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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
仙台駅から長町に向かう旧市電通り(旧国道4号、奥州街道)に架かる広瀬橋の南のコインパーキングから歩き出す。 一昨日の日曜日の朝に歩く予定だったが、晴天ながら積雪と強風で延期して、今日の朝ドラ散歩になった。ところが、素晴らしい快晴なのにやはり強風である。気温は零下1、2度と思われるが、風が厳しい。イオは全く平気だが飼い主は初めからたじろいでいる。それでも長町までわざわざやって来たのだ、と歩き出す。
コインパーキングの隣にお堂が見えるのだが、柵があって近づけない。旧市電通りを広瀬橋の方に進み、左の道を覗くと「十八夜観世音参道 第三十二番札所」の看板に矢印が書かれていた。 お堂の脇に木製の由緒書き看板が建てられていて、本来は「常蔵院観音堂」で、旧暦18日夜に月待ちの講が開かれていたという。そういえば、十八夜の月は「居待月」である。お堂には慈覚大師作と伝えられる勢至観音立像が安置されているらしい。 散歩でときどき仙台三十三観音信仰の札所というのを見かけるが、あまり意識していなかったのでそのほとんどは記憶にない。ここから近い木流堀付近を歩いたときには、「奥州仙台七福神」の一つだという福聚院の前を通ったのだが、こちらもときどき七福神の看板を見かけているものの、どことどこというふうには覚えていないのだった。 広瀬川の河畔には「橋姫明神」の小さな祠がある。十八夜観世音堂のことは初めて知ったのだが、橋姫明神は前から知っていた。広瀬川に橋を架けるために人柱となった娘の伝説がある。人柱になる前に十八夜観世音堂に籠もって断食をしたという、隣り合ってこその因縁が由緒書きに記されていた。
広瀬川の上流を眺めながら、広瀬橋を渡る。こういうときに限って風が強く吹くのだ。さすがに今日は、いつものキャップをやめて、耳まですっぽり隠れる毛糸の帽子をかぶってきた。まぁ、何とかなりそうな感じではある。
広瀬橋の北端の横断歩道を渡り、広瀬川に沿って若林に入っていく道を選ぶ。道の先には、高い東北新幹線と低い東北本線の高架が見える。その下を通っていくと「新河原町架道橋」というプレートがあった。 新幹線架道橋を過ぎて、東北線の架道橋の間に来たとき、下りの電車がやってきた。広瀬橋からこの道に入ったときは新幹線の列車が通っていったのだが、その写真は撮り損ねた。
架道橋を出てすぐ、道脇に赤い鳥居が見える。「旅立稲荷神社」の鳥居だ。この神社の名前に惹かれたのも、今朝の散歩コースを選んだ理由の一つである。 名前の由来はまったくの想像通りで、伊達藩の代々の藩主が江戸へ行き来する旅の安全祈願をしたことによるというのである。長町は、仙台城下から江戸に向かう最初の宿場である。
旅立稲荷神社の脇から元の道に戻ってふたたび東に進む。朝日がちょうど目の高さにまで上がって、道の先は眩しくて見えない。
適当なところで北側の住宅地に入って刑務所の方向に向かうことにした。入った道は、地図で見る限り若林一丁目と三丁目の境の道らしい。多少道はくねるが、普通の住宅地である。
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