街歩き・東京:「8・30国会10万人・全国100万人大行動」 その2
【続き】 国会エリア内のアプローチできるぎりぎりの範囲は歩いたし、それにそろそろ開始時間の14:00になるので、声を上げる定位置を決めなければと思いながら国会前庭を横切って行った。 できるだけ正門に近い場所へ行こうと柵越しに眺めると車道にけっこうな数の人が出ているではないか。決壊したのだ。決壊しているのにまだ頑張る警察官。 (2015/8/30 13:55) 車道は広場に変わった。(2015/8/30 13:59~14:01) 思わず急ぎ足になって公園出口付近でまわりの人と一緒に柵を越えようとしたら、近くにいた警官が制止に来た。もう少しというところで私服(公安?)がやってきて膠着状態になったが、「上が開いてるよ」と教えてくれる人がいて、7、8メートル上で車道に出た。 社会学者の北田暁大さんが「「あの日あそこに居なかった」と後悔したくないから、いくね。」とツイートしていたのがとても印象的だったが、規制線が決壊して「国会前広場」ができあがった時が「あの日」の「あそこ」の象徴的な瞬間として思い出される日が来るのではないか、などと考えながら人混みの中に入っていった。地下鉄の切符に鋏いれられてまた確かめているその決意 (III ・5月13日・国会前) [1] 装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている [2] 時代は変わり、今日は踏みつける装甲車はないのだが、この二首は55年前の60年安保闘争を闘い、その年の暮れに自死した学生歌人、岸上大作の歌である。今日のこの日を詠む歌人や詩人もきっといるに違いない。群衆の中で声を上げながらそんなことも考えていた(「群衆」という言い方も古いな。ボードレールか朔太郎の時代みたいだが)。 少しずつ前へ。 (2015/8/30 14:13~15) しばらくは近くであがるコールに応えて声を上げていたが、スルスルと前方や後方に移動している人がいる。びっしりと人が詰まっているように見えるが、人が移動できる見えない筋があるようだ。 私も前方へ少しずつ移動して、最前線のコールが合わせられるところまで辿りついた。仙台でもSEALDs_TOHOKUが主催するデモが2回あったので、すこしは慣れているテンポよい若い人のコールが続く。 しばらくはコールに声を合わせていたものの、後方の様子が見たくなって、そろそろと後退を始めた。 後方に続く人たち。(2015/8/30 14:30~15:13) 最初に車道に出たときに聞こえていたコーラーのグループがいた。若い女性がマイクを握っている。移動するにつれ、適当な距離を置いてコーラーのグループに出会う。後方に行くほど、コーラーのまわりのスペースに余裕が出て来る。満杯の国会前庭(北地域)国会正門近く。(2015/8/30 15:29) 人と人の間に余裕ができて歩きやすくなった頃から、雨がポツポツと降り出し、傘を差す人が増えだした。さほどの降りではなかったが、カメラが心配になったので、前庭公園(北地域)に入って、レインウエアの上衣だけ着て、カメラを隠せるようにした。 本部前でスピーチが始まった。13:00前には10人ほどしかいなかった本部よりの公園敷地内ではたくさんの人がスピーチに耳を傾けている。「国会前広場」最後方でコール。(2015/8/30 15:39) 「国会前」交差点越しに見る「国会前広場」。(2015/8/30 15:44) 私はスピーチを聞くのを諦めて、国会エリアから日比谷エリアに向かった。六本木通りから国会正門前までは完全に「市民広場」化しているのはよく分る。ただし、警察車両と鉄柵で囲われてはいるが…… 「霞ヶ関1丁目」交差点付近の抗議集会。(2015/8/30 15:54) 内堀通りを「桜田門」交差点に向かうが、歩道が狭くなかなか前に進まない。地下鉄桜田門駅への階段口を過ぎると急に人が減る。帰り足の人だけでも大人数なのだ。 警視庁を迂回するように桜田通りを南下する。「霞ヶ関1丁目」交差点から国会議事堂に向かう道の両側で集会をしている。「安保関連法案に反対するママの会」のスローガンの「だれの子どもも殺ころさせない」という看板を掲げた街宣車の前で女性がスピーチをしている。 「霞ヶ関2丁目」交差点付近の抗議集会。(2015/8/30 15:57、58) 日比谷公園西幸門前。(2015/8/30 16:03、04) 日比谷公園霞門前。(2015/8/30 16:07) 「霞ヶ関2丁目」交差点の角(脱原発テントの斜め向かい)でも人が集まって、よく見えないがその集団の中でスピーチをしている人がいる。 日比谷公園まで下って行くと、西幸門の前に大勢集まって街宣車の上でしている辺野古基地建設反対のスピーチを聞いている。日比谷公園の中にもたくさんの人がいるようだ。 「霞門」交差点を大勢の人が渡っていて、日比谷公園霞門付近は地下鉄駅へ下る人と上がって来る人でごった返している。帰る人もこれから参加する人もたくさんいるのだ。 さて、わたしはそろそろ体力の限界、というわけでもないが、これから仙台に戻って家庭の仕事も少しはやらなければならないのである。東京駅に向かう。 [1] 岸上大作「意思表示」『現代短歌全集 第十一巻』(筑摩書房、1981年) p. 292。[2] 同上、p. 291。