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27日の河北新報は1面すべてを使った牧田の記事が載っていました。
地元紙が表現した牧田の存在の大きさ。 この間もローカルスポーツ番組に出ていましたが, 牧田は本当にいい人らしい。 引退試合でのスピーチ。 「仙台に来て良かった」 事前に用意した原稿になかった言葉が、自然と口を突いた。 今年11月23日、ファン感謝祭での引退セレモニー。牧田はこみ上げる涙を抑え、ファンへ感謝を述べた。 あの言葉は原稿になかった言葉だったのか。 牧田と言えば思い出すのが,13年日本シリーズ最終戦のホームラン。 これはなんど見ても鳥肌が立ちます。 巨人との日本シリーズ第7戦。9番中堅で先発起用された。2-0の四回、左越えソロを放った。先発美馬、則本、田中と続く継投劇をもり立て、チームはそのまま3-0で快勝した。 「このまま、試合が終わってほしくない」。九回、守備に就きながら牧田は強く感じた。人生最高の瞬間を味わっていた。 (中略) 日本シリーズでの本塁打は、最下位だった創設期を共に戦った仲間にも特別な一発だった。「1年目からの苦労を一緒に乗り越えたマキ(牧田)が打ってくれた。あれで全て報われた気がした」。当時1軍打撃コーチ補佐としてベンチから見守った平石2軍監督は振り返る。 うー,泣けるじゃありませんか。 特別な一発か~。確かにそうです。 牧田が打ったからこそ価値ある一本となりました。 何か,2009年クライマックスシリーズの中島のホームランとダブる印象があります。 ある日の2軍戦。平凡な内野ゴロを打った後、一塁まで全力疾走した。アウトと諦めて速度を緩めがちな場面だが、「若手の見本になるようなプレーをしないと」。口べたな分、背中で若手に示し続けた。 ファン感謝祭には初の試みで、来季の新入団選手が参加した。最後の創設メンバーとして、後輩に託したい思いがあった。「大変な時期を乗り越えて今があることを知っていてほしい」。スピーチでは、「1年目は、何もないところからのスタートでした」と述べ、新人選手も聞き入った。 球団創設当初,まさか最後に残る選手が牧田だとは思いませんでした。 でも彼は自分の努力によって息の長い選手生活を実現しました。 新人選手たちはこの言葉をどういう気持ちで聞いていたでしょうか。 そして,その新人選手たちもいずれチームの柱となり,いつか引退する日が来るでしょう。 そのときにどんなメッセージを残すのでしょうか。 そうやってチームの歴史の糸が紡がれていくんだなぁ,と思いました。 この記事は,こう結ばれています。 今は「仙台に骨をうずめたい」と思っている。 創設メンバーでは平石、益田ら多くの元選手が今も仙台に住まう。新球団ができて12年。東北楽天が仙台の地に、着実に根付いた証しとも言える。 もし、よろしかったら…クリックを。 ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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