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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
【続き】
本門寺大堂の背後には、寺務所の大きな建物などがあって、その塀沿いに西に進むと「日蓮大聖人御入滅之霊場」という大看板がある。そういえば、長栄山本門寺そのものが日蓮が亡くなったこの地を霊場として建立された寺なのだった。
多宝塔前からさらに石段を下ると、本行寺の前に出る。この寺は本門寺の大坊である。山門には「大坊」と大書した扁額が掛けられていた。 大坊とは寺院の寄宿舎のことで、若い僧の修行道場を意味してもいるらしい。ひいては、学生を意味する言葉でもある(と、ウィキペディアに書いてあった)。 一帯は寺院だらけである。大坊を過ぎると「西之院」である。「大田区文化財 日昭上人座像(非公開)」があるという看板がある。丁字路に出て右折すると、「南之院」がある。次に「嚴定院」の山門がある。その道をまっすぐ北に歩く。
道は、高架の前に出る。この高架は地下鉄都営浅草線の終端のものらしい。地図では近くに東京都交通局馬込車両研修場という施設があるらしい。 高架の手前を右折して道なりに行くと、池上梅園の入口である。斜面いっぱいに梅の木が植えられているものの、所々に白梅が開いているだけである。1分咲きどころか1厘咲きにもなっていない。紅梅も咲いているかも知れないが、木の幹の色に紛れてしまっているのだろう。
池上梅園から高架をくぐって、第2京浜に出る。「国道1号」に敬意を表して、少しばかり南に歩いてみてから、国道の西の住宅地に入った。すぐに橋に出る。本門寺前の霊山橋の下を流れていた呑川の上流の橋で、「北の橋」と欄干に彫られている。
長命橋から住宅地の中を2ブロックほど西に歩くと、ちょっとした商店街らしい通りに交差する。交差点で眺め渡したら、その通りの南に蕎麦屋の看板が見えた。午後1時になっていたので、そこで昼食とした。
「千登世庵」という蕎麦屋さんで、この冬初めての鍋焼きうどんを食べ終えて、街歩きの再開である。長栄橋から来た道の延長を西に少し進むと丁字路である。その道端には小さな祠がある。中に祀られている石像は、周囲に貼られたお札から判断すると帝釈天らしい。 帝釈天の祠の前を左に行き、すぐに右手の住宅地の道に入った。
ごく普通の住宅地を進むと、右に本光寺の山門に上がる石段がある。本光寺を過ぎると、左手に「宮坂」の柱標のある上り坂が現われる。八幡神社の前の坂という意味である。 宮坂を登ると八幡神社がある。鳥居には「八幡神社」、鳥居脇の石標には「久が原東部八幡神社」とある。「東部」などというお役所言葉風の神社名は珍しい。
久が原東部八幡神社の境内を北側の道に抜け、西に行けば久原小学校の北東の十字路に出る。
安詳寺前の十字路を西に向かう道に入る。まもなく、また十字路に出る。その十字路を右に曲った道脇のコンクリート擁壁の上に神社が見える。コンクリート階段を上がると、「八幡神社」の扁額を掛けた朱塗りのお社がある。本殿脇の石板由緒書きには「八幡神社(久が原西部八幡神社)」とある。東部八幡神社とほぼ同時期に建立されたという。
久が原西部八幡神社の境内から西に抜けると、広くて交通量の多い道に出る。この道を久が原駅に向かうことにする。 この一帯には、そのような宗教的風習が昔からあって、道端の祠がたくさんあるのではないか、そんな気がしてきた。そして、現代の信仰心厚い人びとに、「路辺仏◯◯ヶ所巡礼」などとして受け継がれているのではないか。つぎつぎと妄想は膨らむのだった。
祠のある交差点を過ぎ、次の交差点角には交番がある。その交差点を右に曲ってまっすぐ行けば東急池上線久が原駅だ。 駅に向かう商店街の街灯には「ライラック通り久が原」の看板が付けられている。人通りがそんなに多いわけではないが落ち着いたいい商店街だ。だが、歩道が青く塗られていて、足元が妙に明るいのは落ち着かない気分になる。ところがこの歩道の色が変わるのだ。途中で淡いオレンジ色になる。もう少し行くとさっきの色よりも緑がかった淡い青色になり、またオレンジに変わった。 歩道の色が変わるのに気を取られて、どんな店が並んでいたのかあまり見なかったような気がする。 人通りが多くなった十字路を過ぎると、道の向こうを電車が横切っていく。もう久が原駅である。 いつものことだが、どうも商店街はするっと通り抜けてしまうようで印象が強くない。買い物に興味がないからだろうか。もしそうなら、たとえば一つの商店街を通り抜けるたびになにか一つ小さな品を記念に購入する、という掟を作ったらいろんな店を注意深く眺めながら歩くのではなかろうか。などということを考えたが、はてさてほんとうに実行できる人間なんだろうか、私は。
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