仙台散歩 : 「9月27日 脱原発みやぎ日曜昼デモ」 核分裂と予言不可能性!
9月19日未明に参議院で戦争法案が強行採決されるまで、脱原発金デモに加えて、仙台ばかりでなく東京にも出かけて法案反対のデモや抗議行動に加わった。 東京のホテルで強行採決のニュースを聞いて、ふっと「この辺で息継ぎをしないと」と思ったのだった。終わりの始まりというより、国会前に集まった無数の人びとを見ていると、何かが始まったように思えた。みんなと一緒に始める前に、深く息継ぎをしておく必要があると思ったのである。 なのに、息継ぎどころか、熱を出して寝込んでしまった。いや、一仕事終えると熱を出して寝込むことが現職のときの習いのようだった私にとって、これが息継ぎなのかもしれない。 寝込んでいるあいだ、アーレントの『過去と未来の間』という本を読んだ。国会前に出かけるときもザックに放り込んで読み継いでいたのだが、読み残しているところも読み返さなければならないところもたくさんあった。収められている8編の論考は、プラトンから現代までの政治哲学を縦横に駆使しているので、熱っぽい頭にはなかなか手に負えないのである。 人間の自然に対する態度を「制作」と「行為」から考察した後に、アーレントはこう書いている。 人間の行為とは人間を起点とする諸過程を伴うものであるが、こうした人間の行為はわれわれの時代を迎えるまで、人間の世界のうちにとどまり、また、人間が自然に抱く主要な関心は、自然を制作の素材として用い、それをもって人工のものを建設し、この人工のものを自然のエレメントの圧倒的な諸力から守ることに尽きていた。ところが、人間自身の手になる自然過程を開始させた――核分裂はまさに人間が作る一つの自然過程にほかならない――とき、われわれは、自然に対する自らの力を増大させ、地球に与えられた諸力を扱ううえでいっそう攻撃的になっただけではない。われわれはその瞬間に、自然を初めて人間の世界そのもののなかに導き入れ、これまでのあらゆる文明を拘束してきた自然のエレメントと人工のものの間にある防衛戦を取り除いてしまったのである。 先に言及した人間の行為の諸特徴が人間の条件の核心をなすと考えれば、自然のなかへと介入する行為がいかに危険であるかは明々白々である.予言不可能性は見通しの欠如ではない。人間の事例をいかに工学的に操作しようと、この予言不可能性をけっして除き去ることはけっしてできない。それはちょうど、いかに実践的な思慮(プルーデンス)を訓練しても、為すべき事柄を知りうる知恵(ウィズダム)に達しえないのと同じである。予言不可能性をうまく処理する望みが出てくるとしたら、それは、行為を全面的に条件づける場合、すなわち行為を全面的に廃棄する場合だけだろう。 [1] これは1958年に発表された論文の一節である。政府や東京電力が言う「想定外」などという話ではない。核分裂という自然過程を人間の行為として始めることで人間社会に持ち込んだ予言不可能性を処理する方法は、その行為を廃棄するしかないと断言しているのである。 原発のどこそこが危険で、どれどれは安全、などという細々した話ではない。ギリシャ哲学から現代思想まで動員して考え抜いた「人間の行為の諸特徴」から、原発を廃棄するしかないのだ、というのがアーレントの結論だ。 そのアーレントの言葉を抱えて、今日も脱原発デモに出かける。まだ熱っぽいのだが、寝ていることに十二分に飽き飽きしていた。 集会@肴町公園。(2015/9/27 14:30、32) 集合時間の午後2時の段階での集まりはさほどでもなかったが、45人の参加者になった。私のようなデモ疲れの人はあまりいないようだ。 今日初めて参加したという若い女性は、安保法制反対のデモに出かけて、ダメなものはダメだと主張することの大事さを知ったと話していた。この若い人にも「始まったもの」がある。安倍自公政権は、私たちのなかに確実に「何か」を始めさせる契機を作ったのである。 フリー・トーク。(2015/9/27 14:15~29) 主催者挨拶の後、11月23日(月)12:30から開催される「市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」の告知があった。二人の元東芝の原発技術者をパネラーに迎えてのシンポジウムは、仙台市情報・産業プラザ 多目的ホール(500人収容)で開催される。 また、この秋には宮城県議会選挙があるが、「脱原発市民会議」では先の仙台市議会選挙と同様に県議候補者全員に原発への姿勢を問うアンケートを行なうので、アンケート結果をきっちりと検討して選挙に臨んで欲しいというスピーチがあった。 福島裁判などへの署名の案内の後、映画『首相官邸の前で』の紹介、告知があった。3・11の後、首相官邸前ではずっと原発再稼働に反対する抗議行動が続いているが、それにずっと関わってきた慶応大学教授の小熊英二さんが監督したドキュメンタリーである。小熊さんは、この一連の抗議活動、デモから民主主義への運動の質が変わったと考え、「現代日本に実在した、希望の瞬間の歴史を記録」した映画を作った。10月24日(土)に桜井薬局セントラルホールで11:00、13:30、17:00の3回上映される。 最後に、いつも金デモに参加されているシンガーソングライターの苫米地サトロさんが新作を披露され、参加者全員の手拍子で盛り上がって、その勢いでのままデモは出発した。 肴町公園から国分町通りを越えて。(2015/9/27 14:39、41) 一番町に入って。(2015/9/27 14:45) 肴町公園を出て、国分町通りを横切り、歩行者専用の一番町に出る。そこではさまざまなイベントが催されていて、デモはそれを避けながら(たいていは左寄りですり抜けて)一番町を北に向かう。 広瀬通り、いつもとは逆に。(2015/9/27 14:46)今日のコーラー。 (2015/9/27 14:47、49、15:00) 1番町をさらに北へ。 (2015/9/27 14:47、49) 前回の肴町公園出発のデモでは広瀬通りを左折したが、今日は広瀬通りを渡って、一番町をさらに定禅寺通りまで進み、そこで左折する。広瀬通りを過ぎても、あいかわらず所々で何かしらのイベントをやっている。 定禅寺通りを西へ。 (2015/9/27 14:55、57、59) コールの声を上げながら定禅通りに出て左折すると、中央分離帯歩道でジャズの演奏をしている。それに気付いた私たちのデモは、急遽サイレントデモと化した。そのことに気付いた主催者らしい人がこちらに謝意を表するようにお辞儀をしている。 一番町から西に向かう定禅寺通りは、市立図書館のあるメディアテークや市民会館が先にあるせいか人通りが絶えない。四列の欅並木が並ぶ定禅寺通りから、左折して晩翠通りに入ると並木は銀杏に変わる。欅の定禅寺通り、銀杏の晩翠通り。(2015/9/27 14:59、15:03) 晩翠通りを行く。 (2015/9/27 15:05、06、06)ふたたび広瀬通り。(2015/9/27 15:11) 仙台はもう秋だが、黄葉の遅い銀杏並木はまだまだ緑のままである。やや人通りの少なくなった晩翠通りを南に進み、広瀬通りを越えればまもなく出発点の肴町公園である。 今日は一番町を定禅寺通りまで長く歩いたので、周回コースのデモである。これまで金デモで使われた集会場所は、多い順に挙げれば、勾当台公園、錦町公園、元鍛冶丁公園、肴町公園、東北大学北門、良覚院丁公園だが、デモの最終地点に使われたのは肴町公園だけである。 肴町公園は、いつもの解散場所の青葉通り仙都会館まえより半分の距離でわが家に辿りつくので、個人的には大歓迎である。とくに、今日はまだ熱が下がっていないので、とても助かった。 [1] ハンナ・アーレント(引田隆也、齋藤純一訳)『過去と未来の間』(みすず書房、1994年) pp. 78-79。