本を手に入れるなら!田原 総一郎さんって日曜のテレビ番組に出ている方とか、 よく政治バトル対談に出ている方としか存じ上げなくて。 先日、対談を見ていたらこの歳になって改めて思う事・・・ に ふお~ん! なるほど! 日本人と外国人と数多くの対談の中で 日本人は、1+1=2 であって決して 3や4にはならない。 外国人はよく論理的で客観的と言われていて、 日本人は 情緒的で主観的と思われているが、実は逆なのかも。 たとえば、偏差値が50の自分がいて相手が70なら 日本人は白旗を振ってしまう。 つまり、自分のキャリアに終止符をうって自分の殻から何時までも抜け出せないでいるか、殻に閉じこもってしまう。 ゆえになんかしら、自分に自身がないのであるが、外国人はそれを3や4にしてしまう。 外国人は、努力をし、やり方を工夫すれば勝てると考えられるのが 暗黙知の強み で欧米人がしたたかで強いのはそのせいなんだと思う。 その背景には、神の存在があると思う。 つまり、どんな時も神様が自分のおこないを見ているという感覚。 一生懸命して報われたと実感できた時、人は大きく変われる事が出来ると思う。 客観的根拠がなくてもそう信じられる力こそが自分自身を変え、 人生を大きく変える原動力になると思う。 努力は必ず報われると君の努力は誰かが見ていていつか君の為になると 1+1=3や4になるのが人生で、その体験を積み重ね事が成長することなんだとこの歳になって改めて強く思うんです。 と~~~~ほお~ん、でしょ!!! 暗黙知 tacit knowledge / あんもくち 参照抜粋 “知識”のうち、勘や直観、個人的洞察、経験に基づくノウハウのことで、言語・数式・図表で表現できない主観的・身体的な知のこと。 ナレッジマネジメントを一躍有名にした野中郁次郎氏が、その実践理論であるSECIモデルの中で、“暗黙知と形式知の相互変換”をうたったことから、広く知られるようになった。 オリジナルはハンガリーの物理学者・哲学者のマイケル・ポラニー(Michael Polanyi/1891-1976)氏が、著書「The tacit dimension」(1966年)の中で提唱した概念。 例えば、ある人間の顔が識別できたとしても、その顔の他人に詳細を語ることができず、自転車に乗ることができても、どのようにすれば乗れるようになるかを語ることは困難だ。また、ある言語で会話ができたとしてもその言語の文法を正確・詳細に説明できるとは限らない。 こうした「認識」「身体的技術」「天賦の才」などにかかわるスキルは、ペダルへの足の乗せ方、体重の移動の仕方などの細目的な要素によって構成されるが、その細目をいくら説明しても語ったことにはならない。スキルを習得している人間は細目ではない何事かを“知っている”はずだが、それは“記述不能な知識”、すなわち暗黙知なのである。 ポラニーにおける暗黙知はこのようにもともと詳細記述・表出化不可能なものとされており、野中理論における暗黙知とはかなり異なった概念といえる。 参考図書:「暗黙知の次元―言語から非言語へ」マイケル・ポラニー著/佐藤敬三訳/紀伊国屋書店/1980年(「tacit dimension」の邦訳) 参考図書:「知識創造企業」野中郁次郎、竹内弘高著/梅本勝博訳/東洋経済新報社/1996年(「The Knowledge-Creating Company」の邦訳) ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|