仙台で「在特会」の集会があるという知らせがあった。仙台市民会館で「在特会本出版記念講演会」をやるのだという。脱原発デモと重なる時間帯だが、場所もそんなに離れていないし、何とかなるだろう。そう思って出かけることにした。
「在日特権を許さない市民の会」、略称「在特会」あるいは「ザイトク」(これは、彼らの活動に強い抗議を続けている門真市議の戸田ひさよしさんの造語 [1] )が、東京や大阪で人種差別デモを繰り返していることはニュースやネット情報でよく知ってはいたが、仙台でも何がしかの行動を起こすとは考えていなかった(じつは前にも一度集会が会ったらしい)。
彼らは、在日韓国人・朝鮮人に与えられた「特別永住資格」が特権の最たるものだと主張して、他の外国人と同等の権利にすべきだという。歴史修正主義者がゴロゴロいる自民党政権といえどもその歴史的経緯から認めるしかなかった特別永住資格は、参政権も含めその他の権利を制限したまま在日の人たちの永住だけは認めるという差別の固定化に等しいもので、特権どころの話ではないのである。
しかも、特別永住資格という「特権」が成立した責任は、それを与えた「われわれ日本側にある」というザイトクの公式的な言明(ザイトクのHP)にも関わらず、彼らのやることといえば、日本政府への直接的な抗議ではなく、在日に対する激しいヘイト・デモなのである。彼らに理屈を説くのは難しいかもしれないが、言ってることとやってることはまったく関係がない。「行動保守」という彼らの自称は、「行動ばっかりで言説はいい加減な保守です」という宣言なのかもしれないが(それにしても彼らが「保守」だなんていったら中島岳志さんは泣くだろうな。いま、中島さんの『「リベラル保守」宣言』を読んでいる)。
要するに、ザイトクは人種差別をしたいだけらしいのだ(私にはそうとしか思えない)。彼らは想像を絶するようなおぞましい言葉で在日を罵るデモを繰り広げている。東京や大阪では、彼らのヘイト・デモに対して、彼らを上回る人数のカウンター・デモで差別への抗議が圧倒しているというのは主としてネット情報である。
そんなレイシストたちが仙台に来るのだという。どのような抗議ができるかわからないのだが、ここにも「ナショナル・マイノリティ」への暴力的差別に反対し、抗議する人間が一人いるということだけは示しておきたくて、市民会館に向かった。
午後3時からの講演会なので、2時から待機して、会場にやってくるレイシストに抗議しようと集まったのは10人ほどであった。風が次第に強くなり、冷え込みがきつくなってくるのだが、さっぱり目当ての人たちはやってこない。それでも10人ばかりの人がポツリポツリとやってきて、私たちと対峙するように少し離れて立つようになったものの、それから後は変化がない。公安の人と市民会館の人が中間に立つようにしているが、特に何が起きるわけでもなく時間が過ぎる。
脱原発デモは匂当台公園を2時半に出発したはずだ。2時45分まで市民会館前の路上に立っていたが、誰もやってこなくなったので、急遽デモに参加することにした。

一番町、ずっと向こうにデモの旗が。 (2014/1/26 14:53)
市民会館から定禅寺通りを駆け足である。一番町に着いたが、デモは行き過ぎてしまったようだ。今度は一番町を駆け足である。デモはささやかな私の健康法などと普段は嘯いているのだが、これは健康法を越えている。きつい。
息が上がり始めたころ、デモの旗が見えてきた。駆け足をやめて、急ぎ足に変え、息を整える(なにげない風を装ってデモの後方にくっつきたいのだ)。

何とか追いついた。(2014/1/26 14:55)
追いついてすぐ、ラッキーなことにデモの列は広瀬通りの赤信号で止まったので、それが休息になってなんとか息を整えることができた。列の少し前には二人のお子さんを連れた参加者がいる。たぶん、市民会館の前で寒さに震えていたとき、暖かい缶コーヒーを差し入れてくれた人である。ほんとうにありがたかった。代謝の低い年寄りにはきつい寒さだったのだ。

地下鉄工事現場を一番町から青葉通りに曲がる。(2014/1/26 15:06)

ダイエー前。強い寒風に旗が煽られて。(2014/1/17 15:13)
風は相変わらず強いままで、デモの列の旗が煽られる。寒いせいか、なんとなく急ぎ足のデモのような感じになるが、それは市民会館のその後を気にしている私だけなのかもしれない。
仙都会館前で流れ解散。急ぎ足でふたたび市民会館に向かう。会館前には誰もいない。中に入ってみると、ロビーに公安らしき人が4,5人立っているだけだ。どうしようかひとしきり迷ったものの、会館のトイレを使わせてもらって、そのまま帰宅した。なにしろ、疲れてもいたし、明日からは4日間東京に出かける予定もあって、自重したのである。
【後から聞いた話】
デモの後に私が再び市民会館に行ったころ、みんなは暖かいところでお茶をしながら待機中で、講演会が終了して出て来るタイミングを見計らっていたという。
結局、向こうは主催者、参加者あわせて25人くらい、公安らしき人は12、3人だったという。彼らがまとまって会場から出てきたときが抗議の最大のタイミングだったらしい。少し声を荒げたやり取りもあったらしいが、いずれにせよ、そのときがハイライトというかクライマックスというか、今日の一番のポイントの時間だったのである。
私としてはそれなりに寒さに耐え、必死に駈けて、疲れたというのに、肝心な時と場所で抗議に参加できないという、間抜けな日になってしまった。そんな結末……。
[1] ブログ『薔薇、または陽だまりの猫』。