「脱原発みやぎ金曜デモ」は、月に一度だけ最後の日曜日に昼デモを行っているが、今月は「未来を開く5.31宮城県民集会」に合流しての行動となった。
この県民集会は、「守りたい! いのち くらし ふるさとそして平和」が主題で、錦町公園に1800人が集まった。

集会風景(錦町公園)。(2015/5/31 12:15~13:25)
12時の集会開始の少し前に錦町公園に着いた。いつも南西口から公園に出入りする人はほとんどいない。そのせいか、チラシを配る人もいない。広場のまわりを囲むようにテントが張られていて、南西口からの鋪道の先にあった「金デモ」のブースにはデモ常連のご夫婦が待機していて、そこでプログラムなどひとまとまりのチラシをもらった。

「みやぎ金デモ」のブース。(2015/5/31 12:01)

会場の中で。(2015/5/31 12:37~13:13)
会場を回ってみると、かつて私も所属していた職場の組合旗を持つ人がいたが、もう見知った顔はいないようだ。また、6月20日(土) 10:00から泉病院友の会ホール、13:00から長命ヶ丘市民センターで再々上映される「日本の原発」の宣伝をしている顔見知りもいる。
木陰には、二匹の犬も待機している。集会のシンボルカラーはオレンジなので、それぞれマフラーを巻いての参加である。集会後、若い犬はお母さんと一緒にアピール行進に出発したが、12歳になるという犬はお父さんと行進を見送っていた。

サトロさんと岸さん。(2015/5/31 12:04)

憲法寸劇(みやぎ青年九条の会)。(2015/5/31 12:13)

「みやぎ☆割烹着~ず」。(2015/5/31 12:26)
セッション1はライブで、正午の数分前にシンガーソングライターの苫米地サトロさんが自ら開始宣言をして、「ラッキー・ドラゴン」を歌い出した。ビキニ環礁で被爆した第5福竜丸を詠った反核ソングである。 次に登場したのは、みやぎ青年九条の会KIRAKIRA☆9の若い人たちで、学校のクラスを舞台にした憲法についての寸劇を演じた。
3番目は、みやぎ☆割烹着~ずのパフォーマンスは、「ラブ・ミー・テンダー」の替え歌を歌って、踊るというものだ。忌野清志郎が「ラブ・ミー・テンダー」を「何言ってんだ~ ふざけんじゃね~ 核なんていらね~」と歌い出す反原発ソング「放射能はいらねえ!」という歌に替えたものを、さらに「割烹着―ず」という沖縄の若いお母さんたちのグループがダンス付きにバージョンアップしたものだ。
最後にカンパ要請があって、今回のカンパ全額は沖縄・辺野古に送られるという。

主催者(後藤東陽さん)、菅原文子さん、大久保康裕さん。
(2015/5/31 12:36~12:54)
セッション2が集会のメインで、主催者挨拶に始まり、メインゲストの菅原文子さん(故菅原文太さんの奥様)と沖縄平和委員会事務局長の大久保康裕さんのスピーチが続いた。 菅原さんのスピーチも大久保さんのスピーチも、動画撮影をした「市民アクションメディア仙台」がネットにアップしているので、ここで紹介するまでもないのだが、菅原文子さんが言われた「今までの10年とこれからの1年はまったく意味が違う」という言葉がとても印象的だった。
いま、国会では戦争法案の審議が行われていて、1年と言わず1ヶ月という単位の重大な時期を迎えている。国会審議とはいうものの、議論はまったくかみ合っていない。姜尚中さんがテレビで「自公政権としては消化試合なので、議論する気はまったくないのだ」という意味のことを話されていた。時間を稼いで、時期が来れば多数で押し切ろうということだ。
また、ある評論家が「戦争法案の中身を知っているのは、自民党に一人、公明党に一人、あとは数人の官僚だけだ」という意味のことを言ったとどこかに書いてあった。真偽のほどは確かめようもないが、中谷防衛相や岸田外務相の矛盾だらけのトンチンカンな答弁を聞いていると、戦争法案の意味をまったく理解していないというのはきわめてもっともらしいと思える。
最近、政治における反知性主義についての言説が多く見られるが、安倍や中谷や岸田は反知性主義者などではなくて、非知性主義、主義と言うほどではないので「非知性」ないしは「無知性」なのではないかと思えるのである。つまり、反知性主義によって操られる「無知性」が表舞台で見せている言動が、今の国会の状況ではないかと考えると私なりによく理解できる気がするのである。
白井聡さんが首相補佐官の磯崎陽輔参議院議員の「立憲主義なんて聞いたことがない」という発言を取り上げたうえで、東京大学法学部を卒業している磯崎を次のように評している。
学歴者は一般に、少なくとも知性のある部分は発達している。いわゆる頭の回転の速さや知識量は標準レベルを超えており、またそれらを鍛える機会にも相対的に恵まれているだろう。礒崎にしても、彼が「立憲主義」という言葉を見たことも聞いたこともなかった(そのような機会に恵まれなかった)ということは、まず考えられない。だから、礒崎がこうした発言によって曝け出したのは、「自分が興味がなく知らないことは知るに値しない」という精神態度にほかならない。己の知の限定性を知る(ソクラテスの無知の知)ことこそが知的態度の原型だとすれば、この態度は知的態度の対極に位置するものとみなしうる。 [1]
磯崎に反知性主義の典型を見るのだが、彼の言動から直ちに思い浮かぶのは、国家公務員総合職試験をパスしたキャリア官僚のことである。もちろん、自公ばかりではなく野党の多くにも反知性主義は蔓延しているだろうが、彼らこそが日本の政治における反知性主義の根幹ではないのか。
いわば、官僚の反知性主義に操られる自公政権の「無知性」が猛威を振るっているのだと、私には思えるのだ。社会からの批判は「無知性」の政治家に殺到しても背後の官僚には届かない構図だ。無知性であるがゆえに政治家に対するどんな批判も実を結ばない。ナントカに説法である。
だとすれば、最終的に闘うべき相手は行政官僚である。しかし、彼らは、彼らの政治(行政支配)を貫徹するためには、社会システム上、政治家という手段を用いるしか方法はないのである。結局は、日本の反知性主義の手足を奪うという意味で自公政府を倒すことは有効であるだろう。新しく立ち上がった政権が自公政権と同様に官僚に操られる「無知性」なら、ふたたびそれを倒すしかない。
なお、会場で配られたチラシの中に白井聡さんの後援会の案内があった。「「永続敗戦」から考える戦後日本の核心と未来」と題して、7月9日(木)18:30から仙台弁護士会館4階で開催される。主催は東北女性弁護士9条の会である。
政府が次々に繰り出す非民主的、反歴史的な施策によって私たちの危機感がいっそう募っている状況下で、この集会で訴えるべきイッシュウはじつにたくさんあって、この後、つぎつぎステージで訴えられるテーマは多岐にわたったのである。

脱原発のアピール。(2015/5/31 13:20~13:39)

「ええじゃないか」コール。(2015/5/31 13:40)
リレートークでは、教科書問題、食と農業の問題、消費税問題、秘密保護法、戦争法制、地域医療・介護などのテーマが取り上げられた。原発関連では、まず指定廃棄物最終処分場の反対を強く訴えるスピーチ、女川原発再稼働に反対するスピーチがなされた。
次いで金デモの脱原発運動について話したときには、金デモグループがステージの上下に陣取って、いつもデモでやっている「原発なくても ええじゃないか」コールを賑やかに披露した。

アピール行進のコールの練習。(2015/5/31 14:01)

待機中の金デモのグループ。(2015/5/31 14:06)
「憲法九条を守り抜く」決意を表明する最後のトークの後に、「集会アピール」が読み上げられ、採択された。
「オレンジウェーブ」と名付けられたアピール行進の準備が始まると、金デモのグループが中心となってコールの練習が始まった。その金デモグループは、このような集会ではたいてい行進の先頭に立つのだが、今日は最後尾を受け持つことになっている。早々とデモの準備ができあがった金デモグループが、一番最後まで待っていたのだ。
[1] 白井聡「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」、内田樹編著『日本の反知性主義』(晶文社、2015年)p. 68。