2004/08/16(月)14:49
原子力発電所への思い
子供のころ数年間毎年、某原子力発電所の近くの海岸に海水浴に行った。水晶浜という名の砂浜の目の前の半島の先端に円筒形の建物があって、あの中で原子力発電をしていると思うと、人間ってすごいなぁと思っていた。
何度かPR館にも行ったし発電所の見学もしたことがあった。
その頃の楽しい思い出とともに、原子力発電所は私の記憶に留まった。
大人になり、ふと、疑問をもった。
チェルノブイリ発電所の大規模な事故、スリーマイル島発電所の事故。東海村(だったか?)での被曝事故。
美浜原発での蒸気漏れでの11人死傷の事故。
彼らの体が回復するように、家族の、ご遺族の心が癒されるように。
ショックだった。
安全を売り物にしていた発電所で続々と事故がおきる。
いい面か知らなかった、知らされていなかったのだと感じた。
原料コストが安いというパンフレットには、放射性廃棄物の処理費用のことなんて書いていなかった。
資源の乏しい日本に適した発電という文面に放射性廃棄物の処理方法なんて上っ面しか書いていなかった。コンクリートで固めて地下に埋めれば安全と。
それが某国に渡り、結果として劣化ウラン弾の原料になっているだなんて。もちろん、そんなことを電力会社は認めているわけではない。某国に運んだ後は知りませんって。
原子炉の寿命はそろそろ限界かも。
そもそも、目に見えないほどの小さな原子に秘められた膨大なエネルギーを人間が制御しきれるものなのだろうか。驕りではないだろうか。
安全というのは、電力会社が自分に暗示をかけていたに過ぎなかったのか。
これからは、新たなエネルギー源開発より、エネルギーの使用自体を減らしていかなくてはならないことは明らかなのに。
石油も天然ガスも有限だ。
と、行き着く先は各自の意志による、できる範囲での省エネをしよう、ということになる。
自分の身体のエネルギーを、燃やしてみようか。