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テーマ:街歩き(664)
カテゴリ:街歩き
秋らしく天の高い上天気である。こういう日を「百舌日和」と言うそうだが、山形市のまん中では百舌の声を聞くことはできないだろう。百舌日和ではなく、今日は「デモ日和」ということだ。
第二公園は大通りに面していないので、入る横道を見落とすのではないかと不安だったが、それを心配してくれる人が大通りまで出ていて案内してくれた。
公園入口には横断幕を纏った車が待機していて、取り付け作業をしている人に挨拶したら、みごとな山形訛りが返ってきた。三兄が西置賜の小国町に職を得て義姉はその地の人である。学生のころ、小国の町から雪道を2時間ほど歩いて行く義姉の母と祖母だけが住む実家で一週間ほど世話になったとき、おばあさんにしこたま聞かされた訛りの匂いがして懐かしい。
公園にはほとんど集まっていて、遅刻もしていないのに私がほとんど最後の到着のようだ。時間通りに、主催者挨拶から集会が始まった。山形市の「幸せの脱原発ウォーキング」は、毎週金曜の夕方に行なわれていて、月一回だけ第三日曜日に昼デモを行なっている。今日が95回目のデモで、100回記念イベントを計画中ということだ。
東北の脱原発グループは持ち回りで交流会を開いていて、今日のデモは山形での交流会でもある。盛岡、仙台のグループの参加者代表からの挨拶(地元の報告)の後に、山形県内各地から参加した人たちの挨拶が続く。
一般参加者からのスピーチも次々続いて、皆さん強く訴えたいことを抱えていることがよく分るのだった。参加者の最年少は1歳半の坊やで、司会者に請われて、最年少参加者のスピーチ代わりにママが話された。これはお父さんの話だが、1歳半にもなるといろいろ手がかかって、最近は金デモに参加できないことがあるという。若くて頼もしい山形デモの貴重な戦力だが、子育て奮戦中でもあって大変なのだ。
14:20、予定通りにデモは出発する。デモのコースは、公園を出てすぐ国道112号(羽州街道)に入り、その道をまっすぐ北上して山形市役所まで歩く。
山形市は太平洋戦争では空襲がなかったので、古くて雰囲気のよい街並みが残っていると聞いた。たしかに、デモをしていると、白壁、瓦屋根の蔵造りの(昔の)商家が所々に残されている。仙台から初めて参加した私は、デモ半分、観光半分の気分である。
市役所に近づいていくと、通りはどんどん中心街の趣きが強くなる。ベンチに腰掛けて熱心に手を振ってくれるお年寄りがいる。ありがたいことに、いつでも、こういう人の応援のおかげで心が強くなる。
スムーズにデモの列は進み、道がやや広くなり、向こうに古めかしい建物が見え出す頃、最終地点に近づく。真っ正面に見える印象的な建物は、国指定重要文化財の旧山形県庁・県議会議事堂で、今は山形県郷土館「文翔館」となって一般に公開されているという。
山形市役所前に着いて、流れ解散でデモは終る。 この後は、各地から参加した人の交流会が「山形まなび館」の一室で開かれる。この「山形まなび館」も山形市で一番古い第一小学校の旧校舎だという。山形市は旧い建造物がたくさん残っているらしい。
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