日本聖公会性的虐待事件顛末記

2008/12/18(木)22:35

絶対王政と天皇制批判

 日本聖公会が、その祈祷書の中から天皇のための祈りや皇室のための祈りを削除したことは、教会関係者の間ではかなり有名な話だ。祈祷書から除くということは、日本聖公会の公的な祈りとしては、天皇や皇族のためには祈らないということなのだろう。しかし、高齢のイギリス女王が病気になられた時に、日本聖公会はアングリカン・コミュニオンの一員として、主日の礼拝で祈らないのだろうか。何しろ、イギリス国教会の頂点に立っているのは、イギリスという国家の王であることは紛れもない事実である。  そして、教会法に関することは法律によって定められた範囲内でしか決められないから、イギリス国教会の祈祷書の改正も国会の審議を経なければならない。しかし、イギリスの下院は既に、反聖公会の議員が過半数を占めているし、王政はもう必要としていないと考えている議員も過半数を占めているという。しかし、アングリカン・コミュニオンの一翼を担っていると自負している日本聖公会では、象徴天皇制でさえ否定してしまっているから、天皇のための祈りや皇族のための祈りを祈祷書から削除したのだろう。そして、女性司祭按手に反対している信徒や聖職を徹底的にパージし続けてきた聖職もいる。これは、日本聖公会の外から見ていても判ることだし、女性司祭按手に反対している人々のホームページを見ればそれがよく判る。  日本聖公会京都教区の状況を記しているブログやホームページを読んでいて名前が出てくる日本聖公会京都教区の聖職者達の多くは、女性司祭按手を強引なまでに押し進めてきた人物であることは、日本聖公会の聖職者から耳にしている。にもかかわらず、ある意味では一人の女性の人生そのものを奪い取ってしまうような性的虐待事件に関して、彼らは沈黙しきっているのはなぜなのか。ある人物はこう言っていた。「日本聖公会は絶対王政で、主教はその王だ」と。だとしたら、女性の人権を徹底的に無視した京都教区の事件とそれに対する対応の仕方は、その絶対王政から出たことなのだろうか。  片方で、象徴天皇制さえもを批判しておきながら、自分たちは絶対王政の中にいるという大きな矛盾をどのように日本聖公会京都教区は説明するのだろうか。日本聖公会の管区総会で決定した法憲法規をも超えた決定を主教は出来るそうだから、主教が「矛盾ではない」と言えば矛盾ではなくなるとでも思っているのだろうか。日本という国家に、宗教法人法によって保護されていながら、性的虐待という犯罪を犯罪として認識していないのも、こうしたことによるのかもしれない。犯罪として認識していれば、現在行われている審判廷の申立などは起こり得なかったことではないのだろうか。

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