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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

説教「過ぎ越し」

2008年1月11日 仙台市民教会説教 「過ぎ越し」

この解説は、「なぜキリスト教?」にあります。



『旧約聖書』「出エジプト記」12章29~36節
『新約聖書』「マタイによる福音書」2章18節

交読文:詩篇105編


 新年になりました。新しい年の初めの月のことを、日本では1月と言い、英語ではJanuaryと申します。でも、それはそれほど歴史のある話ではありません。日本では、明治5年、1872年から、新年最初の年を1月/Januaryと呼ぶこととなりました。これは、ほんの130年くらいの歴史しかない、新しい現象です。

 時間というものは、切れ目なく流れます。人は、そこに切れ目をいれ、名前を付けて区別します。新年という区切りがあり、最初の月という区切りがある。日本では、最初の月のことを「睦月」という名で呼んでいました。「仲睦まじい」など、結婚式で使われる「睦」という字を用いまして、「睦月」。お正月があり、家族一同が揃って仲良く過ごす月にふさわしい、きれいな言葉です。

 旧約聖書の世界、つまり、古代オリエントの世界では、一年最初の月を「ニサン」と呼びました。この「ニサン」のお祭りのひとつに、「ペサハ」と呼ばれる年中行事があります。これは、ユダヤ教のお祭りで、日本語では「過ぎ越し祭」と申します。一年最初の月の10日から準備をはじめ、14日からお祭りの開始です。まず、羊か山羊を一頭、屠殺します。そしてその時に流れる血を家の入口に塗る。それから、クラッカーのようなパンと、パセリのような苦い菜っ葉を食べる。そして、神話のような昔話をする。たくさんの変更を加えられながら、今でもユダヤ教の皆様はこの行事を行っているということです。

 そのお祭りでは「神話のような昔話」が語られると申しました。その昔話とは何でしょうか。実は、そのあらましこそ、今日皆様ご一緒にお読みしました詩篇105編なのです。

 その内容は、つまり、こういうことでした。

 古今東西を問わず、いつでもどこでも起こる、人間の諍いがあります。支配する者がいて、支配される人がいる。支配される人々は、その支配に耐えかねるとき、自由を求めて、支配する人に戦いを挑みます。支配する側の人々も、必死でこれに向き合う。大人同士の死闘が、そこに始まります。今も昔も、洋の東西を問わず、いつでもどこでも起こる人間の諍いです。

 今から3300年ほど昔の物語です。当時、世界最大の帝国として、エジプトという国がありました。ある時、エジプトは、かつてなかったほどの危機に見舞われます。飢饉がおこり、海の向こうからエイリアン(人間ですが)つまり侵略者がやってくる。そうした危機の中、苦境にあえぐエジプトを、外国人たちが救います。

 日本も、朝鮮半島その他からやってきた「渡来人」のおかげで、文化を創造的に発展させてきました。国内にある知恵では足りないとき、外国の力を借りて、事態を突破するというのは、どこでもあることです。そして、その時、外国人は感謝され、ありがたがられます。

 エジプトは、外国人の力で未曾有の危機を乗り越えました。エジプト人はそれを喜んで、その外国人にたくさんの特権を与えました。豊な土地を提供し、特別な自治を許したのです。

 しかし、時間が経つにつれて、人々の記憶は薄れます。次第に、エジプト人たちは、この外国人を疎ましく思うようになりました。自分たちは貧しいのに、なぜあのガイジンがあんなに既得権益を得ているのか・・・と、その気持ちはいつしか差別となって結実し、そして、憎しみがこの外国人たちに向かって行きます。

 そして、ある時、(今風に言えば)人種差別主義的な政権が誕生します。その政権は、エジプト国内にたくさんいる特権をもった外国人を「何とかしよう」とします――つまり、恐ろしいことを考えます。この目障りなガイジンたちを、一人残らず根絶やしにしてしまおうと、するのです。

 エジプトで特権を享受していた外国人の集団は、突然、大変な苦難を経験することになります。劣悪な労働環境を強要され、更には、子供を持つことが禁じられます。実に、生まれた子供は殺さなければならないと、定められたのです。

 この外国人たちは、自分たちが奴隷状態に追い込まれたことを知ります。そして、絶望しつつも、苦しみの声を上げて、せめてもの抵抗をする。
すると、奇跡が起こります。

 2人の人が現れて、エジプト帝国に敢然と立ち向かう。その人たちは、兄弟でした。兄の名はアロン、そして、弟の名はモーセと言いました。弟モーセがリーダー格です。モーセは、エジプトの王ファラオに立ち向かい、自分は神に遣わされてきたと言います。その神の名は、「奴隷を解放しろと要求する、まさにその場所にいるもの」という、不思議な名前の神でした。

 そんな不思議な名前の神様のことなど、誰も知りません。ファラオはモーセを馬鹿にして、まともに取り合おうとせず、かえって奴隷状態の外国人に対し、一層厳しい政策を実行して行きます。

 そうして、支配者と支配される者との戦いが始まります。最初から、一方的に、支配する者が優勢でした。しかし、奴隷状態からの解放を求める人々も粘り強く戦う。その戦いは、恐ろしい結末を迎えて、意外な結果をもたらします。

 ある夜のことです。突然、エジプト中の子供たちが死んでしまう。何が起こったのか、全くわかりません。エジプト中がパニックになります。そして、エジプト人は外国人たちに言います。「もうこの国から出て行ってくれ」。

 今日お読みした聖書の箇所、「出エジプト記」12章は、その場面を描いています。

 この場面は、驚くべき歴史的大事件を物語るものです。奴隷が、解放される。しかも、タダで解放されるのではありません。たくさんの贈り物をもらって、解放される。そんなことは、夢にも考えられなかったことでした。しかし、それが起こった。そのことを記念して、「ペサハ=過ぎ越し」というお祭りが行われることになりました。奴隷が解放され、新しい世界が始まる。だから、それはお正月のお祭りとなったわけです。

 以上が、ユダヤ教のお正月の行事についてのお話です。世界には、いろいろなお正月があるものです。キリスト教も、不思議なお正月のお祝いがあります。それは、クリスマスのお祝いです。

 もともと、クリスマスイヴは、大晦日でした。そしてクリスマスと共に、新年が始まる。これが、現在の太陽暦の導入に伴って、少しずれ込みます。年末にクリスマスが来ることになったわけです。

 ただ、クリスマスというのは、一日で終わるものではありません。約2週間、クリスマスは続きます。それで、現在は1月6日までがクリスマス・シーズンとなります。つまり、キリスト教の暦では、現在でも、新年のお祭りとして、クリスマスがあるわけです。

 クリスマスのお祝いの最後は、ユダヤ教のペサハ(過ぎ越し)のお祭り同様、やはり、劇的なものとなります。
 
 様々な人々がイエスの誕生を祝って挨拶に訪れます。遂には遠く東の果ての国からも、イエスの誕生を祝って参拝者が訪れる。そんなわけですから、イエス誕生の知らせが時の権力者の所にも、知らされることになります。

 権力者は驚き、慌てます。新しい王子が、今の権力者とは無関係なところで誕生したというのです。これは、治安を揺るがす大事件。すぐに権力当局は動き、この物騒な赤ちゃんを取り押さえようとします。しかし、居場所がわからない。それで、権力当局は一つの決断をします。今、当該地域にいるすべての赤ちゃんを、一人残らず、抹殺することと、する。

 危機が迫る中、すんでのところで赤ちゃんイエスとその両親は脱出することに成功します。しかし、国中の赤ちゃんは皆殺しにされ、母親たちの泣声はやむことはなかった――それが、今日お読みいただいた新約聖書「マタイによる福音書」の場面でした。これが、キリスト教における年の最初の物語(つまりクリスマス物語)の、結末なのです。

 権力当局は、実に恐ろしい決断をしたと思います。しかし、考えてみましょう。全体の幸福、社会の安定、治安の維持のために、少量の犠牲は仕方ないことだと、そう考えるのは、為政者の務めだ、とも、言えるかもしれません。物語を読んで、一方を悪者としてそこに憎しみを注ぐというのは、すこし、子供じみていると思います(こんな言い方は、実は、「子供」に失礼なことですが)。

 考えてみましょう。私たちは、奴隷の解放物語を聴くとき、それを快挙として理解します。たとえばエジプト帝国における奴隷解放物語において、子供を失ったエジプトの支配者たちは、天罰を受けた、と考えることもできる。やはり、正義は勝つのだと、溜飲を下げる思いがするかもしれません。

 でも、そこで死んでしまった子供たちは、何の罪もない無辜の犠牲です。それは、イエス誕生の時に、権力によって惨殺された子供たちと、何も変わりません。

 大人が、それぞれ、自らの正義を掲げて戦う、その時、かならず、その背後には無辜の犠牲がある。大人は、そのことを、しばしば見のがします。そこにこだわっていたら、奴隷の解放だってできないし、治安だって保てないのだと、そのように言い訳をしながら、無辜の犠牲を黙殺するのです。

 しかし、「ペサハ=過ぎ越しの祭り」は、その犠牲のあったことを思い出させるように、行事が組まれています。それは、とても興味深いことです。

 「過ぎ越し祭」では、クラッカーのようなパンを食べます。それは、パニックに陥ったエジプト人が、大至急出て行ってくれと頼んできた、その要請に応えるために、大急ぎで荷造りをしたのだ、ということを思い出し、追体験するためだとされています。つまり、ふっくらしたパンを食べるには、イースト菌を小麦粉に混ぜて一晩寝かさなければなりません。そんな余裕はない。すぐに出立しないと、また、エジプト人の心が変わるかもしれないし、第一、パニックになったエジプトは危険だ。だから、小麦粉を練っただけで焼いたクラッカーのようなものを携帯食として持って、大至急、奴隷の苦しみの場所から逃げ出そう――それが、「過ぎ越し祭り」のパンの意味です。

 それから、「過ぎ越し祭り」では、羊か山羊の肉を食べます。その際、その羊か山羊の血を、家の門に塗る。血を塗りたくるということ、それは、グロテスクな行為です。しかし、そのグロテスクさの中にこそ、「過ぎ越し」というお祭りの本質が隠されています。このグロテスクな行為を通して、“自分たちが解放されるときに血が流された”ということを思い出すのです。

 神話の故事によると、家畜の血が塗られた家にだけは、子供の急死という悲劇が起らなかったといいます。大人同士の諍いが、関係ない子供に及ぶ。その祟りのような不幸が、この血によって過ぎ去った。祟りは、この羊・山羊が替わりに引き受けた。そうして死んだその肉を食べる。不幸が過ぎ去る、そのためには、何かが自分たちの替わりに犠牲になっている。そして、その犠牲を食べることで自分たちは生き残っているのだ、ということ。それを特別に追体験してよく覚えておくこと――「過ぎ越し祭り」の肉と血には、壮絶な迫力を秘めた意味が隠されているのです。

 実際、私たちは、自分の不幸を回避するためになら、他人の犠牲を招致するものです。わが子が助かるなら、よその子を押しのけてでも・・・というのが、親の“愛情”でしょう。それを責めることは、恐らくできないと思います。それは人間の本質です。しかし、それは人間の悲しい現実です。

 聖書によると、イエスは、その誕生において、多くの犠牲を呼び起こした。イエスが助かる背後には、数知れない赤子の犠牲がある。赤ちゃんたちは、イエスに降りかかるはずの災厄を身代わりになって引き受けた。この赤ちゃんは、降りかかるはずの犠牲をイエスが「過ぎ越す」ための犠牲でした。イエスは、多くの無辜の犠牲の上に、その生涯を始めた。私たちも、きっと、無辜の犠牲の上に、今日を生きている。

 人は、生きていくためには、誰かを犠牲にしなければならない。これは、どうしようもないことなのでしょうか。そうかも知れません。しかし、それはあまりにも悲しいことです。

 イエスは、成長し、巨大な影響力を持つ思想家となります。そして、その思想は危険思想とされ、遂には思想犯として逮捕され、政治犯として処刑されることになります。

 その死は、人々に衝撃を与えるものでした。イエスは、自ら進んで、自分について来てくれた人々のために、わざと逮捕され、抵抗することなく死に向かいます。

 イエスは、逮捕される直前、宴会を開きました。お祭りの宴会でした。それは、「過ぎ越し祭り」の宴会だったのです。実は、イエスは、逮捕される日を「過ぎ越し祭り」の日にしようと思い定め、逆算して行動していた様子です。そして、その宴席で、イエスは不思議なことをして見せます。

 イエスは、お祭り好例のクラッカーのようなパンを取って、言うのです。「これは私の身体だ」。そして、そのパンを手で引きちぎり、「とって食べなさい」と言います。更に、宴会用のワインを手にとって、言います。「これは私の血だ」。そして、それをコップに注いで、飲むように勧めます。

 この不思議なイエスの行動を、後の弟子たちは考えました――あれはいったい何だったのだろう。今でも、キリスト教徒たちは考えます――あれは、いったい何だったのだろう。

 イエスの弟子たちは、その思い出が忘れられなくなる。そして、「過ぎ越し祭り」の宴会の様子を、そのまま宗教行事としてしまいます。それが、今でもキリスト教会で行われる「聖餐式」という礼拝儀式です。もともと、キリスト教の礼拝というのは、この宴会の繰り返しである「聖餐式」を行うものでした。
 
 イエスは、「過ぎ越し祭り」で、いったい何を考え、何を言いたかったのか。ずうっと、キリスト教徒はそれを考え続ける。今も、考えつづけます。
キリスト教とは、イエスだけを救い主だと信じる人々です。イエスだけが、私たちの罪の為に犠牲を押し付けられる存在なのだと、信じるのです。そして、イエスの犠牲によって、私たちの上に降りかかるべき呪いと祟りは、永遠に過ぎ越したのだと、そう信じる。それは、どういうことなのでしょうか。

 それはつまり、こういうことだと思います。

 イエスで、無辜の犠牲はおしまいなのだということ。もう、私の幸せのために誰かが犠牲になることはないのだということ。それは、絶対に、そうなのだということ。私の幸せのための犠牲は、もう終わっている。だから、だれも「過ぎ越しの犠牲」になる必要はないし、なってはいけないのだということ。それを、固く信じること。

 しかし、実際には、多くの悲しみが世界を覆っています。多くの不条理があり、多くの理不尽がある。学校にミサイルが撃ち込まれたり、貧しい人がたらふく食べる人の傍で餓死したり――それを知るたびに、私たちは心を震わせます。どうしてこんなことが起こるのかと、呆然としてしまう。でも、私たちはそこで、立ちすくんだままででも、敢えてこう言う。「こんなことは、もう終わりなのだ。」何度でも、何度でも、あきらめないで、言うのです。「こんなことは、もう終わりなのだ」。

 このあと、私たちはご一緒に、「Were you there?(君もそこにいたのか)」という歌を歌います。これは、黒人霊歌という、アメリカの歌です。アフリカから拉致連行された黒人たちが、魂の叫びを絞り出すようにして紡いだ歌です。

Were you there
 君もそこにいたのか
When they crucify my Lord?
 連中が「我が主」を十字架につけたとき
Oh! Sometimes it causes me to tremble, tremble, tremble.
  ああ! 時に思い出し ブルブルと耐えがたく 私は震えてくる

100年前のアメリカ合衆国において、黒人たちは、日常的にリンチされ・虐待され・処刑される。ヌースと呼ばれる黒人専用の首つり縄があり、見せしめのためにしばしば、黒人は木につるされました。それを見た黒人たちは互いに言ったのです。「あれを見にいったか。」黒人たちはそこに何を見たのか。この黒人霊歌がかたるのは、黒人たちは、その惨劇にイエスの犠牲の反復を見た、ということです。殺された仲間は、もしかすると、自分の代わりに殺されたのかもしれない。明日は我が身だ。今日、自分が生きているのは、あいつの犠牲のおかげだ。

 心を震わせながら、しかし、黒人たちはそこにイエスの犠牲の反復を見る。それは、イエスの犠牲の反復でしかないのだ。そして、こんな犠牲は、イエスを最後に、もう終わるんだ。

 黒人たちは、絶望しませんでした。いつ終わるともしれぬ苦しみは、黒人たちの心を折ることができなかった。犠牲が出るたびに、黒人たちは「こんなことは、もうこれで終わるのだ」と、心を震わせながら、そこにイエスの犠牲を思い出した。そうして、「こんなことはもう終るのだ」と、絶望の手前でしっかりと立ち止まり、希望を消さずに生き続けた。そして、今、アメリカは、その成果を手にしようとしています。「こんなことは、もう終わるのだ」という思いは、希望の灯を、決して絶やすことなく継承するのです。

 私たちは、どうでしょうか。心を挫けさせていないでしょうか。世界の不条理、世間の歪み、家族の軋み、自分への幻滅。そうした事柄が、私たちの傍に、ないでしょうか。もしそれが私たちの目の前に立ち現れたとき、私たちも言いたいと思います。「こんなことはもう終わるのだ」。

 「もう終わるのだ」という思いは、信念であり、信仰です。それを一人で思うとき、それは信念でしょうし、神様に向かってそう唱えるなら、それは信仰と呼ぶべきでしょう。そして、それを互いに語り合うこともできる。それは、世界への信頼、人間への信頼の表現です。教会は、その表現そのものとして、ここに立ちます。すべての人が、心の中で念じ、神様を呼び出しながら「こんなことはもう終わりだ」と信じる。それを目に見える形で表現しているのが、教会です。礼拝は、それを確認するために行われます。今日の礼拝もそのようなものとなりますことを願って、お祈りをいたします。


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