歌と共に・・・
前回に続き歌絡みのネタで。以前、「私は自分の思いや考えとは関係なく思い浮かんだ歌がそのときの状況とピッタリきたり示唆を受ける内容だったりして歌によって慰められたり笑わせられたりビックリすることが よくあったりする。」と書いた事がある。もう一年近くも前の事だが。最近はこうしたインスピレーションが鈍ってしまい、そういう場面を楽しむ機会が減ってしまったようで、少々寂しい気もしている。これはまだそうした感覚があった頃の話である。・・・韓国と云う国は信仰熱心な人の多い国である。お寺は山中に多いがキリスト教会は街のそこらじゅうにある。そして道端で伝道活動も一生懸命にやっている。時には訪問もして来る。それはそれは熱心に・・・私が韓国に来て間もない頃だった。近くに住むオバサンが、私を自分の教会に連れて行こうと熱心に勧誘してきた。自分の教会のサモ(師母;牧師の夫人)は面倒見がいいので外国で生活するにも助けになるから・・・とそれこそ熱烈な勧誘であった。私も今でこそ大概の舌客にも立ち向かえる程の実力(?)になったが当時は韓国語が殆ど出来なかったし早く生活に慣れるためにはそれもいいかなぁ、と軽い気持ちで応じてそのサモという人物に会ってみることにした。会うとそのサモは私を見るなり、交通事故に気をつけたほうがいいと言ってきた。4歳の頃に無傷ではあったが一度交通事故に遭っている私はその言葉を重く受け止めそこに通うことにした。日曜ごとに教会で礼拝がある以外にもよく集まったり行事を行ったりしていた。最初のうちは熱心に指導していたし信徒たちも復興して数年の間はよい雰囲気だったのだが徐々に問題が生じてきた。そのサモという人物は信者にアルバイトをさせたり貢がせたりなどして果てには高級マンションを購入するまでになったのだ。やがて他の信者の指摘でこれが浮き彫りとなり結局その教会の牧師とサモは追いやられることとなった。しかし最後の最後まで厚かましく粘っていた。私はこうした出来事に少々人間不信になってしまった。牧師とサモは代わったものの、以来、教会というものに行くことはなくなった。行かなくなり数日たった時のことだ。なぜか、三原順子(当時)の「ド・ラ・ム」が思い浮かんだ。この曲は出だしの部分は歌詞をうろ覚えだったのだがメロディーは知っていたのでメロディーを追いながら鼻歌のように歌ってみた。♪~♪~♪~・・・サビの部分に来た。 ♪性悪オンナの 最後の悪あ・が・きだーとぉ~ 私は思わず笑ってしまった。しかし、これで終わらなかった。 ♪もう 私たち これで終わりね・・・このサモの状況に余りにもピッタリと来る歌詞の歌だったので、この湧き上がるインスピレーションに自分ながら驚嘆し、感動してしまった。この感動を伝えたくとも伝えられる人も近くにいなかったし、独りでウケていたのだった。もう6,7年も前の出来事である。・・・凄いと思いません?ねっ?ねっ?・・・ここ最近またねじけた気持ちでいたのですが、浮き沈みの激しい私です。ではまた記事を書く気になれるときまで・・・