「1月26日 脱原発みやぎ金曜デモ」 寒気を突き抜け、コールは響く!
二日続けて朝の散歩に出かけなかった。朝の6時から7時くらい、日の出の直前がいちばん冷え込むのだが、昨日はマイナス10度の予報に怖れをなして読書の時間に替えるという言い訳で散歩を取りやめた。今朝はマイナス4度とたいしたことはなかったのだが、脱原発デモで街を歩くのでやはり読書タイムに振り替えたのである。 とはいえ、さほど読書が進んだわけではない。国分功一郎著『中動態の世界』を読み終えたタイミングで、うまい具合に面白そうな本を3冊、市立図書館で見つけることができた。 その1冊目の1行目を読んで、前に読んでいたことを思い出した。パソコンには抜き書きの記録も残っていた。こんなものである。同じ本を買ってしまうこともあるのだが、図書館からの借り出しだったのがせめてもの救いである。ちなみに、その本はジョルジュ・アガンベンの『瀆神』である。他に、リュディガー・ザフランスキー著『人間はどこまでグローバル化に耐えられるか』と、菅香子著『共同体のかたち』を借りてきた。 菅香子さんの本は、美術の変遷と共同体の歴史的変化を論じていて、マネの絵画の歴史的意味を論じるフーコーや、アガンベンを取り上げつつアウシュヴィッツの表象の不可能性などから現代美術が表象から展示(エクスポジション)へ変わることに言及している。 まだパラパラとめくってみただけだが、ほかにハイデガーやジャン=リュック・ナンシー、ベンヤミンも取り上げたうえで、芸術における表象と共同体の相関を論じているらしい内容に大いに惹かれて、散歩に優先させたのだった。まあ、あまり読書は進まなかったが、うまい言い訳にはなった。勾当台公園から一番町へ。(2018/1/26 18:19~18:39) 昨日のうちに主催者から「寒波が厳しいので無理をして参加されないように」という趣旨のメールが回ってきていた。にもかかわらず、それなりの人数が集まっている。最終的には25人の参加者になっていた。 参加者はもちろんほとんど見慣れた顔ばかりだが、なんとなくいつもより平均年齢が上がっているように見える。凍結路面の心配から高齢者の参加見合わせが多くなるだろうという予想は微妙に外れている。お知らせがメールだったせいだろう。メーリングリストに登録しているメンバーの平均年齢は、いつもの参加者の平均年齢より低いのである。通信手段の世代間格差は厳然としてあるのだ。 公園は積雪、道に出れば舗装は圧雪または凍結、車道はほぼ雪は消えている。近代都市では、人間のためではなく車のために道が維持されている。除雪車も融雪剤散布車も幹線道路だけしか通らない。 除雪車は歩道側に雪を寄せるのだが、そこが横断歩道でもおかまいなしである。歩行者は除雪車が寄せた雪山を越えて車道にでてもう一度雪山を越えて向こうの歩道に上がるのである。老人には至難の道となる。資本主義的合理性は人に優しくないのである。こういう面でも「強欲資本主義」という言葉が浮かんでくる。一番町(1)。(2018/1/26 18:44~18:50) 勾当台公園から定禅寺通りを越えるところまでは雪のない車道を歩く。一番町に入ると、車が通らないので人が踏み固めた圧雪となる。 デモの列の写真を何枚も写すのだが、どの写真もみんな俯いて歩いている。滑りやすい足下を注意しているのだ。信号待ちで立ち止まったときだけ、顔が上がっている。 滑りやすい道と寒さはそれなりに辛いのだが、キーンと冷えて澄みきった空気は脱原発コールの声を遠くまで運んでくれるような気がする。厳しい空気が行いを正しくさせ、応援してくれるような気になってくる。そんな都合のいいことを思ったりするのだが、たしか高村光太郎にそんな感じの詩があったような気がする。一番町(2)。(2018/1/26 18:52~18:56) 滑らないように歩幅を狭くして注意深く歩いてきたが、一番町も広瀬通りを越えると全天型のアーケードになる。デモ人の歩きはどこかゆったりとなる。気のせいかもしれないが、コールの声もゆったりとした感じがするのだ。 今日の市民への呼びかけに次のような一文があった。 みなさん、女川町や石巻市などでは、女川原発での事故を想定した避難計画が策定されつつあります。女川原発30キロ圏からは21万人もの人が避難する計画です。仙台市には石巻や東松島から、6万人が避難します。 しかし、地震や津波と、原発事故が重なった「複合災害」の場合は「受入れは難しい」というのです。はたしてこれで、被ばくを回避して避難することなどできるのでしょうか? また、避難所の運営は避難元の自治体が行うというのですが、27市町村に分散して避難する石巻市が、その全ての避難所を運営することが、果たして本当にできるのでしょうか? 東日本大震災を経験した私たちにとって、この避難計画が絵に描いた餅であることは火をみるより明らかです。被災の経験者だからこそ原発を止める義務が私たちにはあります! 原発事故からの住民を避難させるというのは、いわば不可能への挑戦と言うしかない。これは以前に書いたことだが、ジャーナリストの取材に原子力規制庁の「担当課長は「『周辺住民の被曝やむなし』に避難政策を転換した」とあっさり認めた」というのである。 いま、県が作成している避難計画というのは、あたかも被曝せずに避難できるように装われているが、すでにその前提を国は捨てているのである。「被曝やむなし」と認めてしまえば、どんなずさんな避難計画でも構わないということになってしまう。政府はそんなことを承知で避難の計画を作れと自治体に強要している。そんなふうにしてでき上がる避難計画が(上の「呼びかけ」が明らかにしているように)無理筋を強引に押し付ける結果になるのは当然と言えば当然なのである。青葉通り。(2018/1/26 18:57~19:06) 青葉通りではふたたび車道を歩く。片道3車線の道だが、部分的にデモが歩く歩道側の車線に凍結した雪(ほとんど氷)が残っている。お巡りさんが氷のない車線に誘導してくれる。そう言えば昨日の主催メールには、警察署の担当者がスリップして突っ込んでくる車のことも心配していたということも記されていた。 デモが終わり、歩いて帰る。寒いので地下鉄で帰るということも考えたが、デモを歩くという理由で朝の散歩をさぼったので、そうもいかないのだ。さいわい、歩いていれば、寒さはそんなに気になるわけではない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺