「1月14日 脱原発みやぎ金曜デモ」 原発に執着する自公政府が日本の壊滅的経済危機を準備している!
「このままでは、最大で100万人の雇用と、15兆円もの貿易黒字が失われることになりかねない」──。東日本大震災から10年を迎えた3月11日、豊田氏は日本自動車工業会(自工会)会長として記者会見に臨み、そんな衝撃的な試算結果を公表した。 こんな「衝撃的な」記述が導入部に記載された記事があった。「出遅れれば雇用も貿易黒字も失う 再エネを使い尽くせ 本腰入れる需要家」という『日経ビジネス』の記事である。 普通に考えれば、「衝撃的」には違いないが、私には「新しい資本主義」などという無内容な頓珍漢ぶりを披露している岸田自公政府(とのその周辺)がほんとうに衝撃をもって受け取っていると思えないのである。 要するに、再生可能エネルギーへの転換が遅れている日本は脱炭素化へと進む世界から孤立するだろうというのである。二酸化炭素排出量をベースにした国際規制の検討が着々と進んでいて「自動車の場合、燃費規制はもちろん、原料の採取から、部品の製造、自動車の生産、廃棄・リサイクルに至るまでが対象となる」ので、脱炭素化が進まない日本の自動車には関税をかける「炭素国境調整措置」の導入が検討されているのだという。そうなれば、貿易黒字も雇用も失われるだろうという記事である。 日本の脱炭素化の遅れ(再生可能エネルギーへの転換の遅れ)の原因ははっきりしていて、次のように書かれている。 「『原発さえまた動き出せば巻き返せる』という甘い見通しに立ち、10年前に再エネの主力電源化を本気で目指さなかったツケが今、回ってきている」。エネルギー政策に詳しい識者は奥歯をかむ。「絶対に安全だ」と長年にわたり国や電力事業者が言い立ててきた原発が未曽有の事故を起こし、国民からの信頼は地に落ちた。もちろん基幹電源を、出力が変動しやすい再エネに置き換えていくことは容易ではない。だが、「原発事故を契機に、エネルギー政策のパラダイムシフトを果たしていれば、世界の脱炭素競争における今の日本の立ち位置は変わっていた」(大手首脳)。そう考える財界関係者は少なくない。 原発に執着した自公政権(と通産官僚)が日本経済の壊滅的危機への道筋を準備してきたのである。国内での新規建設が無理だとわかると、安倍政権はやっきになって原発輸出を試みたが、完璧に失敗した。何も変えることができないこんな無能な政府を国民はいつまで支持し続けるのだろう。 とても面白いことだが、この記事は、自公政府の政策に批判的なメディアではなく、『日経ビジネス』に掲載されているのである。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2022/1/14 18:20~18:39) 風が吹くたび寒さに震えあがる。予報気温はそんなに低くはないのに、風のせいか元鍛冶丁公園はとても寒い。手袋をしていてもカメラを持つ手がかじかんでくる。 30人が集まった集会では、アメリカ合衆国の高速増殖炉開発に日本が技術協力をするというニュースが話題になった。スピーカーは、「もんじゅ」で失敗したのにいまだに高速増殖炉に執着する日本政府を強く批判したが、このニュースは冗談ではないかと思えないこともない。 高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」の運転に完全に失敗したので、日本の高速増殖炉に関する技術は実験炉「常陽」のレベルにとどまっている。原発の開発は、実験炉、原型炉、実証炉、実用(商用)炉と進むので、道半ば以前に失敗しているのである。加えて、廃炉の決まった「もんじゅ」から核燃料を取り出す技術もないことが判明している。高速増殖炉を諦めきれない日本はフランスに泣きついたのだが、そのフランスも高速増殖炉の実証炉ASTRIDの開発から撤退してしまった。 そんな日本が高速増殖炉開発でアメリカに協力できるどんな技術を持っているのか見当もつかない。東芝のように、開発が失敗に終わった時の負債を押し付けられる(尻拭いをさせられる)のがせいぜいではないのか。そうなれば、日本の破滅的経済危機をいっそう加速させることになるだけだろう。一番町。(2022/1/14 18:40~18:45) 仙台の脱原発金曜デモは、2012年から続いているが、デモ開始から半年以上も経ったころデモそのものについて書いたブログがあった。「「2月15日 脱原発みやぎ金曜デモ」 くりかえしくりかえしの〈デモ〉から」 である。 「くりかえしくりかえし」のデモに出ていると、体も心もデモというちょっとした「非日常」に馴染んでくるようだ。デモも終盤にさしかかって青葉通りを歩いているとき、シュプレッヒコールで大口を開けていたらそのまま欠伸に移ってしまった。3,4回続けて欠伸が出たのだ。じつは、寒風吹きすさび、横殴りの雪の中の先週のデモの途中でも何回か欠伸が出ていたのである。 「だらしがない、緊張感がない」と一瞬は思ったのだが、そんなことはないのではないかと思い直した。年をとっても人見知りで、趣味が多くてもすべて一人遊び、そのような私が一人でデモに参加し始めたときは、それなりの心理的な障壁を乗り越える手続きは必要だった。それが今では、デモの最中に欠伸が出るほど、すっかり慣れてしまったのである。 要するに、「くりかえしくりかえし」で、私にとってデモは〈普通〉になったのだ、と思う。つまり、デモはもう日常である。「おはよう」と挨拶するようにデモをする。「お休み」という前にデモをする。思いっきり大げさに、かつキザに表現すれば、「反原発の肉体化」である(「血肉化」の方がいいかな)。肉体化した反原発は、そのまんまで反原発である。もうデモを歩かなくても反原発なのである。 ここまで書いてきて気付いたのだが、これはデモをサボる口実に使えそうな結論にもなっている。いや、サボるつもりは全くないのだが、これが文字通り「両刃の剣」ということか。(2013年2月5日) あの頃はほとんど休むことなくデモに参加していたのである。青葉通り。(2022/1/14 18:50~18:53) 手袋をしたままタッチパネルを操作できる、そんな手袋でそこそこの厚みがあるのに防寒性能が低いのかカメラを持つ手の冷たさが耐え難くなった。 デモが国道4号の大通りを渡るとき、地下道を抜けて先回りをするのが常なのだが、今日は大通りの手前から流れ解散場所に向かうデモの列を後ろから撮影して、そこでデモ参加を終わりとした。 手袋のなかで手を握りしめ、ポケット深く押し込んでの帰路は、当然ながら年齢に似合わない急ぎ足なのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)