*きくりん*の日記

2011/09/09(金)22:16

東日本大震災の記録

震災(45)

もうすぐあの大震災(東日本大震災)から半年が経とうとしています。改めまして、この度の東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。  ところで。。。私がこのブログを始めたのは、大震災の後だったので、何も記録していません。唯一大震災翌日から約一か月間ほどの新聞を取ってある事位でしょうか。そこで。。。当日の記録を残しておきたいなと思います。 当日、私はパートの仕事を終え、いつものように同僚と談笑をしながら、小路を歩き、従業員駐車場で少し話し込んだ後、それぞれ帰路につきました。に着き、さぁお昼ご飯を食べようか。と支度を始めようとしたら、ちょっとグラグラときました。いつもの地震だろう。と高をくくっていたら。。。グラングランと大きく揺れ出しました。「え~~~っ、え~~~~っ」しか言葉は出ませんでした。まずを押さえに行きましたが、倒れそうな感じはなかったので、またキッチンへ戻り、吊戸棚の扉を押さえに行きました。すると、キッチンの引き出しは、見事に全部引き出されている状態でした。後で冷静に考えれば、吊戸棚には耐震ロックが付いていたので、扉がひらいて食器が飛び出してくる心配はなかったのですが。その間も2階で、ガシャンッ、ドンッ・・・等々、派手な音が聞こえたので、揺れている最中に2階にも行ってみました。ガラスが割れたり大きな物が壊れたりという事は無かったのですが、置物などが床におち、床が傷ついていました。そのまま、また一階に戻り。。。結局「え~~~っ、え~~~っ」と言っているだけで、ほんとに何も出来ませんでした。でも随分長く揺れていたな~と感じました。 (茨城県取手市は震度6弱)そして、気になったのが、子供達の通う小学校。ほんと古いんです。学校が崩れちゃったら。。。揺れが収まってから、急いで走って小学校に向かいましたその途中さっきまで談笑していた会社の同僚が車で通りかかり・・・(お店で買い物中に地震にあったそうです…後日談)お互い一応無事を確認。近くの中学校では校庭の真ん中に生徒が避難していたのが見えました。小学校に着くと、やはり保護者が不安げな表情を浮かべ結構集まっていて。低学年は、ちょうど帰りの会の時に地震がきたようで、すぐにランドセルを背負い帰り支度をして、校庭に避難していました。(下の娘の姿は確認できた)が、高学年の生徒の姿がないまだ校内に居たのです。「え~~~っ、高学年はどこにいるの早く校舎から避難させて」とおもわず叫んでしまいました。案の定また大きな余震(震度6弱)がきて(15時15分)その余震が収まってからやっと高学年が校舎から出てきたのです。『え~~~っ』って思いましたよ。泣いてる子も沢山いたし、腰を抜かして歩けない子がいて、先生やらお友達やらに抱えられている子もいた。うちの子も泣いてた。(普段泣いてる姿なんてみた事ない位ちょっとやそっとじゃ泣かない子だけど)みんな薄着で避難してきたから、先生がジャンパーを取りに行ってくれた。高学年は、上履きのまま、帰り支度もしないまま避難してきた。結局、そのまま、保護者に児童を引き渡し。という形で帰宅しました。 帰り途中、英語塾により、先生の安否を確認しました。先生が教室前の道にたたずんていて、不安そうに、今日は授業どころではないね。という話をし。でも先生は地元人じゃなく、千葉方面から通っている先生なので、今日は帰れるかしら~。と心配そうにしていたけど、今日は、とりあえず生徒が来ちゃったらお休みだよ。と伝える為にまだここにいて様子をみます。との事だったので、そのまま先生とはお別れしてしまいました。(結局やはり先生は帰宅できなかったけど、その後どうしたかの詳細は、聞けずじまい) 長くなりましたので、後編に続く。。。  応援をありがとうございます にほんブログ村

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