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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
平成7年1月17日、午前5時46分。私は、つくば市での研究会に出席するため6時に自宅を出る予定で、まだ居間でお茶を飲んでいた。テレビでの第1報は、逃げようとして軽傷を負った人が一人などというものだった。
車で家を出て、研究室のメンバーと落ち合い、東北道を南下しながらサービスエリアでテレビを探して地震情報を確認するのだが、なかなか判然としない。このとき、被害が甚大なほど情報伝達の手段も失われるということをしみじみ知ったのである。 もともと小規模な研究会だったのに、関西方面からの参加者が欠席だったので、あまり盛り上がらないまま研究会が終ったのだった。気落ちして、東北道を戻ってきた。それが、私の阪神・淡路大震災の日であった。 19年目の今日、阪神・淡路大震災から16年たって起きた東日本大震災がもたらした原発事故を契機に始まった脱原発デモに出かける。 地震国日本で生きていれば、それなりの覚悟はできているが、現代の地震では原発事故という人災事故を事実上避けられないことが明らかになってしまった。
しばらくぶりの勾当台公園集合である。定禅寺通りの「仙台・光のページェント」は西の西公園と東の勾当台公園も含むため、年の暮れにはデモや集会で勾当台公園を使用できないということらしい。
遅刻して野音前に到着、スピーチも後半であった。後半に限って言えば、東京都知事選に触れる人はいなかった。「脱原発」が争点となる選挙だとばかり思っていたのだが、当初「脱原発」を掲げて立候補表明していた人を多くの脱原発派の人は支持していたと思う。しかし、他の人が「脱原発」を掲げて立候補を示唆したら、「都知事選を脱原発シングル・イシュウで戦うのは間違っている」などと言い出したりしている。 私自身は、脱原発をシングル・イシュウとして運動することに賛成してデモに参加していて、先の総選挙もそうだったが、今度の都知事選も「脱原発」シングル・イシュウで戦って欲しいと強く期待している。原発の問題は、政治体制や社会制度の微調整的変革以前の「いのち」の問題で、先決的政治課題だと考えるからだ。
私は細川でも宇都宮でもいい、脱原発サイドが選挙で勝って欲しいのだ。選挙で勝ったら、次のステップで脱原発の質を問う闘いを始めればいい、と思う。「前にこう言った」とか「昔はああだった」とか、脱原発派から脱原発派へのネガティブ・キャンペーンも始まっているらしいが、愚かで醜くいとしか思えない。 シングル・イシュウでの脱原発運動をやると決めた、あるいはそれに賛同したということは、政治党派や思想・信仰・宗教を問わないと覚悟したということだろう。いまさら、脱原発の「正統」を争うべきではない。私は、フクシマ以前に脱原発・反原発運動を行なっていた人々を左翼過激派だと罵り、蔑んできた人たち(とくに左翼党派の人々)をよく知っている。 コールはそれなりに大きな声で、それ以外は何も喋らない寡黙なデモは終った。最後に、かろうじて一人に別れの挨拶ができたという体たらくである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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