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カテゴリ:心のうち
エペソ人への手紙4章7-8、11-15節より
メッセージのテーマは「奉仕の働きをする」でしたが、その中で"霊的な賜物"という部分が私の心に響いたので、思い巡らせながら記そうと思います。 「賜物」って、能力や才能とはちょっと違う。 自分にはどんな賜物が与えられているのか、自分には何ができるのか、わからないことがよくあります。 じゃ、賜物って何? そこで2つの問いかけをしてみます。 ・人に強いられているわけでもないのにせずには居れない、意識せずにしている、非常に惹きつけられる、やっている方がやらないでいるより心が安らぐようなことは何ですか? ・どんなことをした時に、誰かに「恵まれた」とか「祝福された」とか言われますか?周りの人が自分を通して祝福を受けるのはどんなことですか? これらの事をする時に、必ず喜びがあるとは限りません。あるかもしれないしないかもしれない。 この2つの質問は、自分の賜物が何であるかを認識するのに役立つものです。 賜物は、人に祝福をもたらすもの。 これは大きなポイントです。 自分が祝福を得るためのものではない。(結果として与えられることはあるでしょうけど) 賜物という言葉は、私自身もよくわからないところがあり、自分自身についても"これだ"と言えるものがあるわけではないのです。 でも、上の2つの問いかけを自分にしてみる時に、これかなぁ、と思うものが見つかるように思いました。それは決して才能とか能力じゃない。そして、いつも楽しくできるわけじゃない。 それでも、今与えられているいくつかの役割については、そうなのかも、と思える気がします。確信があるわけじゃないのです。 でも、これが賜物だという確信があるかどうかは、あまり関係ないように思います。 私に求められている役割が何であるか。 メッセージでは具体的に、実に様々な賜物の例が出されました。 困っている人を見ると放っておけない、人が大好きで楽しくお喋りする、賛美、人の話を聴いてカウンセリングする、平和をつくる・・・。 言われてみると「あ~確かにそれも賜物と言えるんだなぁ。」と思えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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