先週に続いて今日も寒い。天気予報の「この冬1番の寒さです」というセリフを厳冬期に向かう時期に繰り返すバカバカしさを笑っているのだが、ブログの出だしも同じパターンになりそうだ。
二週続けて寒い日のデモなのに、二週続けて最近ではやや多めの60人の参加者だった。この程度の寒さで騒ぐのは、風邪引き常習の私ぐらいなものらしく、宮城県人の行動にはまるっきり影響がないようだ。たいしたものだ。

元鍛冶丁公園。(2014/12/12 18:22)

フリートークの人たち。(2014/12/12 18:14~28)
集会のフリートークは、東京で上映された「フタバから遠く離れて」を見てきた人が、故郷を遠く離れて避難している福島の人びとへの想いを語ることから始まった。
次の話題は、井戸謙一弁護士(志賀原発運転差し止め判決を下した元裁判官)が河北新報に投稿した記事についてだった。
100mSvという数値は、それ以下で晩発性の放射線障害が発生するかどうかという議論でしばしば引用される数値である。100mSv以上では被曝線量に比例して晩発性障害が増加することは確定的に知られている。当然ながら、データの少ない100mSv以下でも、100mSv以上の線形性があると推定して、放射線障害予防策が採られてきた。
しかし、原発を推進する人びとは、「閾値」論を採用して、100mSv以下では障害が発生しないと主張しているが、もちろん科学的根拠はない。100mSv以下でのデータが少ないため意見が分かれているように見えるが、閾値論仮説は政治的恣意性の産物にしか思えない。影響があるかもしれない、ないかもしれないという科学的な段階で、危険があると考えて対処する保健物理学的意見の方が科学的良心(というよりも最低限の人間的良心)というものだろう。
毒が入っているかもしれない食べ物があるとき、どっちか分からないのだから食べましょうという愚か者はいないのである。それを人に食べさせようとすれば、それは犯罪である。
井戸弁護士の投稿の趣旨は、その100mSvの数値が「年間100mSv」として誤って流布されていることへの警告である。晩発性障害が発生するかどうかで議論される「100mSv」という数値は積算量であって、けっして1年間の被曝線量のことではない。少なくとも原発推進側の科学者であっても、生涯で100mSvを越えれば晩発性障害が増加する事実は否定できないのである。
一般人の年間の最大許容被曝線量を1mSvとするのは、積算線量100mSv以下と考えれば当然の数値である。したがって、福島の汚染地区への住民の帰還に際しては、生涯の積算線量を考慮して進められなければならないことは当然であって、年間20mSvなどという数字はもってのほかなのである。

元鍛冶丁公園を出発する。(2014/12/12 18:33、36)
三つ目の話題は、太陽光発電による「地域協同発電所を作ろう!」というアピールである。NPO法人「きらきら発電・市民協同発電所」が設立され、仙台市内に二ヶ所の発電所を設置することを目標に運動が進められている。現在、必要資金の半分、1500万円までの目処が立ち、残りの資金への協力要請があった。
また、「福島の旅」で小高町を尋ねた際、現地では年間1mSvという許容線量は実質的に反古にされていて、若者は町には戻ってこないことや、風が吹くと空間線量が高くなるという実情報告があった。若者がいない町の未来がいかなるものか、帰還した高齢者の苦悩する様子が伝えられた。
クリスマスを前にした脱原発ソングの披露と練習もあった。「赤鼻のトナカイ」の替え歌である。数度の練習で、デモ中に何回か「ダメよダメダメ、原発再稼動………」と声を合わせたのである。ま、私はコールで怒鳴ることはできても歌うことはまるで……なんだけれども。
フリートークの締めは、主催者からの「総選挙で投票先に迷ったら脱原発候補に」というアピールだったが、「選挙のときだけ脱原発を語る候補者がいるのでご注意を!」というコメント付きだった。
そういえば、ある自民党候補者が選挙ポスターに「脱原発」と印刷していて、ネットで話題になっていた。単に印刷してみただけかもしれないが、誰にでもすぐ分かる嘘を公的なポスターに印刷できる神経には驚くしかない。
まっかな嘘を平気でつける人が政治家になるのか、政治家になると嘘が平気になるのか、私にはその機制が分からないけれども、それでも私は選挙に行って確実にそんな政治家の一人に投票するのである。

道の真ん中のクリスマスツリー。(2014/12/12 18:42)

アーケードの光りもいっそう派手に。(2014/12/12 18:46、47)
一番町に出ると、道の真ん中にクリスマスツリーである。アーケードのイルミネーションも急激に数を増している。普段の夜よりもイルミネーションの分だけ一番町は明るくなっている。
明るくなった街に人出も多くなっている。デモのし甲斐のあるこういう日を「デモ日和」と呼ぶことにしよう。

イルミネーションに照らされてデモは行く。(2014/12/5 18:48~51)
一番町を行くデモの列の写真をあらためて眺めると、電飾の光りを反映するデモの列はどことなく発光している感じがあって、明るいイメージがする。みんなが意識的に明るい彩色の服装をしたらいっそう明るくなって、冬のデモとしては効果的かもしれない。そういう私は、今日も上下真っ黒の服なのだが。

大通りを越えてきた60人。(2014/12/5 19:01)

終点、仙都会館前。 (2014/12/5 19:03)
デモが大通り(国道4号、東2番丁通り)に差しかかったとき、交差点の向こうから大通りを渡ってくるデモの写真を撮るために地下歩道の階段を下って上ったら、デモは交差点を渡り終えるところだった。いつもはゆっくり間に合うので、のんびりと歩いたことは確かだが、こんなに早く渡ってくるとは。足の衰えだろうか。
3日ほど前、ちょっとした力仕事をしたときに、「あっ、これ以上は無理」という腕の筋肉の限界をありありと感じた。「重い」という感じはしなくて、「筋肉の耐えられなさ」を感じるという具合だった。
腕も足も……。