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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
朝6時にイオと散歩に出かけたときは、小雨にちらちら雪が混じる程度だったが、明るくなったらすっかり雪になっていた。天気予報では曇りときどき晴れだというのに、一日中ずっと降ったり止んだりしている。デモに出かける前、ふたたびイオと夕方の散歩に出かけたときには、広瀬川の河原には10cmほど積もっていた。 デモに出かけるかどうか、少しためらっていた。なんとなく体の動きがほんとうではない。昨日まで4日間、東京を歩き回ってきた。登山後の疲労のような感じだ。
18時15分頃、勾当台公園野外音楽堂に着く。ベンチには雪が積もっていて、みんな立ったままスピーチを聞いている。当然ながら、いつもよりは人は少なめだ。雪が降るくらいだから、冬としてはそんなに寒くない。仙台は雪降りの日は暖かいと相場が決まっている。中途半端に濡れるのが不都合なのだ。
デモに出発したが、今朝から張りを感じていた大腿部に筋肉痛が起きはじめているようだ。それに、気持ちがどことなくぼんやりしていて、どうにもコールに合せて大きな声が出ない。列の最後部にくっついて歩いているだけ、という感じになってきた。
東京に4日間いたが、都知事選挙のポスター掲示板はいくつも見たけれど、選挙カーや選挙演説の場面には一度も出会わなかった。選挙権はないものの一時は注視していたのだが。 宇都宮さんだけが立候補表明しているときは、前回の都知事選の票数から見て、よほどの奇跡が起きないかぎり当選は覚束ないとはいえ、「脱原発」キャンペーンとしてとても大事な運動になると思っていた。 愚かなことにそのときはじめて気がついたのである。これはデジャブだ。何度も何度も見てきたことだ。長い年月、どれほどの選挙で投票してきたことだろう。私が投票した候補者が当選するなどということはほとんどなかった。何よりも当選しそうな状況が生まれたとき、いつも左翼どうしの足の引っ張り合いが始まるのだった。それでも私は投票するしかない。 それで、いまは東京都知事選挙を少しは距離を置いて眺められる。せめて私は「dis」らないようする。仮にどちらかの脱原発候補者が勝つという結果で選挙が終ったにしても、脱原発運動は続くのだから。
ただ、ネット言説でとても気になるものがあった。「たとえ今度の選挙で勝てなくとも、正しい脱原発運動は子どもたち、孫たちに受け継がれていくだろう」という趣旨のものだった。それは違う。少なくとも私は、子どもたちの世代に原発を残したくないと思ってデモを歩いている。 そんなことを考えながら歩いていたら、身体がだんだん重くなってきた。デモから離脱して、近くの本屋に入った。奥の方の椅子に座って本を読むふりをしながらの休息である。身体が温まってから、バス停に向かう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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