「5月27日 脱原発みやぎ金曜デモ」 私たちは「民主的なマジョリティ」に安住しているのか?
終活を始めた。私の年齢で終活を始めるのは当たり前すぎて面白くもなんともないのだが、妻に睨みつけられるような終活を始めたのである。 若いころ、私は大酒のみだった。安い日本酒ばかりを飲んでいた。40歳のとき胃を半分ほど切除してからはなぜか日本酒を受け付けなくなって、それからの35年はワインばかりを飲んできた。 それが、死ぬまでにおいしい日本酒を飲んでおきたいととつぜん思い立ったのである。安くて大量に飲める日本酒から少しはおいしい日本酒を飲もうと思い始めたころに胃を切ってしまったので、日本酒がどれほどおいしいのか私は知らないままであることに気づいたのである。 ということで、おいしい日本酒を見つけること、死ぬ前にそれをきちんと飲んでおくこと、そんな終活を思いついたのである。 まず、宮城県の酒を片っ端から飲んで好みの1本を見つけて、ある店からあわせて一升瓶で10本ほど取り寄せて飲んだのだが、品切れ、入荷未定ということになった。その酒を売っている店をなんとかネットで見つけて12本ほど購入したのだがその店でも品切れ、入荷未定ということになった。 宮城県産の日本酒で私でもなんとか飲めそうな銘柄を見つけたものの、今は飲めないのである。これはただの偶然だが、その酒を造っている酒蔵は父が生まれた地にあって、購入できた2軒目の酒屋は私の生まれた故郷にある。宮城県産に限定して探せば、そういう偶然が生じやすいのは当然である。 あまり自慢もできない終活もこれまでと思っていたのだが、偶然入った飲食店で非常によく似た味の酒を見つけた。秋田の酒だが、今はそれを飲んでいる。日本酒の分類(吟醸酒、純米酒など)はいろいろあるが、私が見つけた二つの酒はまったく同じ製法、分類なのであった。 次は、ふつうに人に話せるような終活を始めるつもりだが、さて………。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2022/5/27 18:25~18:33) 5月下旬、まったく気分のいい夕方である。元鍛冶丁公園はまだ十分に明るかったが、集会が始まると微妙な夕暮れの気配が感じられるようになる。空に雲もないので、夕焼けもまた微かな気配だけである。 25人が集まった集会では、6月8日(水)11時から仙台地裁で開かれる「女川原発再稼働差止め訴訟」の第3回口頭弁論の告知があった。コロナ禍のため裁判の傍聴人の人数制限が行われてきたが、その制限がはずされることになってこれまでの倍の80人ほどが傍聴できることになったので、ぜひとも傍聴してほしいというスピーチだった。一番町。(2022/5/27 18:36~18:46) 2011年3月の東電1F炉心溶融爆発事故の翌年の7月から仙台の脱原発金曜デモが始まったのだが、その年の暮れに第2次安倍政権が誕生した。脱原発デモは脱原発をシングルイシューとして行われてきたものの、ずっと安倍政権の戦前回帰を目指しているとしか思えないファシズム満載の政策との対峙を内包しながら続けられた。 2013年12月には「特定秘密保護法」が成立してファシズム化の道が大きく開かれてしまった。その法案に反対する行動が仙台でも続いていて、11月21日にも集会とデモが行われた。その時のブログ(「「STOP! 秘密保護法 11・21全国統一行動INみやぎ」 集会とデモへ」)に次のようなことを書いていた。 さて、読み始めた(ジグムント・バウマンの)『コラレテラル・ダメージ』に次のような一節があった。「……私たちは長年にわたって、罪もないのにグアンタナモやアブグレイブその他の刑務所に収監され、秘密にされ、そのために相変わらず不運で、非人間的な状態におかれている囚人の存在を知っている。私たちがそのことを知っても、ときおり抗議のつぶやきが漏れるだけで、公然たる抗議につながることはめったになく、ましてや効果的な反対運動が起きることもない。私たち「民主的なマジョリティ」は、これらのすべての人権侵害が「彼ら」を対象にしたものであって、「われわれ」を標的にしたものではない、つまり、異なる種類の人間(「あなた方と私の間にいる彼らは本当の人間なのか?」)を対象にしたものであり、私たち普通の人間には、その影響は及ばないと考えて自分を慰めている。私たちは、ルター派の牧師でナチスの迫害の犠牲者であるマルティン・ニーメラー(一八九二—一九八四)が学びとった、次のような不幸な教訓を都合よく忘れ去ってしまっている――最初、彼らは共産主義者を連行したが、私は沈黙を守った。次に、彼らは労働組合員を追い回したが私は組合員ではなかったので、何も言わなかった。次に彼らはユダヤ人を追い回したが、私はユダヤ人ではなかった……そして次にカトリックを標的にしたが、私はカトリックではなかった……次に彼らは私を連行しようとした……しかし、そのとき、誰も私のために声を発しようとはしなかった。」 文字通りに、「特別秘密保護法」が成立した後の私たちは、ニーメラーの経験をそっくりなぞるように生きていくしかなくなる。 もっとも、自分ではなにもものを考えず、権力の命ずるままに生きたいのであれば、「私を連行しようとした」ということにはならないかもしれない。それはあきらかに奴隷の生き方だが……。(2013年11月21日) ファシズム化の動きが厳しくなる中で、ニーメラーの言葉を引用する言説が(SNSで)多くみられるものの、事態がよくなる気配はまだ見えていない。青葉通り。(2022/5/27 18:46~18:52) これから6月にかけて陽が落ちるのが最も遅くなる時期が続く。今日のデモも、ゆっくりと暮れていく街を通り抜けていくのである。こんないい時間に、脱原発への意思を明らかにしながら街を歩くのは、幸せと言えば幸せ、不幸せと言えば不幸せ、その微妙さに心が揺れる。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)