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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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第三章 第五節:「継続」

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第五節:ロンドンとマンチェスター間の「継続」

 ロンドン(1879年~1885年)からマンチェスター(1885年~1888年)へと「継続」した事柄として、三点が挙げられる。第一に、政治的・社会的事項への関心であり、第二に芸術への興味であり、第三に講座を開いたことである。


 第一に、政治的・社会的事項への関心。ロンドンで精力的に政治活動に参加したフォーサイスは、「フェラックス(Verax)」というペンネームで世に知られたダンクレイ(Dunckley, Henry, 1823-1896.)の依頼を受け、新聞『マンチェスター・イグザミナー・アンド・タイムズ』に「パブリコーラ(Publicola)」というペンネームで政治的・社会的論評を発表した 。発表はロンドンから異動した1885年からマンチェスターを去る1888年までの間、計九回に渡った 。また、1884年にパンフレット『キリスト教的社会主義 』をロンドンで発表したフォーサイスは、1886年サルフォードとマンチェスターの会衆派教会牧師・役員が集まった会議において『より深い諸局面における社会主義とキリスト教 』題したパンフレットを発表した 。更に、1896年11月26日にダブリンで行われたアイルランド問題に関する集会に、フォーサイスは発題者として参加している 。以上のように、政治的・社会的関心においてロンドンとマンチェスターの間に「継続」が見られる。

 そして、芸術への興味と講座の開講。フォーサイス着任から二年後の1887年、マンチェスターにおいてラファエル前派の絵画を集めた展覧会が開かれた。開催期間中、フォーサイスは週に二回この展覧会へ通い 、そして労働者の為の絵画講座をマンチェスター市内のアンコーツで行った。ロンドンで多くの文化に触れ、ハクニーのセント・トーマス・スクエアー教会で聖書と文学と美術の講義を行ったフォーサイスのスタイルが、ここに「継続」されていることを見ることができる。

 マンチェスターの人々とフォーサイスとの関係は、フォーサイスがこの教会からレスターへ移動した後も良好に続いた。このことは1896年に出版された祈祷集『主日礼拝における執成しの祈り 』から知られる。この祈祷集出版の由来を、「1896年春」という日付と共に、フォーサイスは次のように述べている。


  本書に収められた祈祷文を出版する意志を私は充分に持っていたが、
  しかし同時に本書は自然発生的に世に出てきたものでもある。
  この祈祷文は、私がチーサム・ヒルで牧師をしていた七年ほど前に、
  私が自分で使うために、また会衆の便宜のために作ったものであった
  (ただし、その当時印刷はしなかった)。
  この祈祷文が今世に送り出されるのは、ある方の要請と費用負担によってのことである。
  この方は、我々の主日礼拝に深い関心を寄せておられる、
  マンチェスターでは有名なさる会衆派教会員である。

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註:この「ある会衆派教会員」について、「秘密を明かして言えば、ベンジャミン・アーミテージ氏である」と、フォーサイスは述べている。
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この書に為された書評の言葉には興味深いものがある。「ここに示されている思想は崇高で啓発的だ。そしてここに表されている言葉遣いは簡潔で美しい。本書全体を通して、福音的な精神が深く呼吸されている。本書に収められた祈祷文のうち六つは一般向け、そして最後の七つ目は子供向けである。 」チーサム・ヒルでの教会の様子がここから見て取れるのみならず、この当時、フォーサイスの言葉遣いが「簡潔で美しい」と評価されている点は注目に値する。

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