今日も遅刻だ。少し日が長くなって、宮城県庁前の勾当台公園へ歩いていく途中で日が暮れてきた。もっと早く着いて、しだいに暗くなっていく、その時々に合わせて写真を撮ってみる予定だったが、少し遅すぎた。
夜デモの時に使っていたデジカメが動かなくなった。その時間帯には、あまりいい写真が撮れなかったのだが、もう一つのデジカメはもっと写りが悪い。それで、コンパクトデジカメを諦めて安物だけれども一眼レフを買った。しかし、その後は2週続けて昼デモだったので、夜デモがどのように写るのか、確かめられなかったのだ。私の腕を考えれば、昼間ならコンデジで十分満足できるけれども、夜という悪条件ではカメラに頼るしかないのだ。

わずかに暮れ残って(勾当台公園野音前)。 (2014/3/28 18:20)
野音前についたときにはかなり暗くなっていて、空の明るさにほんのわずか暮れ残りが感じられる程度だった。スピーチでは、「原発は関係ありませんが……」という前置きがあって、再審開始決定が出た袴田事件のことが話されていた。
即時抗告しないよう検察に抗議しようという趣旨であった。それの補足報告があって、高裁が抗告を棄却したという話で喜んだのだが、正確には、静岡地裁の拘置の停止(即時釈放)の決定への検察の不服申し立て(抗告)が東京高裁で棄却されたということだった。再審開始決定に対する抗告は期限内に行なわれるらしい。
「証拠のでっち上げ」を認めた判決は、冤罪がかなり普通に発生していたことを明らかにしている。「証拠のでっち上げ」は近代の法治国家では「法治」の趣旨に反するきわめて重大な犯罪のはずだ。時効が過ぎたとはいえ、それを告発、断罪する組織が必要だろう。警察、検察では「泥棒が泥棒を捕まえる」ことになって、期待することはできないのだから。

デモへ、出発準備。 (2014/3/28 18:35)

勾当台公園を出て、東二番丁通り(国道4号)で信号待ち。 (2014/3/28 18:40)

市役所前広場から一番丁へ。 (2014/3/28 18:44)
手持ちのカメラを一眼レフに格上げしたのには、もう一つ理由があった。山でも街でも、犬と一緒に歩き回るというのが日々の楽しみだった。山登りや街歩きと同じように、犬と過ごすことも趣味の一つなのだ。
一緒に歩いていたイオが急に老いてしまった。たぶん、この春からの登山は無理だろう。連れて行けば、喜んで歩くだろうが、きっと辛い思いもするに違いない。一緒に歩くのは平地だけ、それが結論になった。
これからは私一人で山へ行くのである。イオがいない寂しさをどうやってやり過ごすかを思案した結果、山の花や景色をきれいに写すことに夢中になれれば、と思ったのだ。デジカメでそれなりにというレベルから、一眼レフでもっときれいにというレベルの趣味の一つにすれば、心の空隙を埋められるだろうと考えたのである。

一番丁・三越前。 (2014/3/28 18:49)

デモの先頭。 (2014/3/28 18:51)

最後部から。 (2014/3/28 18:58)
あまり工夫をしなくても、前のデジカメとは比較できないほど写真の出来はよいようだ。夜の写真が気楽にとれる。今回は、マニュアル本まで購入して勉強したのだが、それほどかまえなくてもよく写るのだった。
腕がないものは道具が大切だ。「弘法は筆を選ばず」と世間の人はよく言うが、これは名人上手、天才にしか適用できない言葉なのだ。私たちのようなものが、書の天才、弘法大師と比べるなどという不遜を、世間の人たちがなぜやってしまうのか、私にはずっと不思議だった。凡庸な才能はいつだって、おのれの腕には頼れないのだ。(というのが、しぶしぶ一眼レフ・カメラの購入を認めた妻への言い訳である)。

青葉通り・藤崎前を過ぎて。 (2014/3/28 19:10)

青葉通り・ダイエー前。 (2014/3/28 19:15)
先週の昼デモより少しばかり人は多かったが、それでもまとまりのあるデモになった。コールのリズムに合わせて手を振ってくれる人もいたし、写真を撮り、手を振り、拍手をしてくれた外国人の一団もいた。
青葉通りの突き当たり、向こうに仙台駅の灯りが見えてきたらデモは終る。