カテゴリ:ロシアの生活
ロシア人の友人から聞いた実話。
ペレストロイカの頃、日本や欧米では「ゴルビー・ブーム」で盛り上がっておりましたが、実は当のロシア(当時ソ連)国民はとんでもない生活苦を強いられていたそうです。 あまりに生活が苦しくて、ペレストロイカの時期だけで、2000万人も人口が減ったとか。これって第二次世界大戦で死んだ人より多かったんだそうです。 とにかく、食べ物はない。インフレはすごい。治安は極度に悪化。医療制度や学校教育も悪化。人々の心はすさむばかり。。。 エピソード1 当時高校生だったKちゃん。彼女はお母さんとおばあさんと一緒に暮らしていました。お父さんは他に家族を作ってしまったので、お母さんは離婚しました。 その後家族の生活はお母さんが働いてまかなっていましたが、そのお母さんが重病になって寝込んでしまい大ピンチ!おばあさんの年金はあったものの、そんなのは微々たるもの、とても生活のたしにはなりません。 さあ、困った。女三人(しかも一人は重病)でどうやって暮らしていったらいいものか。まさに絶体絶命! しかし、天はこの哀れな三人を見捨てなかった・・・。 ちょうどそのとき、家で買っていたメス犬が子供を生みました。しかもこの犬はただの犬ではなく、血統書付の由緒正しいお犬様。さっそくこのお犬様の子供(複数)を高値で売りさばき、すんでのところで家族はなんとか窮乏を逃れることができたのでした。 めでたし、めでたし。。。 エピソード2 Oちゃんの話。 当時彼女は大学生。モスクワの大学に入学して、寮で一人暮らしをしておりました。 しかし当時は極度の食糧不足。朝はまず食べるものを探すところから始まります。しかし、大学生なので勉強がいそがしく(彼女は特にまじめだった)、店に行って行列に並ぶ時間もありません(なんせ朝から数時間も並ばなくてはならなかった)。実家は郊外にあるので、そこへ行けば近隣の農村から食料が買えるのですが、実家へ帰るためのお金もありません。しかし自分のところにはなにもない。仕方がないので、友達の部屋を訪ねます。 「なんか食べ物ない~?」 友人たちもけっして余裕があるわけではないのですが、こういうときはお互いさま。わずかな食料を分け合って食べたそうです。もちろん、自分のところに食べ物があるときは、友達に分けてあげます。 ちなみに彼女は大学生時代、喫茶店に入ったのは一度きり。それも友達数人と入って、みんなでひとつのケーキを分け合って食べたとか。。。 泣ける話です。 つづく かも お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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