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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2015.01.23
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テーマ:街歩き(515)
カテゴリ:街歩き

 家を出ると、雪がちらつきはじめ、風も強まって寒くなってきた。今朝は、日の出どきのもっとも寒い時刻でさえ4~5℃ほどの暖かさで、のっそりと歩くイオの緩慢さと相俟って「ぬるい」朝の散歩だった。デモの時間帯も4~5℃という予報だったが、雪と風で0℃くらいに感じる。降った雪がすぐに溶けるので、じっさいは2~3℃だろう。

 勾当台公園への道すがら、仙台市図書館に立ち寄って、先週の金デモの日に借り出した『清岡卓行全詩集』を返却した。フェイスブックの投稿から気になっていたフレーズは、予想通り清岡卓行の「うたた寝」 [1] という詩の一節だった。

タぐれに眼ざめてはならない。すべてが
遠く空しく溶けあう 優しい暗さの中に
夢のつづきの そこはかとない悲しみの
捉えようもない後姿を追ってはならない。

 夕暮れに目覚めて夢の続きを追うようなことは、私にはあまりないことだけれど、そのような時間帯に思わず深く眠り込んで目覚めたとき、私がどんな時間にどこにいるのかまったく自覚を失って少しばかりパニックに似た感情に陥ることはしばしばある。

なにかに追いたてられるように 眼を覚ますと
深く長い眠りの 洞窟からではないのに
一瞬 記憶喪失にでもかかったように
ぼくはぼくの 致命的な愛が思いだせない。

               「秋のうた」部分 [2]

 残念ながら、私の目覚めにあまり「愛」などというのは関係ないのではあるが。

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集会風景(勾当台公園野外音楽堂)。(2015/1/23 18:20、24)

 勾当台公園に着く頃には雪は止んでいて、風もほとんどおさまっていた。しかし、降った雪が溶けてベンチが濡れている。せっかくの野外音楽堂の集会だが、参加者は座れずに立ったままである。
 それに、ワンボックスの脱原発カーのエンジンがかからなくなっていて、みんなで車を動かしながらいろいろ試みたが、エンジンはウンでもスンでもなく沈黙したままで、結局修理業者を呼ぶことになった。今日のデモは、脱原発カーの先導なしということになった。

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フリー・トーク。(2015/1/23 18:18~27)

 みんなで車を押しまくって体を温めてからようやく集会が始まった。とくに、3月21日の「3・21 みやぎアクション」の告知は、とくに力を入れて丁寧になされた。今年は、共催団体が増えて、多くの人に呼びかける体制ができあがって、例年になく盛り上がることが期待出来そうなのである。

 

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 「3・21 みやぎアクション」の当日には、東北各地の脱原発デモ参加グループの交流会も併せて企画されているので、いっそう賑やかになりそうだ。この交流会は、各県持ち回りで開催されていて、前回は山形県だった。

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デモへ、出発の準備。(2015/1/23 18:32)

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仙台市役所を右に見て。(2015/1/23 18:37)

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定禅寺通りを渡って、一番町へ。(2015/1/23 18:43)

 デモのコースは、もちろん先週と同じで、勾当台公園から宮城県庁前の道を勾当台通りを越えて仙台市役所前に進み、市民広場をぐるりと回ってから定禅寺通りを渡って一番町に入るのである。

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一番町に入って来た。(2015/1/23 18:47)

 今朝の毎日新聞のニュースに「柏崎刈羽原発:東電常務「避難計画不十分なら再稼働無理」という見出しの記事があった。

 東京電力の姉川尚史常務は22日、新潟県柏崎市内であった東電柏崎刈羽原発に 関する住民向け説明会で、同原発の再稼働について「(原発事故の際の)避難計画が不十分であると、自治体の方が思われる段階では、稼働はできない」と述べ た。会田洋・柏崎市長は市の避難計画について自ら「課題が多い」と改善する余地があることを認めている。避難計画の完成度が、再稼働できるかどうかの重要条件になる可能性が出てきた。

 九州電力の川内原発では、鹿児島県知事や川内市長がまともな避難計画もないまま再稼働を容認したことと比べれば、このニュースはいくぶん「まとも」に思えてしまう。川内原発の避難計画についてはさまざまな案が出されたが、結局まともな計画は策定されていない。それにもかかわらず政府の交付金や九州電力のばらまく金ほしさに避難計画なしでも再稼働を認めるというのは、十全な避難計画そのものが不可能だということの自白のような行為だった。金目当てだけの行動指針しか持たない地方政治家の無能さは無惨なばかりである。
 一見「まとも」そうに見える柏崎刈羽原発についての東京電力常務の発言にもみごとな落とし穴がある。「避難計画が不十分であると、自治体の方が思われる」場合には再稼働はできないということは、どんな避難計画であれ地方自治体の長が「十分」だと主張すれば再稼働できると言うことである。これまでの言動からすれば、新潟県知事が再稼働に同意することはとうてい考えられないが、立地市町村長は川内市とおなじく金目当てに「避難計画は十分」と虚言を申し立てる可能性は十分にあるのだ。

 しかし、私には避難計画などというのは瑣末な問題にしか思えない。ニュースでは触れていないけれども、「避難計画が不十分なら再稼働は出来ない」という文言には決定的で重要な前提がある。「原発事故は起きる」という前提抜きでは、成立しない言葉なのである。
 「原発事故は起きる」→「だから、十分な避難計画は必要だ」→「避難計画は不十分だ」→「事故が起きる原発を再稼働できない」という論理の筋道になっているのだ。

 原発事故が起きても避難計画が十分なら大丈夫なのか。福島の悲惨は、避難計画が十分だったら起きなかったのか。そんなことはない。避難計画が十分だったら、確かに現状よりも福島県民の被爆線量は少なくすんで、将来の死亡や健康被害は予想よりはいくぶん減るかもしれない。だが、事故から4年経った現在でも、10万人を越える福島県民が職も家も故郷も失ったままである事実は、避難計画がどうあろうと変わりようがない。
 フクシマの後では、「原発事故は起きる」という前提から導き出される唯一の答えは、「事故を起こす原発を廃止する」以外にあり得ようはずがない。柏崎刈羽原発周辺の新潟県民は、避難さえ出来れば何の問題もないとでも言うのだろうか。しかも、日本全国に原発があって、いずれ避難する土地すらなくなってしまうかも知れないのに。

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一番町はもうすぐ終って、青葉通りへ。(2015/1/23 18:56)

 一番町を通るときには、手を降って応援してくれる人、拍手をしてくれる人が必ずいる。それはそうだ。今日のデモは55人と決して多くはないが、原発そのものには国民の半数以上が反対なのである。デモに出なくても、反対の人は大勢いるのだ。私たちは、その人びとの一部としてデモをしているということだ。誰にも頼まれたわけではないが、代表している気分がないではない。

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青葉通りの夜景。(2015/1/23 18:58)

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大通り(国道4号)を渡って来るデモの列。(2015/1/23 19:02)

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解散風景。(2015/1/23 19:05)

 一番町を出たばかりの青葉通りは地下鉄東西線の工事の影響で広い車道のほぼ真ん中を歩くことになる。青葉通りは一番町に比べればずいぶんと暗くて、その分、左右に広がる遠目のビルの灯りがきれいに見えることがある。美しいと思うが、それを写真に写し取ることは素人にはほんとうに難しい。何枚も写してみるが、PCのハードディスクの容量を食いつぶす効果しかない。


[1] 『清岡卓行全詩集』(思潮社、1985年)p. 144。
[2] 同上、p. 203。







Last updated  2015.01.24 15:29:53
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