カテゴリ:カテゴリ未分類
市民劇の稽古で得るものは大きい。よく見られようと思うと緊張する。演劇が私に希望を与えてくれる。 市民劇の稽古で得るものは大きい。よく見られようと思うと緊張する。演劇が私に希望を与えてくれる。 人生は一度、何でもチャレンジ。チャレンジすることで何か見えてくるものも多い。気づくのも気づかないのも自分自身、武士3役の台詞は完璧に覚えて、稽古には望んでいる。武士1、武士2の武士仲間との人たちとも意思疎通が図られ、会話を得ることもできた。台詞もまっすぐ、相手の胸に刺さるように、台詞が言えるようになった。もう一役の村民5が、まだまだ、台詞が棒読みで、うまく周りの人たちに伝えることが、できない。相手を生かしながら、漫才のように、かけあいながら語り合う。なかなか難しい。私は我かんぜず、わが道を行くタイプ。空気を読まないでしゃべる。相手の話も聞いていない。芝居は、相手の話をよく聞く。それに相手を感じながら芝居をする。相手を観察しながら、空気を感じながら芝居を相手、いや、観客も巻き込んで芝居をする。台詞は相手、状況によって変化する。しかし、今までは、相手を見ずに、相手のことを考えずに、一方的に芝居をし、自己満足に慕っていたのかもしれない。相手を感じながら、思いを伝えるのは、難しい。うまく演じよう、よく見てもらいたいと思うと、緊張して、何もできない自分自身もいる。 この芝居の稽古は、素人の域を超える。思いと情熱が超える。日本の将来も明るい。高島市は演劇を通じて、世界に情報を発信し、子供達に希望ある未来を用意しているのかも知れない。演劇がある尊敬される街か。すばらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 5, 2008 11:00:38 PM
|