揺れてる、揺れてる・・・
朝から夜まで、一日中ゆれています。地震酔いにかかっているようで、いつでも揺れている感じです。ひと月前の 3月11日は、横浜、関内の産業振興センターの6階に居りました。講習会が始まって30分ほど過ぎたころでしょうか、揺れてる揺れてる・・講師のK先生も「えっ!」って顔したけど、とにかく、いつにない揺れ方と時間も長かった・・・3分半ですって?何度も繰り返す揺れの合間に、窓から下やほかのビルを眺めてみたり揺れが激しくなると、幅2mはある、柱につかまったりいろいろしてました。事務局の女性が「きゃ~」って、本気で怖がっているし弊社事務員のT美ちゃんも「怖い~」って泣きそうだし両手に、彼女たちをを抱えながら「私がいるから絶対死なないから」なんて屁理屈云って、慰めてました。後から、講習仲間に「K社長の一言は妙に説得力があったよ」なんて褒められましたけど・・産業振興センターのビルは屋上のスプリンクラーのタンク(2t)が破裂し階段室とエレベーターが水浸しになってました。11階の天井が落ち、一時は階段室を滝のように水が流れていました。しばらくすると。センターの職員が「避難して下さい、1階に下りてください」と云いましてビルから追い出されることになりました。階段で、下へ降りましたが、行くところもなし公衆電話の列に並び、T美ちゃんの自宅へ連絡をとらせ私も家の電話へかけてみたけれど、ひかり電話のせいか停電のせいか、つながらない。その時、センター内の異業種の会の仲間が「Kさん、こっちおいで」と手招きしてくれて1階の喫茶店の隅に陣取る事が出来ました。熱いお茶を飲めば、落ち着いてその後の余震に揺られながらも、帰宅方法を考えることができた。ちょうど、弟が横浜の得意先に2時半の約束で来ていたことを思い出したのだ。かけてみると、神様の思し召しか、御慈悲か、不思議とつながった。「もう、青葉I.Cまで来ちゃっているから、戻るの嫌だよ」冷たい返事に、「T美ちゃんがいるから、どうしても来て」と頼み込む。待つこと2時間、普段なら20分もあれば来れるところを、そんな時間をかけて来てくれた。「迎えに行かなくちゃ、何云われるかわかんないからな」と文句云われながらも車中の人になってしまえば極楽でごじゃります。その後、異業種の仲間は、横浜市内の二人は、深夜に帰宅。座間含め、お泊り組はセンター内で一夜を過ごし、早朝電車帰宅。事務局も早朝帰宅。市内在住のY社長は、歩いてでも帰れたでしょうに私含め、みんなのことを思って、とどまってくれたのだと思う。今回の非常時は、知らない土地でも、顔見知りの数人と過ごせたのでとても、心強かった。幸い帰宅できたけど、センターにお泊りになっても、心強かったと思う。本当に、皆さんに感謝です。ちなみに我がダーリンは4時に社員を見送り、「横浜まで迎えに行こう」とクルマを出したそうです。しかし、家の前から渋滞で、2時間かかって、厚木までしか行かれなかったそうです。そこで、私の「弟と合流、車で帰る」のメールを受け取り帰宅するのに、また2時間かかったそうです。ま、その真心は充分、感じ取りましたので・・・ソフトバンクはつながりにくく、ドコモは比較的つながりやすかったです。あれから」、一か月が過ぎ計画停電も、それほどの痛手には至らずお陰様で、売り上げにも今のところは影響ないけれど食品業界、飲食業、観光業等、不況の上塗りで大変なことになっている。明日からも、もっとがんばらなくちゃ。