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テーマ:街歩き(664)
カテゴリ:街歩き
暮れの29日、義母がインフルエンザから肺炎を併発して救急搬送されて入院した。110歳という年齢もあって、担当医から万一の場合に延命措置をするかどうか決めて欲しいと言われて、少しばかり慌てたが、悪化することもなく順調に恢復して、今日の昼前に退院してきた。 義母が退院してきたので、気兼ねなく今日の脱原発デモに参加できる。なんとなく、いつもの日常に戻ってきた気分である。暮れの29日からやり直すのはごめんだが(大掃除からやり直したくはない)、今日から新年、そしてデモ初めという気分で家を出る。
日中はとても寒くて、日が落ちたら冷え込むだろうとたっぷりと着て家を出たが、さほどの寒さではない。錦町公園へ集まってくる参加者の出足も順調である。
今年はじめてのスピーチは、やはり決意表明に近い形になるが、推奨本の紹介や替え歌の脱原発ソングの歌唱指導もあった。 脱原発デモは、また年を越した。毎週のデモを何年も続けることを褒めてくれる人も励ましてくれる人もたくさんいるが、じっさいはデモなんかしなくていい状況になって欲しいのだ。デモをやらざるをえない状況は、私(たち)の不幸だと思うが、こうやって集まってくる人たちの誰もが落ち込んでいないように見える。原発をめぐる悪しき状況に反発することが、逆にエネルギーの源になっているかのように見えるというのが面白い。 錦町公園は、元鍛冶丁公園や肴町公園よりずっと広いが、そのせいか、だいぶ暗く感じる。暗い公園からデモは元気に出発して定禅寺通りに出る。
錦町公園は暗くて、写真を撮るのに苦労したが、定禅寺通りに出ても事情は同じで、元気に進んで行くデモにシャッター速度が追いつかない。シャッター速度優先にすれば暗過ぎてどうにもならない。
電飾がなくなっていたのは定禅寺通りと広瀬通りの間の一番町だけで、広瀬通りを過ぎると暮れより派手な感じに飾られている。暮れ近くまでアーケードの工事があったので、その遅れを取り返してでもいるのだろうか。
先日、フェイスブックで「東北大学大学院、廃炉専門人材育成へ」というニュースを見付けた。「電気新聞」という業界紙の次のような記事である。
安倍内閣は原発推進に踏み切っているが、それ以前でも脱原発に反対する言説の一つとして、「原発関連の技術や人材が枯渇して、原発の安全が保証されない」ということを唱える向きがあった。しかし、これは工学技術の開発、発展のあり方を知らない無知に基づいている。 かつて、東大を始め主要国立大に原子力工学を専門とする学科が新設されたとき、東大では「原子力工学科」、京大や東北大などは「原子核工学科」と称していた。それが現在では学科の名前から「原子力」や「原子核」が消えつつある。東北大では「量子エネルギー工学科」と名前を変えた。理由は簡単である。学生に評判が悪いからである。卒業しても原発のお守りくらいしか仕事がない。電子工学などが次々に新しい分野を展開していることと比べたら雲泥の差である。学問に発展性がないのである。 もし、政府が脱原発に踏み切ったら、おそらくどの大学も待ってましたとばかりに原子力関連の講座をいっせいに廃炉関連の講座に切り替えるはずである。しかも、終端安全工学とかとか安全転換工学とか銘打って学科の拡大転換を図るに決まっている(私にはそんな才能はないが、ネーミングと理由付けの天才はどの大学にもいるのだ)。大学、とくに時代と共に社会的要請が変化する工学分野は、そのようにして生き残ってきたばかりではなく、拡充し、太ってもきたのである。 脱原発政策によって技術の隙間や人材不足が生じるようであれば、大学はすばやく対応するのがいつものことである。もしかすると、脱原発時代がやって来ることを想定して大学内でひそかに対応策を練っている可能性すらある。東北大の場合は、「廃止措置工学コース」が核となって新学科を大きく組織するだろうし、その準備に踏み切ったといえる。脱原発すれば技術や人材が不足するなどというのは迷妄に過ぎない。全面的な脱原発に踏み切っても、技術的、学問的、人材的な新たな問題は生じないのだ。
一番町の一部を除けば、暗い夜の街のデモという印象だった。これも長くは続かない。これから寒さは一段と厳しくなるだろうが、日は長くなっていくのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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