【続き】

Photo I1 この広場から「港の見える丘公園」の中へ。(2015/1/27 13:56)

PhotoI2 港の見える丘公園の展望台。(2015/1/27 14:03)

Photo I3 公園からの展望。上:北東方向、下:北方向。(2015/1/27 14:02)
諏訪町から上ってきて、「近代文学館入口」交差点で港の見える丘公園の前を通る道に出る。少し歩くと円形広場が現われて、そこから公園に入った。
広場の向こうには、キャンバスに向かって絵を描いている数人がいる。そういえば、元町公園にも絵を描いている人がいた。仙台では、1月に屋外で写生に励む人を見ることがないので、感心してしまった。
仙台から横浜まで絵を見に出てきたついでの街歩きなのだが、写生をしている人の絵を覗かせてもらう勇気は私にはない。静かに通り過ぎるのである。
公園の奥に進んでいくと展望台がある。港は見えないわけではないが、山下埠頭や大桟橋埠頭はよく分らなくて、高速道がよく見える眺望である。遠く、横浜ベイブリッジの全景が見渡せる。空中に浮かぶ立体構造は、まるでCGの世界である(田舎生れの田舎育ちにはそう見えるのだ)。

Photo I4 公園から外国人墓地へ向かう山手本通り。(2015/1/27 14:04)

Photo J1 外国人墓地を見下ろす。(2015/1/27 14:08)
港の見える丘公園を出て、山手本通りを歩く。交差点を渡り、交番の前を過ぎて少し歩くと左手に岩崎博物館の煉瓦造りがある。さらに右手の横浜地方気象台の前を過ぎると外国人墓地の門の前に出る。
墓地の門を入ると斜面に広がる墓地の最上部に出るが、墓地の中には入れない。木々に隠れて墓地の様子はほとんど分からないのだった。
外国人墓地のことをかつては異人墓地と呼んでいなかっただろうか。外国人墓地でそんなことを考えた。異人の方がforeignerという英語と対応関係がいいように思うのだがどうだろう。
外国人というと国籍が重要な基準で、異人というと眼が青いとか髪の色とか外見上の特徴が判断基準になるようだ。だから、韓国人や中国人は外国人だが異人とは呼びにくい。古代からの交流があって明らかに古くに血が繫がっている韓国人や中国人が異人でないのは、それはそれでとても自然なことだ。
こんなことをぐだぐだと考えたのだが、かといって外国人を異人と呼びたいとも、呼んだ方がいいとも思ってはいないのである。どう呼んだところで差別主義者がいなくなるわけではないし、そんなことが国家間の軋轢を緩和するわけでもない。ただそんなことを考えたというに過ぎない。

Photo J2(左) 外国人墓地の上の山手本通り。(2015/1/27 14:09)
Photo J3(右) 元町公園の下と墓地の間の階段道。(2015/1/27 14:11)

Photo K1 キリスト教墓地脇を通る。(2015/1/27 14:12)

Photo K2 道は元町公園の中を。(2015/1/27 14:15)
外国人墓地を出て、ふたたび山手本通りを元町公園に向かって歩く。元町公園の東端に沿って下って行く階段道があった。元町公園と外国人墓地の間の谷を下る道らしい。理想的な散歩路だ。
左は元町公園の斜面、右はキリスト教墓地。カソリックの墓地の向こうの崖上に外国人墓地があるはずだが、下からはやはり見えないのだった。
道はいつのまにか公園内に入っていて、左下に元町商店街から入ってくる公園の正面入口が見える。

Photo L1(左) 元町公園から代官坂通りへ。(2015/1/27 14:18)
Photo L2(右) 代官坂通り。(2015/1/27 14:19)

Photo M 元町商店街の東端。(2015/1/27 14:22)
公園内を道なりに進むと、「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」という碑がある。ジェラールというフランス人がこの地で初めて西洋瓦や煉瓦を作ったという意味のことが書いてあった。同じ人物が、この地から代官坂に水路を造って水を外国船に売ったので水屋敷とも呼ばれたという。
ジェラール碑の前をそのまま歩いて行くと代官坂通りに出る。坂といえば坂らしい緩やかな道を進めば元町商店街の東端近くに出る。そのまま東に歩いて、「元町・中華街」駅から「みなとみらい線」に乗れば今日の街歩きは終了である。
長いエスカレーターを乗り継ぎ、地底深くにある「元町・中華街」駅で「みなとみらい線」に乗り込んでから、あらためて地図を眺めると、駅のすぐ近くに「元町薬師堂・弁天堂」という寺院マークが記されている。厳島神社や諏訪神社に立ち寄ったというのに、この寺院を見逃したというのはバランスを欠いているようで妙に落ち着きが悪いのだった。

街歩きMap。A~Mは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。