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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2014.12.21
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テーマ:街歩き(664)
カテゴリ:街歩き

【続き】

 街はクリスマスである。お祭りにはお祭り、デモのサンタクロース姿が暮れの街にとてもしっくりと馴染むのだった。それに、デモ納めという思いからか、参加者の誰もがとても元気がいい。
 暮れのクリスマス直前の日曜日、一番町の人混みを分けてデモは進む。先週からはシュプレッヒコールとアピールトークに脱原発ソングが加わった。デモのリズムが一本調子ならなくてとても快適に歩ける。

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一番町に入る。(2014/12/21 14:43)

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    クリスマスらしく。(2014/12/21 14:43~52)

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ハンドベル演奏を邪魔しないように、そっと。(2014/12/21 14:53)

 一番町を藤崎前まで来ると、学生らしき若い女性の一団がハンドベルの演奏をしている。デモの列はそーっと横を通り抜ける。デモの列が通り過ぎてる時にちょうど演奏が終って拍手となった。デモの一団がいっせいに手に持った鳴り物で拍手に加わると、演奏者のみんなが大拍手に驚いてこちらをいっせいに振り向いた。 

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青葉通りではいっそう元気よく。(2014/12/21 14:58~15:03)

 青葉通りに出るとアーケードの天井はなくなり、文字通りの青天井である。反響がないので、コールの声は少しばかり澄んで聞こえるようだ。

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交通混雑で時間がかかった大通り交差点。 (2014/12/21 15:09~15:10)

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大通りも踊りながら。 (2014/12/21 15:11)

 暮れの街は、人ばかりでなく車も多くなって、大通り(国道4号)を渡るタイミングがとれずに、時間がかかった。
 先週は、地下歩道を歩いている内にデモの列がお踊りを渡り終えていたが、今日は逆にずいぶんと待たされた。交差点の角で、30羽ほどの鳩の群れに混じって、交差点を渡ってくるデモを待っていたのである。

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最後尾もまもなく終点へ。(2014/12/21 14:11、13)

 日曜日らしく、デモの最後尾は家族連れである。もともと、このような家族連れのために月1回の日曜デモが企画されたのであった。

 12月14日の選挙当日に見た「もう一つのヘイ・ジュード」というテレビ・ドキュメンタリーは、チェコのマルタ・クビショヴァという歌手の話である。
 マルタは、1968年に「プラハの春」と呼ばれた旧チェコスロバキアの民主化運動を弾圧するために進入してきたソ連軍とチェコ共産党政権に抗議するために、民主化運動を行う民衆を励ます曲であるもうひとつの「ヘイ・ジュード」をレコーディングして60万枚という大ヒットを生んだ。
 そして、当然のごとく、レコーディングの3ヵ月後、ソ連当局によってレコードの回収と販売禁止が命じられる。さらに、マルタは監視下に置かれるばかりではなく、音楽界から永久追放されてしまった。
 もうひとつの「ヘイ・ジュード」の歌詞の作詞者は、ズデニェック・リティーシュという人で、次のような歌詞だという。

ヘイ・ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ヘイ・ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリする 石をかむような辛さを
あなたの口から きれいに聞こえる歌は
不幸の裏にある<真実>を教えてくれる

ねぇジュード あなたの人生を信じて
人生は私たちに傷と痛みを与える
時として 傷口に塩をぬり込み
棒が折れるほど叩いて
人生を操るけど 悲しまないで

   ブログ「もう一つのヘイ・ジュード(Hey Jude)/ビーバップ!ハイヒール」から 

 テレビ画面に映るプラハのバーツラフ広場を見ながら思いだしたことがある。国際会議のあいまに若い研究者や大学院生5、6人とバーツラフ広場をぶらぶらと歩いたとき、この広場をソ連軍の戦車が蹂躙した「プラハの春」の話をしたのだった。
 若い人には遠いことでも、1968年に22歳だった私には「プラハの春」は切実だったのである。1956年の「ハンガリー動乱」などとともにマルクス主義や共産主義国家について深刻に考え込まざるをえないような事件だった。
 バーツラフ広場を歩いてから4、5年後、大学院生から研究者になっていた一人が、私が話した「プラハの春」のことをずっと覚えていると語っていて、少し嬉しかったことも思い出した。


 そして、「もうひとつのヘイ・ジュード」を見た頃にちょうど読みかけていたのは、アルチュセールの『マルクスのために』 [3] のなかの「マルクス主義とヒューマニズム」という章だった。1968年以前に書かれたものだが、今になってみれば、じつに脳天気な共産主義国家ソ連についての言で、どんなふうに言葉を継いでいいのか分からなくなってしまう。

……この〔社会主義ヒューマニズムの〕願いにもとづいてわれわれは、暗闇から光明へ、非人間的なものから人間的なものへ移りつつある。現にソ連邦が入っている共産主義は、経済的な搾取のない、暴力のない、差別のない世界であり、――ソ連邦の人びとに、進歩、科学、文化、食料と自由、自由な発展、こうしたものの洋々たる前途をきり開く世界であり――暗闇もなく、葛藤もなくなるような世界である。 (p. 423)


[1] ジョルジュ・アガンベン(上村忠男、廣石正和訳)『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、2001年)。
[2] ベルナール・スティグレール(ガブルエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳)『象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代』(新評論、2006年)。
[3] ルイ・アルチュセール(河野健二・田村淑・西川長夫訳)『マルクスのために』(平凡社、1994年)〔旧『甦るマルクスI・II』(人文書院、1968年)〕。
[4] ジャン・ボードリヤール(今村仁司、塚原史訳)『象徴交換と死』(筑摩書房、1992年)。
[5] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)。






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Last updated  2014.12.23 07:57:25
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