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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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三学期 第三回

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三学期第三回 通年第18回:“一つ”への憧れ


1:資本主義と一神教

 前回、キリスト教がローマ帝国内に組み込まれていった過程を確認し、そして、その後、帝国の東西でキリスト教に違いが生まれていったことが確認されました。キリスト教化されたローマ帝国内で、いよいよ、キリスト教の理論を整備する段階になったのですが、その議論の温度に、東西の違いが際立ってきたのです。

 このときの議論の中心は、「神」を巡るものでした。ローマ帝国において、キリスト教は「一神教の世界宗教」として整備されなければならなくなります。広大な地域に住む、言葉も文化も違う人々が、同じ神を信じる宗教。そんな宗教の「神」を規定することは、とても難しいことでした。

 ユダヤ教は「一神教」として、既に1000年以上の歴史を持っていました。しかしそれは、「民族宗教」でした。つまり、ローマ帝国内のごく少数の人々が信じる宗教だったのです。同様に、コンスタンティヌス大帝以前のキリスト教も、「一神教」ではありましたが、帝国内の少数の「変わった人々」の宗教でした。しかし、国教化された以上、「一神教」のキリスト教は、もはや、「世界宗教」とならなければならない。これは、難しい課題でした。

 「唯一の神」によって世界と人生を説明できること――これが、「一神教」の特徴です。しかし、広大な地域にすむ様々な人が、「唯一の神」をもつことなど、できるのでしょうか。そもそも、「神」とは、「フシギでスゴイ何か」のことです。人々が「フシギ・スゴイ」と心から思うものが、その人々の「神」となる。当然ですが、地域が違えば、「フシギでスゴイ」と思う対象も、色々変わってきます。だから、各地域それぞれに「神」というものが色々いることになって、当たり前です。だから、広大な領土を征服したローマ帝国は、「色々な神々」を信じる「多神教」の体制を取ったのです。それが、コンスタンティヌス以前のローマです。

 でも、コンスタンティヌスは大帝となって「新しいローマ」を作ります。これまでの「多神教」をやめる。それは、いろいろな豪族によって治められてきた「これまでのローマ」をやめる為に、有効な手段となるはずでした。コンスタンティヌスが目指したのは、「唯一の皇帝」に支配される帝国です。そしてそれを成り立たせるためには、帝国の人々すべてが、「唯一の神」で世界と人生を説明できる、そんな宗教が必要だ。

 「一神教」という宗教は、皆さんにとって、あるいは、縁遠いように感じるかもしれません。でも、どうでしょう。よく考えてみると、「一神教」は、私たちにとって、とても身近なのです。そのことを、考えてみましょう。
 
 私たちは資本主義社会に生きています。資本主義とは、何でしょうか。それは、「カネ」が全てを決定できる、とする考えです。それは、実は、「カネ」という“唯一神”を信じている「一神教」の一形態なのです。

 今、「カネ」といいました。「お金」とは言いませんでした。この使い分けは、大事です。

 「お金」というと、「モノ」がイメージされます。コインや紙幣は、「モノ」です。しかし、「モノ」は「カネ」ではありません。一万円札は、日本国内を出ますと、ただの紙になります。日本国内において、「一万円札」には、「一万円分のカネ」が宿っているから、それは「おカネ=お金」として流通するのです。紙幣は、一定地域内に「カネ」が流通するための「乗り物」なのです。だから、一万円札という「お金」は、外国に行くと使えなくなります。外国は、「一万円札」によって「カネ」が運ばれる範囲の外だからです。だから、外国に行くと、「カネ」は「一万円札」から降りて、別の紙幣やコインや貴金属に乗り移ります。

 「カネ」というものは、紙幣やコインに宿っているものです。紙幣やコインといった「モノ」に宿る「フシギでスゴイ何か」が、「カネ」というものの正体なのです。それは、目に見えず、形をもちません。どこにでもいるのですが、どこにもいない。全体で一つなのですが、その一部分だけが、「モノ」に宿って私たちの手元にある。「カネ」の持つこうした不思議な性質は、如何にも「唯一神」らしいものです。

 「カネ」というものを、最近流行っているカタカナ言葉でいいかえれば、「マネー」というものになります。「マネー」とは、もちろん、「money」の翻訳語です。「money」という言葉は、もともと、ローマの言葉(ラテン語)の「Juno Moneta=ユノ・モネータ」という言葉から来ています。「ユノ」とは、ローマ神話の最高神ジュピターの妻で、結婚の約束を司る女神でした。「結婚の約束を司る女神モネータ」が、「マネー」と呼ばれるものとなった。人と人とを結び合わせる女神モネータこそ、「マネー」の正体なのです。今は、この「マネー」が、あらゆる人を結びつけ、商売や交渉を行わせています。それで、「マネー=カネ」によって世界と人生のすべてを説明できるような、そんな感覚が世間を覆っています。そうした感覚に覆われた社会を、「資本主義社会」と呼ぶのです。

 資本主義とは、実は、「マネー」を唯一の神とする「一神教」なのです。

 「カネ」というものは、間違いなく、「フシギでスゴイ」ものです。だから、それは時々、暴走する。それで、むかしから「カネ」を使う時は、気を遣うことにしています。お金を剥き出しにすることは、今でもエチケット違反とみなされます。恋人に何か良いものを贈ろうと思った時、私たちは可能な限り「カネ」の臭いを消そうとします。値段の印刷されたタグは、絶対に外さなければなりません。それどころか、お店で(おカネを出して)買ってきたことを隠すかのように、きれいな包装用紙に包んで、プレゼントは完成します。あるいは、「カネ」は、ポチ袋に入れてはじめて、「お年玉」になる、というのも、「カネ」のにおいを消して「贈り物(モノ)」にする人間の知恵なのでしょう。「モノ」は、贈物になりますが、「カネ」は物騒なものなので、贈物にならないのです。

 「カネ」は「モノ」に変換しなければ、人に贈ることはできない。では、何によって「カネ」は「モノ」に変換されるのでしょうか。「カネ」を「モノ」に変換できるのは、「まごころ」だけです。人の優しい心が、「カネ」を「モノ」に変えて、誰かを喜ばせる事ができる。

 「カネ」を「モノ」に変換するということ。これは、大きな可能性を秘めています。

 まず大事なことは、「カネ」のチカラが強大無比であるということです。それは、人の心の中に入り込み、人と人とを結びつけるチカラをもっています。それ故に、世界と人生のすべてを説明することができるかもしれない程、「カネ」は強い。しかも、「カネ」はどこにでもある。たくさんはないかもしれないけれど、私たちはみんな、少しずつ「カネ」を持っている。それは、集めることができる。「カネ」が集まれば、ほとんどすべての事柄が、それによって動いたりする。誰でも、「カネ」を集めれば、驚くほど大きなことができる。たとえば、そのようにして、たとえば「募金」という事柄は、世界中の深刻な問題を解決するために役立てられるのです。

 ただし、「カネ」があれば全てが解決するわけではありません。募金だって、むき出しの「カネ」を投げつければ、それは相手に対する侮辱になります。でも、「カネ」は「モノ」に変えることができるのです。「カネ」を「モノ」に変えるのは、いったいなんでしょうか。それは、「まごころ」です。「まごころ」は、すべての人が持っている。従って、全ての人が持っている「まごころ」を使えば、「カネ」は「モノ」に変換できる。強大な「カネ」のチカラは、そのようにして、人間のために役立てることができる。それは、誰にだって、できる。そこに、「カネ」の魅力があります。

 たとえば、「まごころ」を込めて募金箱に「カネ」を入れるなら、「カネ」は「募金」に変換されて人を助ける事が出来る。「まごころ」は、「カネ」を使って、人を救う事が出来るのです。それで、「カネ」は抵抗し難い魅力を発して、人を魅惑します。それで今、「カネ」は世界を席巻し、まさしく「唯一神」の地位に就こうとしているかのように、見えます。

 「カネ」のような「神」だけが、「唯一神」になり得ます。どこにでもあるが、全体で一つであり、使いようによっては巨大な可能性を秘めているが、そしてその可能性が現実化するのは、誰もが持っている「まごころ」によってである――こうした性質が、「唯一神」の特徴です。そして、この「唯一神」を活用すると、人は無限大の可能性を手にできるようになります。そして、その可能性にこそ、人間の“自由”ということが隠されています。つまり、「唯一神」には、“自由”成立の秘密が隠されているということなのです。

 私たちは、この“自由”について学ぶために、キリスト教の歴史を教材に使っているのです。今日は、“自由”を成立させる「唯一神」について、ローマ帝国末期の歴史を眺めながら、ご一緒に考えてみたいと思います。


2:キャラ・イベント・結末

 「唯一神」というものを巡るドラマとして、ここまでのローマ帝国の出来事を整理してみると、すこし理解しやすくなるかもしれません。それは、三人の“キャラ”とそれぞれの“イベント”とその“結末”、という形で整理できると思います。

 まず、最初の“キャラ”は、コンスタンティヌス。この人は、「大帝」と呼ばれるようになりました。唯一の皇帝として君臨したからです。この人の“イベント”は、「新しいローマ」を建設しようとしたことです。そしてその為に、アタナシオス派のキリスト教を活用した。アタナシオス派のキリスト教は、「神は一つ」ということにこだわっていました。つまり、「子なる神(イエス・キリスト)」と「父なる神(ヤハウェ)」は全く同一だと、強く主張していたのです。これは、「大帝」の「新しいローマ」にとって、好都合でした。そして、このアタナシオス派の思想に立って、「ニカイア信条」が生み出された。これが、このイベントの“結末”です。

 次に、コンスタンティウス二世。この人は「大帝」とは呼ばれません。それは後の人の評価に過ぎないのですが、しかしこのことは示唆的です。この人の名は、「大帝」であった父親の父親、つまりお祖父さんの名前をそのまま引き継いだものでした。父親を超える(おそらく)唯一の存在である人の名前を、自分のものとしていたのです。しかし、「大帝」と呼ばれることはなかった。それが、この人の“キャラ”でした。この人は、父親とは異なり、アリウス派のキリスト教を採用します。アタナシウス派と教会を二分していた大派閥、アリウス派です。アリウス派は、「イエス・キリスト」と「父なる神(ヤハウェ)」とを分けて考えます。両者は同じようなものではあるけれど、明確に違う。この結果、アリウス派のキリスト教においては、「二つの神」が「一セット」で信じられることになる。これは、「多神教」とは少し違いますが、「一神教」とも言えない。両者の折衷のような宗教となります。大小二つの神様がいる。それはまるで、いつも心の中に「父・大帝」を意識しながら、それを乗り越えようとして遂に乗り越えられなかったコンスタンティウス二世の“帰結”をよく表わしているように思えます。それは、ライバル達の粛清という、この人の血塗られた登場“イベント”を思い出させるものです。多くの他人、つまり「多・他」というものを粛清することと、「二つセットの一つの神」を信じるキリスト教を建てようとしたこと。この二つは、繋がって見える気がするのです。

 そして、最後の“キャラ”は、ユリアヌスです。この人は「背教者」と呼ばれました。キリスト教に背いた、という悪口が、この呼び名に込められています。この人が打ち出した“イベント”は、「一神教」であるキリスト教を排除して、「多神教」であるギリシャ・ローマの宗教に戻そうと努めるものでした。しかしその努力は、不運な戦争によって頓挫する。そして、コンスタンティノポリス公会議によって、「ニカイア信条のキリスト教」が確定するという“結末”を迎えるのでした。

 つまり、「唯一の神」にこだわるコンスタンティヌスのキリスト教が、「二つで一セットの神」を目指すコンスタンティヌス二世のキリスト教への進路変更を経て、「多神教」を奉ずるユリアヌスの抵抗に遭い、それを(運よく)かいくぐって、「唯一神」のキリスト教に戻った――「一神教」ということを考えてみれば、前回のお話はそのように整理できます。


3:“一つ”への憧れ

 このようにして、混乱の中で、ようやく、「一神教の世界宗教」というものが誕生します。その誕生はたやすいものではありませんでした。なぜなら、「一神教」というのは、とても不自然なものだからです。それでも、「一つの神」で世界と人生を説明できるということに、人々は憧れました。特に、ローマ帝国末期、その憧れが、各方面で顕在化しました。ここでは、三つの例を挙げておきたいと思います。


(1)ササン朝ペルシャ(飲み込み型):
 ローマ帝国の東には、ローマと並ぶ巨大帝国がありました。ササン朝ペルシャです。このペルシャ帝国は、226年から651年まで、今のイラン・イラク・アフガニスタンの辺りを支配していました。

 ペルシャ帝国では、ゾロアスター教が国教と定められました。イランとアフガニスタンの国境辺りに生まれた偉大な宗教家・ゾロアスターが始めた宗教です。ゾロアスター教は、「一神教」ではありませんでした。しかし、この宗教においては「最後の審判」が確かなものとして、予言されていました。最後の審判、というのは、「今は四分五烈していても、最後には一つに纏まる」という思想です。最後には「一つ」になる。それは、「一神教」に接近する宗教といえます。そして、ペルシャにおいては「最後」に向けて全てが一つになっていく様子が、実際に観察されます。

 ゾロアスター教が支配しているペルシャは、ローマ帝国とインドを結ぶシルクロードを支配していました。それで、東西の優れた思想がペルシャ帝国内を行き巡ることになります。インドからは、仏教が来ました。ローマからは、ユダヤ教とキリスト教が流れ込みます。そして、「最後には一つになる」というゾロアスター教のペルシャで、全ては一つになっていきます。そうやって生まれた宗教が、「マニ教」といいました。それは、ユダヤ教・キリスト教・仏教をゾロアスター教的に「一つ」にした宗教でした。漫画「ドラゴンボール」のセルや魔人ブウのように、良いものをどんどん吸収して生まれた、世界最高の宗教が、マニ教でした。このマニ教は、その後世界中に広がっていって、ローマ帝国内にもたくさんの信者を獲得することになります。

 こうして、「最後は一つに」という思想は、世界中の宗教を飲み込んで、一つにしていきました。しかし、そのペルシャにも終わりが来ます。イスラム帝国が、ペルシャ帝国を、丸ごと全て飲み込んでしまうのです。「最後は一つに」というゾロアスター教は、イスラム教に飲み込まれてしまいます。イスラム教徒は、どんな宗教でしょうか。イスラム教は、終始一貫徹底した「一神教」です。それは、「最初から最後まで完全に、一つの神」で世界を説明するものです。「最後は一つに」という思想は、「最初から最後まで一つ」という思想によって、飲み込まれることになった。それが、ペルシャ帝国の歴史でした。

(2)キリスト教会(正統追求型):
 ローマ帝国内では、教会が「一つ」を目指しました。迫害に遭う教会です。当然、広大な帝国の各地に散在していた教会は、連絡し合うこともできず、それぞれ独自にキリスト教を展開せざるを得なかった。しかし、教会は一つの夢を共有していました。それは、「世界中の教会は一つのキリストの身体なのだ」という“幻想”です。それは、幻想に過ぎません。しかし、「教会は一つなのだ」という幻想が、迫害され孤立する教会を支えたのです。この幻想の“一つの教会”のことを「公同の教会」といいます。帝国各地にあり、言葉も文化も違う様々な教会が、自分たちを「一つ」だと信じて、迫害を乗り切った。それで、迫害が終結した後、教会は終結して「公会議」を開くことになったのです。「公会議」とは、「公同の教会の会議」という意味です。「公同の教会」という“幻想”に支えられることで、「一つの正しい統合=正統」を目指して互いに歩み寄る姿勢が、帝国各地の各教会に備わっていたのでした。それで、「みんなの空気」が生まれ、各地のキリスト教徒の力を結集させたのです。だから、アタナシオス派対アリウス派の内部対立も乗り越えて、キリスト教は「一神教の世界宗教」の成立を果たすことができたのでした。

(3)哲学(新プラトン主義):
 ローマ帝国末期、「一つ」で世界と人生のすべてを説明することを求める思いが強まった。それは、ローマのライバルであるペルシャ帝国で、ゾロアスター教として確認されますし、ローマ帝国内の異端分子であったキリスト教において、「正統」を目指す「公同の教会」という思想として確認されます。

 では、ローマ帝国の本流にあったギリシャ哲学の伝統では、どうでしょうか。私たちは、ギリシャ哲学においてこそ、「一つ」への憧れがきわめて強く意識されたことを、確認することができます。

 注目されるのは、プロティヌスという哲学者です。この人は、205年に生まれ、270年に死にました。つまり、その一生を、「危機の三世紀」に過ごしたことになります。

 「危機の三世紀」とは、どういう時代だったか、覚えておられるでしょうか。それは、次から次へと皇帝が入れ替わり、帝国は内戦で荒れ果てていた時代でした。誰に頼れば助かるのか、誰も確かなことを言えない時代です。全てがバラバラで、秩序が崩壊している。そういう時代に、プロティヌスはギリシャ哲学を学び、哲学者となりました。

 全てが崩壊するような時にこそ、優れた哲学者が現れ、新しい哲学が生み出されるものです。プロティヌスは、新プラトン主義と呼ばれることになる新しい哲学を生み出しました。それは本当に優れたもので、後のキリスト教にもとりいれられ、現代に知られる大きな思想となりました。

 プロティヌスの時代までに、ギリシャ哲学は、大きな二人の哲学者によって方向づけられていました。一人はプラトンであり、もう一人はアリストテレスです。プラトンはアカデミアという学校を作り、アリストテレスはリュケイオンという学校を作りました。プロティヌスの時代には、両方の学校共500年の歴史を持って、ローマ帝国に大きな影響を及ぼしていました。プロティヌスは、この二つの哲学の流派を統合することに成功したのです。後の人は彼の哲学を「新プラトン主義」と呼ぶことになりました。

 「新プラトン主義」の要諦は、実に単純な言葉で言い表されます。それは、「ト・ヘン」というギリシャ語です。それは、「the one」という意味で、日本語に直すなら、「ひとつ」という意味です。

 変転極まりない毎日で、平和とか安定などというものがどこにもない。それがプロティヌスの生きた時代でした。そうした時、哲学者は根本に立ち返ります。全てが滅茶苦茶になっていく、その土台になっている「何か」があるはずだ。そこに立ち至れば、混乱そのものに見える世界と、それに翻弄される人生に、意味が見出せるのではないか。

 土台になっている「何か」がある――まずは、そう考えてみよう。無理でもいいのです。考えるだけでも、やってみる。混沌の渦を巻く全ての事象が説明できる、「一つ」のもの。それがなんだかは分からないけれど、それがあるものだと思ってみて、それに「ト・ヘン(ひとつ)」と名付けてみよう。

 こんな混乱した中で、全てを統一的に説明できる「ト・ヘン(ひとつ)」ということを考えてみる。そんなことができる、ということは、何を意味しているのだろう。「ト・ヘン」を考えている、ということは、「ト・ヘンを捉える理性」が存在することを意味している。

 こんなに混乱した中で、「ト・ヘン(ひとつ)を考える理性」があるとすれば、私は異常なのだろうか?――そうでもない。私の精神は混乱していないで統一を保っている。ということは、「ト・ヘンを考える理性」から「精神」が混乱しない形で生み出されていると言える。

 「ト・ヘン(ひとつ)」は、統一した精神に保たれた理性によって捉えられている。私はそれを、はっきりとはしないけれど、ぼんやりしたカタチでイメージすることができる。ぼんやりカタチをもつイメージを、ギリシャ哲学では形相(イデア)と言います。

 こうして、「ト・ヘン(ひとつ)」といことを考えた瞬間に、世界は変わって見えてきます。「ト・ヘン」から「理性」が、「理性」から「精神」が、「精神」から「ぼんやりしたカタチ(形相)」が、流出してくる。そこまで来れば、あとは、イメージの中に生まれた「カタチ」を実現して行けばよい。そうすれば、大混乱を治める事も、できるだろう。

 以上が、プロティヌスの哲学です。これは、とても難しいことのように思われるかも知れません。でも、そうでもないのです。そして、これが分かりますと、「一つ」への憧れが、理解できるようになります。すこし、具体的な例を出して考えてみます。

 私の母校は、立教大学です。でも、立教は100年以上の歴史があり、学部もたくさんあるし、小学校から高校まで、学校もさまざまにあります。立教らしさなんて、本当は、ないのかもしれない。みんな、立教を卒業したひとりひとり、あるいは、そこに働くひとりひとりは、実際、バラバラなのかもしれません。でも、「立教」を「ひとつ」と考えてみると、見え方が変わってきます。「立教」という「ひとつ」のものがあると、考えてみる。そうすると、「立教」という「ひとつ」のものは、「歴史」の流れの中に確認されるだろう。その「歴史」を見てみると、そこには「建学の精神」が見えてくる。そしてその精神は、「組織」によって設計され、カタチをイメージされる学校となる。その「組織」の末端に、卒業生として、私はいる。

 「ト・ヘン」としての「立教」を置いた瞬間に、「理性」としての「歴史」が見出され、「精神」としての「建学の精神」が思い出されて、「形相」としての「組織」が見えてくる。このようにして、「ト・ヘン→理性→精神→形相」という一つの流れは、混乱してバラバラになりがちな世界や人生を、統一したものとして把握する手助けになるのです。これが、「哲学」というものの面白さです。

 大切なことは、大混乱の中であればこそ、「ひとつ」への憧れが昂じたということです。混沌とした中で、人は「ひとつ」に憧れる。そして、その憧れに応えるようにして、「唯一の支配者」が「一神教」を携えて現れた。そうして、ローマ帝国はキリスト教の帝国に変わっていった。
 以上、今回は、「一神教」であるキリスト教がローマ帝国に受け入れられた思想的背景を御案内したのでした。



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