご飯はお鍋にするね」と伝えると、あわてて「スパゲティがいい」と言った子どももいます。その子は実際に料理が出されるとおいしそうに食べて、食後に「これが鍋を食べたっていうことなの?」と確認をしました。 皮肉やほのめかしの理解も難しいようです。よく学校の先生が「そんなことしたら幼稚園の子だよ」と注意しますが、本当に幼稚園にいくのだと思って不安になったり、幼稚園にいけるんだと思って喜んでしまったりします。「そんな子はうちの子じゃありません」と叱られて戸籍を調べようとした子どももいます。困った行動をしているときに「それはちょっとね・・・」と言われて、ちょっとねの後の言葉を延々と待っていたりしがちです。 言葉の間違った使い方 アスペルガー症候群の子どもは一見正しく話しているようにみえても、よく聞くと微妙な文法的に間違った話し方をすることがあります。助詞がところどころ抜けたり不正確な使い方だったり、受身文で混乱したり、「そこ、ここ」「もらう、あげる」「いく、くる」など視点の違いで異なった言葉を使う表現を間違えたりしがちです。あるアスペルガー症候群の子どもは良いことを聞いても悪いことを聞いても「なあんだ」とつまらなそうな表情で受け答えをしていました。「なあんだ」という相槌はどのような場合でも使える表現だと覚え間違いしていたようです。 思考を言葉に出す 小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがあります。また相手の言ったことを小声で繰り返した後に返事をする人もいます。 分かりにくい話し方,訥々とした話し方,駄洒落を好む 会話の内容よりも「音声」の方に関心があって、やたらと語呂合わせの駄洒落をいう人もいます。 しゃべるほどには理解していない アスペルガー症候群の子どもはよくしゃべるし、難しい言葉も知っているので、言葉を理解する能力も高いのだろうと思われがちです。でも、話すことより人の話を理解することの方が苦手な子どもも多いのです。子どもの理解力の範囲内で話しかけるように注意しないと、本当はよくわかっていないのにわかったつもりになってしまう子どもがいます。言葉そのものの理解が乏しいことも多いのですが、相手の話以外のことに気がそれてしまい、話の筋が追えないこともあります。注意が相手の言葉よりも、相手の身に付けているアクセサリーとか相手の髪型などといった、その場では本質的でないことに気がとらわれたりしがちなことも一因です。また、相手の話が「見えなく」なったときに聞きなおしたり、さりげなく確認したりといった「会話の技術」も未熟なことが多いのです。 ジェスチャーや表情、距離のとり方などの言葉以外のコミュニケーションの問題 これまで主に言葉を使ったコミュニケーションの特徴について述べました。でもコミュニケーションは言葉だけで行うわけではありません。何気ない仕草やジェスチャー、表情、視線の向け方、相手との距離など言葉以外の要素もコミュニケーションに重要な役割を果たします。このような言語以外のコミュニケーションを非言語性コミュニケーションといいますが、アスペルガー症候群の人は非言語性のコミュニケーションも独特のことが多いのです。 私たちはしゃべりながら自然に体を使ってジェスチャーでも表現しています。幼児期や小学生くらいの子どもで言葉でコミュニケーションできるようになると、言葉だけでコミュニケーションをはかり、自然な体の動きがみられないことがあります。また視線の合い方も独特で、相手の顔をみないで話したり、逆に相手の顔をしげしげと見つめすぎて奇異に思われたりします。思春期以降になるとジェスチャーが大げさすぎて目立ってしまうこともあります。ある若い女性は質問に答えた後で、「ウッフ」とまるで字を読むかのように声を出して笑った後で首を横に傾げます。自然に出ると可愛らしい振る舞いなのですが、あまりに芝居じみてとってつけたようなので不自然に感じてしまいます。またある青年は家で料理を作る時の様子を聞かれて、「パンがこげないようにトースターを見張ってます」と言いながら、強い日差しの中で遠くを見るように、てのひらを目の上にかざしました。思わず笑ってしまったのですが、なにがおかしいのか本人はよくわからない様子でした。 コミュニケーションというキャッチボール 人と人とが会話をする様子は、言葉や仕草、視線などをボールにみたて、ボールを受け取っては投げるキャッチボールの場面にたとえられます。アスペルガー症候群の子どもはコミュニケーションのキャッチボールが苦手です。言葉はあるので投げることも受けることもできなくはないのですが、相手とキャッチボールを楽しむことが苦手なのです。キャッチボールができない時に、周囲が「ふざけている」「やる気がない」とか、「協調性がない」といった視点で判断するのは全く不適切です。相手の意図を推測したり、相手の反応に応じてこちらの動きを調節していくといったコミュニケーション能力の障害なのです。もともとコミュニケーションが苦手なのですから、緊張した情況だとふだんのようにはしゃべれなくなったり、逆に自分の関心のある分野の話題を饒舌に話したりします。このような場合もおおもとにあるのはコミュニケーションの障害なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.09 01:55:09
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