墓地で見る空(2025年3月25日)
彼岸が過ぎた21日の早朝にわが家の墓参りに行った。誰もいない墓地で、妻と二人だけのとても静謐な気持ちになっての墓参である。墓参りが終わって、「今日の空」を1枚と思って空を見上げると、雲が少しだけ出ていた。とくに感動的な空というわけではなかったが、墓地には電線も電柱もビルもなくて空が精いっぱい広がっているのである。まあ、空を撮りたければ墓地が行けばいいのだということに気付いたというわけである。ただし、空以外の夾雑物のある方が写真に物語性が加味されてそちらもいいのかもしれないのだが………。 今日は、仙台を出発して岩手県境に近い在所の墓に参り、引き返して仙台を通り越して県南(姉の嫁ぎ先)にある姉夫婦の墓まで行くのである。生まれ在所では2か所の墓地に墓があるので、宮城県を縦断して3か所の墓地で空の写真を撮ることができると張り切って出発したのだが、春霞か黄砂のせいで青いはずの空も白いはずの雲もどんよりしているのだった。 せっかくなので空の写真を撮ることは撮った。どんよりとした空も空には違いない。最初の2枚は21日のわが家の墓参の時に、次に生まれ在所の2か所の墓地で2枚ずつ、昼食を取った高速のSAで2枚、最後は姉夫婦の眠る墓地で撮った2枚の空の写真である。雲の景色を入れようと無理をして太陽光線からのフレアが入った写真もあったのだが、墓参りが本分と思ってわが身を慰めている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)