仙台散歩 : 「11月30日 脱原発みやぎ日曜昼デモ」 原発は アベもろともに さようなら
紅葉の美しい良覚院丁公園。(2014/11/30 14:04~05) 今日の集会は二度目の良覚院丁公園である。良覚院という寺の庭園跡で、写真の白壁の向こうには「緑水庵」という茶室があって、池泉回遊式庭園が残されている。 紅葉の季節は終わりかけているが、良覚院丁公園のモミジはマツやケヤキの大樹の陰になるせいか、遅めだが紅葉のまっ盛りだ。この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女 [1] 紅葉を見ると必ず思い出す三橋鷹女の句だ。「なるべし」は単に必然を語っているのか、それとも決意だろうか。女性が持つ情念の勁さとしか言いようがないものがあると、私はいつも思うのだ。成し遂げねばならぬことがある。成就させねばならぬ想いがある。思想によって支えられる意志もいいが、情念に駆り立てられる意志もいい。石の上秋の鬼いて火を焚けり 富沢赤黄男 [2] 鬼となり、鬼女となってやらねばならないことが私たちにはある。アピ-ル力抜群の大ハッピと小さな小さな意思表示。(2014/11/30 14:08) 集会では毎回参加している人が真っ赤な「再稼働反対」ハッピを着ていて、参加者の眼を奪っている。とても背が高い人なので、立派な脱原発の赤鬼となっている。かと思えば、会場の一角には「脱原発成就」の小さなシールが貼られたドラムが置かれてある。大きくても小さくても志は一つ。熱唱するサトロさん、スピーチする大内真理さん。(2014/11/30 14:09、14:15)集会風景。(2014/11/30 14:23) 集会は、亘理町在住のシンガーソングライターのサトロさんの「ありがとう!さよなら!原子力発電所」(作詞、作曲:リクオ)の熱唱で始まり、いつもコールを担当してくれる大内真理さんのスピーチもあった。仙台高等裁判所前交差点。(2014/11/30 14:37) 良覚院丁公園を出発したデモは、しばらくの間、大内真理さんのコールに声を合わせて進んだ。仙台高等裁判所前を過ぎ、南町通りから一番町に向かう。 一番町に入って。(2014/11/30 14:45~46) ネットは総選挙の話題一辺倒になりつつあるが、脱原発はそのまま政治思想の問題である。経済のためには福島の犠牲に眼をつぶる思想と、どんな命も等しく大事に思う思想とのバトルである。FBに目を惹く標語があった。 原発は アベもろともに さようなら 大賀実恵子さんの投稿である。大賀さんの投稿したポスターの標語もいい。原発 危険アベが危険棄権も危険 フクシマ以降、どんな政治家も「脱原発依存」だとか「2030年には」だとか、ごまかしとはいえ積極的な原発推進は言えない状況が生まれたのに、安倍自民党政権はあっさりと積極的な原発再稼働にひっくり返してしまった。 他の政治イッシュウもそうだろうが、今や、原発問題における最大の危険因子は安倍的政治思想であることは、疑いようがない。 銀杏並木の広瀬通り。(2014/11/30 14:58~15:04) 一番町から広瀬通りに曲ると、イチョウの並木もだいぶ葉を振るい落としている。デモの列が歩く車道の端には吹きだまりのようにイチョウの葉が重なっている。 デモの翌日の朝日歌壇に次のような投稿短歌が選ばれていた。銀杏(ぎんなん)の熟れて落ちたる実を踏みて金曜デモへ茱萸坂(ぐみざか)を上がる (東京都)白倉眞弓(永田和宏選) 「茱萸坂」とはどこだろうとググったら、日比谷公園から国会議事堂前を通って首相官邸前に上って行く坂のことだった。東京でもこの仙台でも、銀杏の実、黄落の葉を踏みながらデモ人は行くのである。 季節は違うけれども、私も何度か茱萸坂を上がって行ったことがある。青葉通りの欅並木も黄落も進んで。(2014/11/30 15:12) 1ヶ月前の日曜昼デモも良覚院丁公園からのデモだった。まったく同じコースを歩いて、晩翠通りから青葉通りに曲ったとき、上の写真とほとんど同じ構図で写真を撮ったのだが、欅の落葉はほとんど見られなかった。なのに、今日は枝に葉を残す木の方が少なくなっている。季節の移ろいは容赦がないのだ。 大通り(国道4号)を渡る頃には小雨が。(2014/11/30 15:25、15:26) デモが大通りにかかる頃、小雨が降り出してきた。傘を取り出して、前を歩く人に差し掛けてあげるご婦人もいたが、たいていはそのまま歩き続けた。しぐるるや道は一すぢ 種田山頭火 [3] 雨が降っても降らなくても、デモ人はまっすぐ歩いて行くしかないのである。 [1] 『わが愛する俳人 第一集』(有斐閣 1978年)p.109。[2] 『わが愛する俳人 第一集』(有斐閣 1978年)p.212。[3] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年)p.189。