横浜美術館に出かけた。そのついでの街歩きなので、近くの元町界隈を歩くことにした。東京も縁がない土地だったが、横浜はなおさらである。横浜国立大学での学会で、関内近くのホテルに4、5泊したことがあるという程度だ。そのとき、桜木町から関内あたり、つまりは中華街あたりまで歩いたことがあった。
それよりずっと昔、大学卒業したての妻が(当時はまだ妻ではなかったが)金沢八景に数年住んでいたことがある。大学院生だった私が会いに行って、一緒に歩いたのは山下公園だったと思う。鎌倉に行った記憶もあるから、何回かは横浜に来たのだと思うが、記憶は定かではない。

Photo A1 連絡歩道橋で中村川を渡る。 (2015/1/27 13:12)

Photo A2(左) 石川町側の「石川町駅」の前。(2015/1/27 13:14)
Photo A3(右) 石川商店街「アイキャナルストリート」。(2015/1/27 13:16)
横浜美術館を出て、JR線で石川町に行く。石川町駅の北口(中華街側)に出てしまって、中村川に架かる歩行者専用の連絡橋(のような橋)を越えて、南口に歩いた。
石川町駅は中村川を跨いでいて、川に沿って(というよりも川の上を)高速が走っている。
南口の前の道は、石川町の商店街で「i-canal street」と名付けられている。中村川は川ではなく、用水または運河ということらしい。

Photo B1(左) 元町の入口。(2015/1/27 13:17)
Photo B2(右) 車と人で賑わう元町。(2015/1/27 13:20)

Photo C1(左) 「厳島神社通り」という横道。(2015/1/27 13:21)
Photo C2(右) 元町厳島神社。(2015/1/27 13:22)
アイキャナルストリートを抜けると、まっすぐの道が元町の商店街である。狭い道に人も混み合っているが、車も通行できるので大混雑である。
金に縁のない人生だったので、消費や商品に血道が騒ぐなどということなどない身ではあるけれども、元町はファッションの街らしいということは聞いたことがある。さすがに衣料関係の店が多いのだった。
元町に入って最初の横道の先に赤い鳥居が見える。「厳島神社通り」という横道は、神社に突き当たってすぐにおしまいになる道だった。
厳島神社は古い弁天二社を合祀して明治期に建立されて、元町の鎮守となったと神社縁起に記されている。神社前の右手にほんとうに小さな児童公園があって、5組ほどの親子が遊んでいた。
公園の反対側には、住宅地を抜ける道があった。賑やかな元町の商店街には戻らないで、その道を通って山手に登って行くことにした。

Photo D1(左) 汐汲坂を上る。(2015/1/27 13:24)
Photo D2(右) 汐汲坂の急坂。(2015/1/27 13:26)

Photo D3(左) 坂の途中の柚の木(たぶん)。(2015/1/27 13:28)
Photo E1(右) 汐汲坂の先の下り坂。(2015/1/27 13:30)
厳島神社横からの道は、汐汲坂通りに突き当たる。
右折して汐汲坂を上りはじめるが、道の両側に元町幼稚園の建物があって、園内の掃除をするらしい園児たちが箒やちりとりを持って道を右往左往している。走って急に横切る子どももいるので、しばらく立ち止まっていると先生らしき若い女性が道を空けて通してくれた。
坂の少し上に車止めが設置され、その時間帯は車が通れないようになっていた。子どもたちは安心して道を走り回れるのだ。それに、赤いコートを着たガードウ-マンも道に立っていて、子どもたちの安全を図っているのだった。
坂は次第にとんでもない傾斜になってきて、息が切れてきた。山登りのときもそうだが、歩き出しでまだアドレナリンが出ていないときの急坂は大変なのだ。体がびっくりするのである。
塀越しに覗いている木にたくさんついている柑橘系の実を眺めながら息を整える。北国に生まれてそのまま住みついた人間には柑橘系の木はやはり珍しいのである。実は柚ほどの大きさであった。
坂を上りきると尾根筋を走る道と交差する十字路で、まっすぐの道は下り坂になっている。その道を下っていく。

Photo E2 元街小学校前の三叉路。(2015/1/27 13:33)

Photo E3 丁字路手前の洋館。(2015/1/27 13:37)
汐汲坂を上りきった道からまっすぐの下り坂を辿ると、右手に元街小学校が現われる。地図を見る限り、この小学校だけが「元町」ではなく「元街」になっている。ネットで調べると、明治6年に出来た元街学校が前身で、それ以来ずっと「元街」が使われているということだ。
斜面に建てられた小学校の敷地を覗くと、煉瓦色の優雅な校舎の周囲には石垣と階段道がめぐらされている。こんな素敵な立体構造を持つ小学校は珍しいのではないかと思う。
三叉路をそのまま下ると左に上る細道がある。右手に聖母愛児園の建物を見ながら細坂を上ると丁字路である。
丁字路の手前に外国名の表札が貼られている門を持つ洋館があった。古いが立派な洋館である。というよりも、古いから立派な造りになっているということだろう。

Photo F1 元町公園前。(2015/1/27 13:38)

Photo F2 元町公園内。(2015/1/27 13:40)
洋館の前の丁字路を左折すると、その先は元町公園である。公園に入ってすぐのところに「エリスマン邸」という洋館がある。案内看板に拠れば、日本現代建築の父と呼ばれるアントニン・レーモンドの設計によってスイス人貿易商エリスマン邸として大正年間に建てられた住宅で、平成元年に元町公園に解体移築されたという。
公園の横の道に入ると、下り斜面に広がる公園敷地が眺められる。林の中に続く園路が見渡されるが、下ってまた上ってくるという体力勝負は避けることにして公園を後にした。

Photo G1(左) 諏訪神社への道。(2015/1/27 13:46)
Photo G2(右) 道脇の諏訪神社。(2015/1/27 13:47)
公園前の文字通りの「元町公園前」交差点から下って行く狭い道に入る。地図にある諏訪神社を見ておこうと思ったのである。山手の洋館を眺めてきて、外国人が多く住んでいた(いる)地区の神社はどんなだろうと思ったのである。
下り坂から横道に入り、少し上ると道脇に諏訪神社のお社があった。道に面しているのは社の背面である。正面に廻ってみるとその前は崖になっていて、下には住宅が広がっていた。
洋館の多い地区とはいえ、神社はそのまま神社なのであった。

Photo H1(左) 諏訪町の道(1)。(2015/1/27 13:51)
Photo H2(右) 諏訪町の道(2)。(2015/1/27 13:52)

Photo H3(左) 港の見える丘公園へ向かう坂道。(2015/1/27 13:54)
Photo H4(右) 港の見える丘公園前の道。(2015/1/27 13:55)
諏訪神社は、諏訪町にあるのでそう呼ばれるようになったのだろう。神社から元の下り坂に戻ってさらに下れば、諏訪町を抜けるやや広い道に出る。左折して、港の見える丘公園に向かうことにした。
道は右に曲り、左に曲りながら少しずつ登って行く。左に折れてまっすぐな坂道を上りきると、港の見える丘公園の前を通る道に出る。

街歩きMap。A~Mは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
【続く】