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cinema研究所

キャロル・ロンバート

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                              キャロル・ロンバード Carole Lombard  
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                             carole 



                              本名■Jane Alice Peters
                              生年 ■ 1908/10/6
                              出身地 ■ アメリカ/インディアナ州
                              没年 ■ 1942/1/216
                              代表作 ■『特急二十世紀』(34)
                                    『襤褸と宝石』(36)
                                    『生きるべきか死ぬべきか』(41)

 

 7歳の時に両親が離婚し、母親と共にロサンゼルスに移り、隣人のアラン・ドワン監督に誘われて21年にサイレント映画『陰陽の人』で映画デビューする。25年にスクリーン・テストを受け、見事合格してフォックス社と5年契約を交すも、翌年自動車事故にあい左の頬に傷を負う。傷は整形手術によって完治するが、フォックスは彼女との契約を取り消す。27年ロンバードはマックス・セネットのスタジオに移って数本の短編コメディ映画に出演してコメディエンヌとしての才能を開花させる。

30年にはロンバードはパラマウント社と契約を交わし、31年には『街の紳士』での共演がきっかけとってウィリアム・パウェルと結婚するが、長くは続かず2年後に二人は離婚する。

32年には『心の青空』でクラーク・ゲイブルと共演し、39年に結婚する。ロンバードは週3万5千ドルを稼ぐパラマウント社が抱える大スターの一人として活躍するが、34年の『特急二十世紀』に出演する。36年には『襤褸と宝石』でコメディのセンスを遺憾なく発揮して、知性溢れる美しさと独自のユーモアのセンスを持ったコメディエンヌとして活躍する。

41年、『生きるべきか死ぬべきか』の撮影終了後、戦時国債公募キャンペーンからの帰り、彼女が乗った飛行機はラスベガス郊外のテーブル・ロック・マウンテンに墜落。生存者はなく、ロンバートは33歳の若さでこの世を去った。ゲイブルはそのあまりにも突然の別れに悲嘆にくれる日々を過ごしたという(この二人の恋物語は73年、「面影」として映画化されるほど有名な話)。

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スクリューボールコメディの女王と呼ばれる。スクリューボールの出演も多い。黙っていれば雰囲気もある美女の中の美女なのに黙らずじっとしていないのが、キャロル・ロンバードの良いところ。役柄だけではなく、実生活にもおいても人を驚かせるようなイタズラをするのが大好きだったらしい。
例えば、パーティーにサイレンを鳴らした救急車で来てみたりだとか。(未確認情報)

 かせぎは夫・クラーク・ゲイブルより良かったとか。いずれ、クラーク・ゲイブルも紹介していきたいと思う。この二人の結婚生活は、ハリウッド史上の悲劇と言われている。管理人はつい2ヶ月ほど前、二人の伝記映画「面影」を観た。まあ、見る前から分かっていたが、物真似みたいな感じであまり好きじゃなかったです。

残念なのは、彼女のスクリュボールコメディは日本未輸入のものが多いことである。彼女の出演する作品が、あまりのもアメリカ的すぎるからなのではないか?(他の欧州出身の監督エルンスト・ルビッチの作品などと違って)、ドタバタしているといのはアメリカ的なのではないか?

おそらく、「特急20世紀」「襤褸と宝石」「生きるべきか死ぬべきか」はレンタルショップに置いてあるだろうが、ほかのものに関してははっきりしたことはいえない。

それゆえ、彼女は日本ではあまり知名度がない。アメリカでは何冊か伝記を見かけたが、こっちではおそらく1冊も出ていないだろう、と思われる。

もうすこし、彼女については調べたいと思うし、作品ももっと見たい。


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