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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
家を出ると、雪がちらつきはじめ、風も強まって寒くなってきた。今朝は、日の出どきのもっとも寒い時刻でさえ4~5℃ほどの暖かさで、のっそりと歩くイオの緩慢さと相俟って「ぬるい」朝の散歩だった。デモの時間帯も4~5℃という予報だったが、雪と風で0℃くらいに感じる。降った雪がすぐに溶けるので、じっさいは2~3℃だろう。 勾当台公園への道すがら、仙台市図書館に立ち寄って、先週の金デモの日に借り出した『清岡卓行全詩集』を返却した。フェイスブックの投稿から気になっていたフレーズは、予想通り清岡卓行の「うたた寝」 [1] という詩の一節だった。
夕暮れに目覚めて夢の続きを追うようなことは、私にはあまりないことだけれど、そのような時間帯に思わず深く眠り込んで目覚めたとき、私がどんな時間にどこにいるのかまったく自覚を失って少しばかりパニックに似た感情に陥ることはしばしばある。
残念ながら、私の目覚めにあまり「愛」などというのは関係ないのではあるが。
勾当台公園に着く頃には雪は止んでいて、風もほとんどおさまっていた。しかし、降った雪が溶けてベンチが濡れている。せっかくの野外音楽堂の集会だが、参加者は座れずに立ったままである。
みんなで車を押しまくって体を温めてからようやく集会が始まった。とくに、3月21日の「3・21 みやぎアクション」の告知は、とくに力を入れて丁寧になされた。今年は、共催団体が増えて、多くの人に呼びかける体制ができあがって、例年になく盛り上がることが期待出来そうなのである。
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「3・21 みやぎアクション」の当日には、東北各地の脱原発デモ参加グループの交流会も併せて企画されているので、いっそう賑やかになりそうだ。この交流会は、各県持ち回りで開催されていて、前回は山形県だった。
デモのコースは、もちろん先週と同じで、勾当台公園から宮城県庁前の道を勾当台通りを越えて仙台市役所前に進み、市民広場をぐるりと回ってから定禅寺通りを渡って一番町に入るのである。
今朝の毎日新聞のニュースに「柏崎刈羽原発:東電常務「避難計画不十分なら再稼働無理」という見出しの記事があった。
九州電力の川内原発では、鹿児島県知事や川内市長がまともな避難計画もないまま再稼働を容認したことと比べれば、このニュースはいくぶん「まとも」に思えてしまう。川内原発の避難計画についてはさまざまな案が出されたが、結局まともな計画は策定されていない。それにもかかわらず政府の交付金や九州電力のばらまく金ほしさに避難計画なしでも再稼働を認めるというのは、十全な避難計画そのものが不可能だということの自白のような行為だった。金目当てだけの行動指針しか持たない地方政治家の無能さは無惨なばかりである。 しかし、私には避難計画などというのは瑣末な問題にしか思えない。ニュースでは触れていないけれども、「避難計画が不十分なら再稼働は出来ない」という文言には決定的で重要な前提がある。「原発事故は起きる」という前提抜きでは、成立しない言葉なのである。 原発事故が起きても避難計画が十分なら大丈夫なのか。福島の悲惨は、避難計画が十分だったら起きなかったのか。そんなことはない。避難計画が十分だったら、確かに現状よりも福島県民の被爆線量は少なくすんで、将来の死亡や健康被害は予想よりはいくぶん減るかもしれない。だが、事故から4年経った現在でも、10万人を越える福島県民が職も家も故郷も失ったままである事実は、避難計画がどうあろうと変わりようがない。
一番町を通るときには、手を降って応援してくれる人、拍手をしてくれる人が必ずいる。それはそうだ。今日のデモは55人と決して多くはないが、原発そのものには国民の半数以上が反対なのである。デモに出なくても、反対の人は大勢いるのだ。私たちは、その人びとの一部としてデモをしているということだ。誰にも頼まれたわけではないが、代表している気分がないではない。
一番町を出たばかりの青葉通りは地下鉄東西線の工事の影響で広い車道のほぼ真ん中を歩くことになる。青葉通りは一番町に比べればずいぶんと暗くて、その分、左右に広がる遠目のビルの灯りがきれいに見えることがある。美しいと思うが、それを写真に写し取ることは素人にはほんとうに難しい。何枚も写してみるが、PCのハードディスクの容量を食いつぶす効果しかない。
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