仙台散歩 : 大崎八幡宮から蟹子沢跡歩道を通って石切橋へ その2
【続き】Photo D 八幡宮裏の変則5差路。(2014/8/27 6:11) 大崎八幡宮の北参道を抜けて出たところに5差路がある。信号のある一番広い道は、作並街道(国道48号)から北に登ってきて、子平町、国見に向かう道である(Photo Dの左の道)。 右の細い道に入る。Photo E1(左) 龍寳寺墓地が見え出す道。(2014/8/27 6:14)Photo E2(右) 龍寳寺墓地が終るあたりの道。(2014/8/27 6:17) 住宅地の緩やかな坂を少し上ると、右手に墓地が現われる。道脇に龍寳寺の墓地の看板が建てられている。地図で見ると、龍寳寺と墓地の間に第一中学校があって、寺とはだいぶ離れている。 墓地からは緩やかな下り坂になる。Photo E3(左) この先の住宅地に蟹子沢跡が。(2014/8/27 6:20)Photo F1(右) 蟹子沢跡の歩道入口。(2014/8/27 6:22) 龍寳寺の墓地から200mも行かないところで左折する。細い道だが商店が数軒ある。この道の先で、蟹子沢跡の道が交差しているはずだ。前を小さな愛玩犬を連れた散歩人がいて、そのチワワがイオをとても気にして怖がる様子なので、あまり近づかないようにゆっくりと歩く。 チワワに気をとられて、蟹小沢跡の歩道の入口を危うく通りすぎるところだった。それほどあっさりした専用歩道である。 東京の街歩きでよく見かける埋め立て地の緑地歩道には、どうだとばかりにたくさんの木や花が植えられ、歩道には煉瓦が敷き詰められていたりするが、この道は普通のアスファルトが敷かれ、10mに1本くらいの割合で左右交互に小さな木が植えられているだけである。「田舎の都会」らしい素朴な道だ。Photo F2(左) 蟹子沢跡の歩道(1)。(2014/8/27 6:23)Photo F3(右) 蟹子沢跡の歩道(2)。(2014/8/27 6:24) 歩道はずっと下り坂で、左右の住宅は1~2m位の土留めの上に建てられていて、この道が沢の跡を埋めたということがよく分る。緩やかな坂道を、右左にわずかに曲りながら歩くのはとても快適な散歩だ。Photo F4(左) 蟹子沢跡の歩道(3)。(2014/8/27 6:25)Photo F5(右) 蟹子沢跡だが一般道。(2014/8/27 6:26) 沢跡歩道に入って5、6分程度で一般道を横切る。その一般道を越えた先はもう専用歩道ではない。この道は見覚えがある。横切った一般道から折れて春日神社に行ったことがあるのだ。つまり、Photo F5の道の先、左手が春日神社なのである。Photo G1(左) 春日神社の社。(2014/8/27 6:27)Photo G2(右) 春日神社の参道と鳥居。(2014/8/27 6:30) 春日神社があるこのあたりはかつて覚性院丁と呼ばれていた。境内にその由来が書いてある。伊達藩二代の頃、廃れていた古くからの寺、覚性院(かくしょういん)を小田原に再建したが、後にこの地に移された。春日神社も境内に移されたが、明治の廃仏毀釈で神社だけが残ったという。 春日神社正面の石段前を細い道が横切っている。この道は、藩政時代の「四ツ谷用水」跡の道である。つまり、春日神社の横で、蟹子沢と四ツ谷用水は立体交差しているのである。当然ながら、四ツ谷用水が上を通っている。古地図にはそんな風に描かれている。Photo H 石切橋。(2014/8/27 6:31) 春日神社の参道から出ると、その道はいわゆる「覚性院丁」通りである。その道を西に少し行くと石切橋がある。この橋は何度も散歩で渡っているが、蟹子沢に架かっていた橋だということを今日初めて知ったのだ。 石切橋を越えたあたりは石切丁と呼ばれていて、仙台城建設時の石工が住んでいた。橋を越えて八幡町通りへ出る道は「石切丁」通りである。Photo I1(左) 石切橋から再び蟹子沢跡の道。(2014/8/27 6:32)Photo I2(右) ここも蟹子沢跡の一般道。(2014/8/27 6:33) 石切橋に接して数段の階段(覚性院丁)を越える道がある。この道も蟹子沢跡の道で、大正元年の地図ではここから下流は崖(渓谷)として描かれている。しかし、八幡町通りの北側の蟹子沢跡は、現在ではほぼ完全な平地である。 一方、八幡町通りの南には渓谷地形が残されている。八幡町通りから広瀬川の澱橋へ下る道は盛り土道で渓谷を越えるが、その左右の谷底にはマンションや住宅が並んでいる。尚絅学院はその谷と広瀬川に挟まれた半島(岬)のような地形の上に立っている。 Photo I3(左) この道も蟹子沢跡。(2014/8/27 6:36)Photo I4(右) アパートの通路を抜ける。(2014/8/27 6:36) 道は急に直角に折れ、八幡町通りに平行する道になる。まっすぐな道は人工的な感じがするが、もともと蟹子沢の谷がこのあたりではまっすぐだったのだ。 そろそろ散歩の切り上げ時だと、イオの足取りが教えてくれる。まっすぐな道を進むと八幡町通りをかなり戻ることになる。地図では八幡町通りに出る道はずっと先にしかないのだが、アパート(マンション?)の通路の向こうに大通りが見える。そこを通り抜けさせてもらった。Photo J 弥勒院。道向かいにその墓地。(2014/8/27 6:37) 八幡町通りをパーキングに戻る途中に墓地がある。道向かいにある弥勒院の墓地だ。弥勒院の塀には如来、観音の小さな仏像が飾られていて、この道の散歩の時にはいろんな仏様の顔を見ながら歩くのである。 大崎八幡宮の境内では駆け出すほどに元気だったイオは、パーキングに着く直前には二度ほど立ち止まって私の顔を見上げている。疲れたのだ。パーキングに着いたら、わらわらと助手席に這い上がった。撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。