採択された集会アピールには「沖縄への連帯をこめて」という言葉が添えられていた。沖縄・辺野古は、日本の民主主義の闘いの最も突出した現場であり、もっとも鮮烈な象徴の場所である。
石川為丸という詩人がいる。本土で生れ、沖縄で暮らし、悲しみと憤りを言葉にした詩人だ。私が初めて手に入れることができた1冊の彼の詩集『島惑ひ 私の』は、石川為丸の最後の詩集であった。
仏桑華の赤は あくまでも鮮やかに 島での悲しみはまだ、
終わってはいけないとでもいうかのように 降りそそぐ
ひかりのなかに、顕つひとが見えていたのだ 樹の宿題を
残したままの島惑い 私はそのとき、どこにも属すると
ころのない 異風な声の、なにものかによばれているよう
だったから
「樹の宿題」(部分) [1]
2014年11月16日の日曜日、沖縄県知事選挙の日、オール沖縄の闘いが実って翁長雄志さんが勝利した日、沖縄県民の喜びが沸騰し、新たな闘いに踏み出した日、その記念すべき日に、那覇の自宅で石川為丸はこの世を去った。沖縄の闘いに連帯し続けた64歳の孤独死だった。
沖縄は遠いが、集会のなかで石川為丸の詩の言葉を少しばかり反芻していた。錦町公園の集会が終わり、オレンジウェーブ(アピール行進)が始まって、カメラを抱えて走り出した時には詩を反芻する余裕は吹っ飛んでしまったが。

定禅寺通り、国道4号(勾当台通り)を渡る。(2015/5/31 14:13~14:26)

最後尾の「みやぎ金デモ」の列。(2015/5/31 14:26、28)
錦町公園を出発した行進は、定禅寺通りを西進して一番町に向かう。駆け足で先回りして勾当台通りで待ち構えていた。
全体がこの交差点を渡りきるのに20分近くかかった。最後のグループが通過するまで待機していたが、この長さではもう先頭に追いつくことは無理だと思えた。幸い、最後尾は金デモのグループなので、そこに入って一緒に歩き出す。

一番町、出店テントをすり抜けて。(2015/5/31 14:30、31)

いつもの顔。(2015/5/31 14:32、33)

今日も元気で賑やかに。(2015/5/31 14:33、34)
一番町に入ってすぐ、三越前にはテントが張られて出店が並んでいた。デモは道の端をすり抜けて進む。あいかわらず、日曜日の一番町は祝祭のように賑わっている。蕩尽の祝祭と言ったら、すこし民俗学ふうで意味ありげに聞こえるが、ただの消費の祭りだ。沖縄の現在とどうイメージを繋げばいいのだろう。
八月の園芸は 水やりが毎日の作業となる
鉢植えの花木は 一日でも水やりを忘れると
強烈なダメ —ジを受けることになる
だから土砂降りが待たれるのだ
雨乞いの祈り
二ューギニアのどこそこの部族には
必ず雨が降るという方法があるそうだ
それは続けること 雨が降るまで祈りを続けるということ
沖縄の八月
空から雨の降らない日は続くけれど
空から異様なものが落ちてくることがある
米軍のへリコプターだ
二〇〇四年八月一三日 大型輸送へリコプターCH・53D
沖縄国際大学の構内に墜落
今年二〇一三年八月五日 HH・60ペイブホーク
キャンプハンセン敷地内に墜落
にもかかわらず、欠陥機の垂直離着陸輸送機オスプレイは
強行配備され訓練飛行しているのだ
雨乞いの祈りはそれを続ければよかったが
では米軍機の墜落を避けるにはどうすればよいか
簡単だけれど難しい
難しいけれど簡単なこと
米軍機を飛行させないことだ
沖縄の園芸家は額を上げる
怒りに燃えるようなホウオウボクの花々!
沖縄の八月は
今日も水やり
明日も水やり
つづけることだ
「八月の園芸家」(部分) [2]

アピールさまざま。(2015/5/31 14:23~44)

青葉通り、国道4号を渡る。(2015/5/31 14:48)

最後尾を守った脱原発カー。(2015/5/31 14:52)
一番町を広瀬通りまでシュプレッヒコールに声を合わせて歩いたが、もしかしたら先頭に追いつけるのではないかと、列を離れ、広瀬通りから東二番丁通りを通って青葉通りまで走ってみたが、まったく間に合わなかった。
息を整え終わる頃に、最後部の金デモグループが東二番丁通り(国道4号)を渡ってきた。一番最後を、いつもはデモの先頭を行く脱原発カーがやって来る。ここを渡りきれば、まもなく解散地点である。
発芽抑制物質をとばす方法を 内地の人に教えたうえで
園芸家はガジュマルの種子を配布する
受けとった諸君は
播種して七日めにはとても小さな双葉を発見するだろう
生まれたものの弱々しさと
生きようとする意志の不敵なひらめきを諸君は見るだろう
そして そのとき 諸君の耳に
はてしなくつづく芽の行進のどよめきが
かすかにきこえるだろう
そう 沖縄の地から発せられる 芽の行進のどよめきが
「四月の園芸家」(部分) [3]
私たちのアピール行進は、「沖縄の地から発せられる芽の行進」に連なっているだろうか。私たちのコールは、「芽の行進のどよめき」を伝えることができただろうか。
連なっていると思いたいし、伝えることができたと信じたい。たとえ、そうでなくても、「今日も水やり/明日も水やり/つづけることだ」。それはきっとできる。
[1] 石川為丸(石川為丸遺稿詩集刊行委員会編)『島惑ひ 私の』(榕樹書林、2015年) pp. 8-9。
[2] 同上、pp. 97-9。
[3] 同上、pp. 110-1。