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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.01.31
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 今日は月一回の日曜昼デモだが、おそらく参加者は少ないだろう。デモと重なる時間帯にもう一つ重要なイベントがある。
 「野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会」が主催する『# 激おこ! 参議院選挙勉強会@仙台』の集まりが座間宮ガレイさんを迎えて太白区中央市民センターで午後3時から開かれるのである。主催スタッフに金デモスタッフや常連さんが入っているので、二つのイベントは部分的に引き裂かれているのだ。私もデモ終了後に遅刻しながらでも参加しようと考えていたのだが、それも難しくなった。
 29日(金)に高浜原発3号機を再稼働するという関西電力に抗議する集会を関電東京支店前で開くというので東京まで出かけた。東京から帰ると妻の風邪がさらにひどくなっていたうえに、翌日には111歳の義母が妻とまったく同じ症状になってしまった。
 今日になったら息子まで熱があると言い出した。いつもなら、しょっちゅう熱を出す私を「またなの?」などとからかっている家族が全員そろって風邪をひき、私だけがぴんぴんしているというきわめて稀有な事態になってしまった。
 家族の昼食に茸ソースのパスタを作って(もちろん、私も食べて)家を出たが、デモが終われば急いで帰らざるを得ないことになった。

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勾当台公園野外音楽堂。(2016/1/31 14:18)

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フリー・スピーチ。(2016/1/31 14:11~21)

 会場に着いた時には予想どおり20人ほどしか集まっていない。それでもデモに出発するときには35人まで参加者が増えていた。

 主催者挨拶も『参議院選挙勉強会』のことから始まった。集会終了後にデモに出ないで会場に向かえば時間的には間に合うので「どちらでもどうぞ」という案内だった。事の重要性を鑑みた主催者の苦衷の案内なのである。
 挨拶はさらに高浜原発の再稼働にも触れた。29日には再起動が始まり翌朝には臨界に達してしまったのである。しかし、この再稼働は川内原発の場合とまったく同様に規制委員会の再稼働ありきの審査によるものである。九州電力は、川内原発の審査前には免震重要棟を建設すると言明していながら審査終了後には建設を取りやめると発表したが、規制委員会は遺憾の意を表明しただけで済ませている。また、各地の原発で不正なケーブル敷設が行われていることが発覚し、規制委員会は各原発に点検を要請したが、再稼働した川内原発と再稼働直前の高浜原発にはそれを免除したのだ。これらの事実は、規制委員会審査は再稼働のための儀式で、原発の安全性など最初から問題にしていないということにほかならない。
 続いて、今後の脱原発関連の予定の話があった。3月11日にちなんだ大きな脱原発イベントが毎年開かれているが、今年は「脱原発みやぎ金曜デモ」が単独主催団体として3月27日(日)に行うことになったこと、そのために大勢のスタッフが必要なこと、今年はデモというよりパレードと呼べるような楽しいイベントにしたいのでアイデアをたくさん出してほしいなどという呼びかけがなされた。
 また、昨年11月に開かれた『市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム』の第2弾を国際センターの1000人規模の大会場で5月に開く予定であることも告知された。

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勾当台公園から県庁前を。(2016/1/31 14:29、32)

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勾当台通り、定禅寺通りを渡って。(2016/1/31 14:34、41)

 風もなく日差しが暖かい好天のもと、35人のデモは勾当台公園を出発する。人数が少ないのは、デモとしては寂しいことだが、じつは写真へのおさまりがとてもいいのだ。
 大人数のデモの時には、カメラで写しきれない人のことがとても気になる。全員を写さなければならない理由は全くないのだが、どことなく写っている人と写っていない人がいるというのは、気持ちの落ち着きが悪いのである。

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一番町を南へ。(2016/1/31 14:41、41、42)

 1番町に入ると、道の中に仮舞台を設営して和服姿の(なかには武士の装束で)10人ほどの人が節分の豆まきをしている。どんな形で豆をまくのか知らないが、拾うためらしい大勢の人が周囲を取り囲んでいる。私たちはそろりと舞台の袖を通り抜ける。

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広瀬通りを過ぎて。(2016/1/31 14:48、49、51)

 チェルノブイリ事故では事故発生から5年目に甲状腺がんの発生が急増している。福島事故から間もなく5年が過ぎようとしている。福島で被曝した人々、とくに子供たちの甲状腺がんの多発が心配されており、現時点での発症数そのものが多発傾向にあるとする報告もある。
 それに対して、あいかわらず、多発してはいないし、放射線の影響は考えられないと「何もなかった主義」の行政や行政サイドの専門家は主張し続けている。いずれ結果が明らかになることだが、最悪の場合は何もせずに甲状腺がん(ばかりではないが)の多発を座して待つことで、多くの人を犠牲にする可能性がある。
 そうした心配が単なる杞憂に過ぎないとする論調の中で、福島事故による放射線被曝がチェルノブイリと比べればとても低いので心配することはないのだという言説がある。しかし、私には原発事故後の混乱した状態の中で人々の被曝量をきちんと測定していたとはとても考えられない。
 実際、多くの避難者の被曝量検査がじつにいい加減になされていた事実が『見捨てられた初期被曝』 [1] で明らかにされている。甲状腺がんは半減期が8日と短いヨウ素131の内部被爆によるので、初期被曝量がきわめて重要である。その初期被爆の検査がいい加減に進められていたという事実を科学的検証も含めて明らかにした本である。

 

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 著者は「study2007」というツィッターアカウントを筆名として用いているが、原子核物理学者という職業上、放射線取扱業務や職場の放射線作業の安全管理にたずさわっていた様子がうかがえる方である。
 私もまた、放射線取扱主任者(第1種)の資格で一時は職場の安全管理業務を担当していたことがあるので、書かれていることはよく理解できるし、信じられる。いくぶん科学的知識を要する個所もあるが、事故後の混乱期の中でいかに行政(行政サイドの医学者も)が福島県民の健康を守ることよりも行政手続きを優先していったかが手に取るようにわかる本である。

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青葉通りを東へ。(2016/1/31 14:55) 

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冬陽は傾いて。(2016/1/31 14:58)

 冬の日の傾くのは早い。勾当台公園を出るときには、昼日中という感じだったが、30分も経たないで青葉通りを歩き終えるころには、もう夕方の雰囲気が始まっている。 日曜日はバスの本数が少なくなるので、一番町まで戻って地下鉄で帰ることにする。帰って、妻の介護の手伝いである。
 明治生まれの111歳はとても骨太で、妻もしだいにその重さを扱いかねるようになってきたので、私の外出はあまり喜ばれなくなってきたようだ。そんな雰囲気をひしひしと感じながら一昨日は東京に出かけていったので、せめて今日だけは1分でも早く帰るのである。

 

[1] study2007『見捨てられた初期被爆』(岩波書店、2015年)。

 

 

 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






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Last updated  2017.06.17 20:31:13
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