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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
脱原発デモに出かける前にPCのメールを確認して、仙台市図書館から予約書籍の準備完了の知らせをみつけた。集会場所の勾当台公園への道すがら図書館から借り出すことにして、家を出た。 原発や辺野古のこと、特定秘密保護法や解釈改憲などをフェイスブックに積極的に投稿していて、その合間に花の写真や日々のことなども書いている女性がいる。フェイスブック上で知り合ったその人が、一週間ほど前、日々の思いの後に「夕暮れには目覚めてはいけないと書いたのは清岡卓行だったか」という意味のことを書いていた。 仙台市図書館を通じて他の図書館に借用依頼をしていたその本は『清岡卓行全詩集』である。開いてみれば、すぐに記憶に鮮明なフレーズが見つかる。
暮れのイベントである「光のページェント」のために使用できなかった勾当台公園が使えるようになって、久しぶりの野外音楽堂での集会だ。先週と同じ替え歌の脱原発ソングの練習のあとに、加美町から参加の浅野さんからオリジナルの反原発ソングが披露された。
今日の参加者はやや少なくて50人ほどだった。仙台としては暖かい夜だったので、50人は元気にデモに出発した。勾当台公園と宮城県庁舎の間の道に出て、勾当台通りの交差点を渡り、仙台市庁舎の前を通って一番町に向かう。
定禅寺通りを越えれば一番町である。ここまではデモの列には照明の当たらない道だ。50人の参加者だからと思いこんでシャッターを押すと、その後ろからさらにたくさん現われて、立ち位置を変えて取り直すという失敗も暗さのせいである(空間認識力が脆弱だとは決して言わないのだ)。
参加者が少ないとかえってデモが元気になるというのはなぜだろう。清岡卓行の詩集を借り出して、最初の数十ページを図書館で読んだら、次のような詩句がみつかった。
沖縄のことを思い出した。沖縄の歴史的な苦悩、繰り返される琉球処分の絶望的な情況から、「絶望が希望と手をつないで戻って」きた沖縄のことが思い出されたのである。沖縄の総意が新しい形を生んだ。もちろん安倍自民党政権の陰湿な加虐的対応に苦しめられるだろうが、昨年までの沖縄とはもう違うだろう。「絶望が希望と手をつないで戻ってくる」朝は、もう来たのだ。 我が「デモびと」も明るく楽観的である。安倍政権が続いて状況は芳しくないが、「絶望が希望と手をつないで戻ってくる」朝があることを知っているのだ。
たまには思いっきり違った角度から写真を撮ってみようと思い、青葉通りと大通りの地下歩道を駆けて反対側の歩道から挑戦したが、手前を繫がって走っていく車列にデモの列が隠されてしまう。車と車の間からかろうじて半数ほどのデモびとを写すことが出来た。 さて、急いで帰って、「夕暮れに目覚めてはいけない」というようなフレーズがあるものかどうか『清岡卓行全詩集』のページを繰らなければならない。
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