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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
4日連続の東京の街歩きも4日目となると、どこを歩きたいのか簡単には決まらない。昨日は日暮里駅から歩き出したのだが、当初は日暮里と西日暮里の間にある「日暮里台緑地」に惹かれて選んだ場所だが、谷中銀座にぶつかったあたりから予定が狂いだし、結局、日暮里台緑地にはかすりもしなかったのだ。
今日は、日暮里台緑地を最終目標として少し離れたところから始点としたい。それで、日暮里駅から京成本線に乗り、先日降り立った「千住大橋」駅の一つ手前、「町屋」駅から歩き出すことにした。これが二度目の京成本線乗車経験である。
町屋駅前は、文字通り、都電荒川線の「町屋駅前」停留所である。あまり高くないビルと商店の並ぶ都電沿いの道を少し歩けば尾竹橋通りとの交差点である。その「町屋」交差点から右折して尾竹橋通りを歩く。 尾竹橋通りも駅前の通りと同じようなビルと商店がずらっと並んでいるまっすぐな道だ。どこか横道に入りたくなる道でもある。
左手の細道に入っていくと学校が見えてくる。第四峡田小学校である。「峡田」は、サカイダだろうか、タニダだろうか、まったく見当が付かなかった。後でネットで調べたら、難読地名・人名に数えられていて、「ハケタ」と読むのだそうである。 地図を見ると、第四ハケタ小学校の周辺の道は細い道が不規則に交差している(Photo C2)。いくぶん不安になったこともあって、なるべく早めに都電荒川線の道に戻った方が無難な気がする。
第四峡田小前の道をまっすぐ西に歩いていると、塀の上に墓石と卒塔婆の先端が覗いている墓地がある。「慈眼寺」という寺の墓地だ。
慈眼寺の手前を左折して都電荒川線の道にむかうと、そこは「町屋二丁目」停留所である。線路を越えて続く道は、商店街らしいたたずまいで足がむきかけたが、線路沿いを歩いてみるという気分に負けて、荒川線沿いの道を少しだけ歩いてみた。
都電沿いの道を、電車が走ってくるのをちょっとは期待しながら歩く。こういうときには電車は来ないもので、あっという間に信号のある踏切交差点である。 満光寺の本堂は、コンクリート造りの近代的なものだった。先ほど通りがかりに見た慈眼寺も、マンションのような建物の三階とおぼしき高さに金色の仏像が飾られ、その上の四階に「慈眼寺」という金文字で記されていた。仏教寺院も近代化、現代化が進むのは当然だろうと思うものの、一瞬だけ異様な感じが胸のあたりを通り抜けていくのも事実なのである。 踏切交差点からの道の西側(満光寺側)は東尾久で、東側は荒川である。その荒川・町屋地区を歩くために満光寺から引き返した。
満光寺から引き返して「満光寺前」交差点を越えて細い道に入る。少し進めば、先ほど町屋二丁目停留所で見た商店街らしき道に出る。その商店街に右折する。 その変形十字路を左折したのだが、少し歩いて地図を確認した。ところがどこを歩いているのか分らない。地図との対応がつかないのだ。少し慌てて、スマホを出し、GPSをオンにし、グーグルマップで現在地を確認し、少し歩いてみて、方角を確認した。
出てきたところは「荒川五丁目北」交差点で、そこを右折した。ここから目指すのは東尾久の商店街である。その交差点からは北西の方向に在るはずなので、広い道から分岐する裏道に入った。
裏道からやや広い横道に折れて、荒川区立第九中学校の北東端を右折すれば、尾久本町通り商店街である。万国旗が道迂遠を賑わしているが、人通りは少ない。
尾久本町通りを進むと、前方に日暮里・舎人ライナーの高架が見えてくる。尾久橋通りである。 尾久本町通りから続く道は、尾久橋通りを越えると「川の手もとまち商店街」に変わる(Photo J1)。名前は変われど尾久本町通りとよく似た商店街だ。人通りは少し多いようだ。 すぐに賑やかな十字路に出て、右の道は「はっぴいもーる熊野前」、左は「おぐぎんざ」という看板ゲートを掲げた商店街である。日暮里に近付く方向なので、尾久銀座の通りを行くことにする。
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