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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2016.05.20
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テーマ:街歩き(513)
カテゴリ:街歩き

 熊本・大分大震災の被害が続いているというのに、2020年東京オリンピック開催決定を巡る日本側の買収だとか舛添東京都知事の公金不正支出問題などでマスコミが大騒ぎしているさ中、19日の参議院法務委員会で「改正刑事訴訟法」(国民盗聴法)がたいした報道もされずに成立した。国民の自由を憎んでいるかのようなファシズム的統治システムが次々とできあがっているのだ。
 そのニュースと重なるように、沖縄県うるま市で若い女性が元米兵に殺害されるというニュースが流れる。アメリカによる植民地支配をもののみごとに象徴する事件なのに、アメリカとの軍事同盟だけが彼らの生命線と信じている自公政権はまったく関心を示さない。まったくいいニュースがないのだ。「みんな安倍のせいだ」というのが、合言葉のようになりつつある。
小さな話題だが、「いやな感じ」のニュースがネットで流れてきた。東京のあるカフェで「WAR IS OVER」と「GO VOTE」という小さなビラを店の看板の脇に貼っていたところ、通行人が「政治的過ぎる」とビルの管理者にクレームを付けたうえで「2週間後に確認に来る」と言ったというのである。
 ネットでの大方の反応は、当然ながら「WAR IS OVER」や「GO VOTE」のどこが政治的なのか、というものだった。しかし、「政治的で何が悪い!」と断言する人もいて、私には、これがもっとも正しい反応だと思える。
 かつて、総選挙を前にして「みんな家で寝ててくれればいい」と語った保守政治家がいたが、これは「家で寝ていること」が保守政権にとってもっとも都合のいい国民の「政治的行動」だということを露わに示している。
 「家で寝ている」ことですら決定的に「政治的」なのである。ましてや、ビラが政治的だとクレームをつけるのは「過激な政治行動」だ。本人は、中立な立場で非政治的な正しい行いをしていると信じているかもしれないが、愚昧の極みである(最近、「〇〇の極み」というのが流行りらしい)。
 辺見庸さんが魯迅の『阿Q正伝』を引いて、次のようなことを書いていた。

 満州事変の発端となった柳条湖事件から八十一年目となる九月十八日にも、北京、上海、広州など中国全土で反日デモが行われ、満州事変記念館がある遼寧省瀋陽市では、日中戦争で殺された中国人を哀悼してサイレンが鳴らされた。それと同時に現地のテレビでは「国辱の日を忘れるな」という字幕が映しだされた。サイレンは安徽省、山西省、雲南省など数十の都市でも鳴らされ、市民らが黙禱した。まったく同じ日、若者たちで満員の東京・日本武道館では「AKB48 29th選抜じゃんけん大会」が盛大に行われ、テレビが「緊急生中継」した。二つのできごとには、日中両国の幼(いと)けない阿Qの子孫たちが参加していたことを除けば、とくに共通性はない。 [1]

 時代を遡っていえば、紅衛兵のこともある。政治に煽られて暴走する人々も、AKB48の熱狂する人々も「日中の幼(いと)けない阿Qの子孫たち」なのである。先のクレーマーもまた阿Qそのものだ。

阿Qとは、握れば一つに固まっているようでも、所詮は手指からパラパラとこぼれおちてゆく砂(中国語で「散沙」)のような、哀しくも滑稽な民衆の原像でもあった。阿Qは、ちゃらんぽらんで、なんでも自分に都合よく解釈するオポチュニストであり、時に応じて付和雷同する貧しい愚民の典型である。つまり、魯迅が仮借なくつきだした昔日の中国民衆像が阿Qなのだが、しかし、阿Qの末裔は現代中国のみならず、この日本でも、いや、世界各地でいま急速に増殖してはいないだろうか。 [2]

 今、日本でも大勢の阿Qたちがおのれの行為の政治的意味を知ってか知らずか、右翼政治権力の「生政治」の操られるまま社会の閉塞化、ファシズム化へと加担し続けている。

 私がいちばん気にしているのは、この時代のファシズムは、我々が自ずからやってしまうことであるということです。一生懸命、真面目にやってしまうということです。それはこれから来るということではなく、まさに最中であると思うんですね。あるいはもはや事後かもしれない。僕が苛立つのはそこです。 [3]

 魯迅は阿Qの愚かさを仮借なく描き出したが、阿Q(たち)を愛してもいたのだというのが正しい『阿Q正伝』評なのだろうが、私は、現代日本の阿Qたちを愛しているとはとても言い切れない。
 私もまた無自覚な阿Qではないかと怖れつつ、今日もデモに行くのだ。 

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肴町公園。(2016/5/20 18:13、27)

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フリー・スピーチ。(2016/5/20 18:16~28)

 午後6時の肴町公園にはまだ人は少なく、4、5人の高校生がブランコ近くのベンチで何か話し込んでいる。

 主催者挨拶は、伊勢志摩サミットに合わせて東京電力が福島第一原発の作業を中止する計画だという話題から始まった。テロや事故のリスクを避けるためということだが、テロを心配するなら稼働中の川内原発を止めるべきだろう。放射能まみれになった福島第一原発に近づいて被爆覚悟でテロを仕掛ける馬鹿なテロリストはいない。なによりも、原発はテロを受けない、事故も起きないと信じて(そのふりをして)原発を再稼働してきたのではないか。自己矛盾もはなはだしい。
 「高校生の皆さん、デモに参加してくださいとは言いませんが、選挙には行ってくださいね」という締めで主催者の挨拶は終わった。二人の高校生が集会の輪に近づいてきてチラシを受け取り、しばらくはスピーチを聞いていた。

 フリー・スピーチの最初は、憲法の話である。私たちは国民が憲法を守るものとして教育を受けてきたが、本来憲法は権力の暴走を防ぐために政治権力を持つ者が守るべきものとして制定されたものだ。権力を縛るものとしての憲法の正しい位置づけのもとで行動していきたい、という話だった。
 福島から参加された人の挨拶の後、「NPOきらきら発電・市民共同発電所」の近況報告があった。すでに2か所に太陽光発電所を完成させたが、現在3か所目を計画中で、さらに風力発電所の建設を目指しているということだった。それぞれの発電量は小さくても、地道な活動は確実に脱原発への道、電力の原発依存からの脱却に向かっている。
 最後のスピーチは、3・11原発事故によって避難したり、健康上、生活上の不安を抱える人々への支援プログラムを実施している「放射能支援対策室いずみ」から「美術あそび」という子どもを対象としたイベントの告知だった。5月28日と31日に版画作家や美術家を招いて行うという(連絡先:022-796-5272)。宮城県では福島事故後の甲状腺検査など子どもたちの健康診断は行われていない中で、子どもたちへの被爆の影響を心配する親たちとこのような活動を通して問題意識を共有していければということらしい。

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一番町へ向かって。(2016/5/20 18:36、38)

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一番町の人出。(2016/5/20 18:42~46)

 午後6時半、肴町公園を40人のデモが出発するころは、まだかなり明るさが残っている。しかし、一番町に入れば、店々の照明や街灯が明るくて、陽の残りなど気にしなくなってしまう。
 肴町公園から一番町に出て北に向かうと、すぐに広瀬通り交差点に出る。交差点の手前、「仙台フォーラス」前には大勢の若い人が集まっている。この時期らしく、大学の新歓コンパや新入社員の歓迎会などのための待ち合わせなのだろう。
 広瀬通りの向こうにはもっと多くの人たちがいて、デモの列は群衆をかき分けていく雰囲気になる。

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広瀬通りから定禅寺通りへ。(2016/5/20 18:46~50)

 広瀬通りを過ぎるとアーケードの天井はなくなり、空の色が見え出す。夕暮れが急に進んだようだ。一番町を抜けだすと仙台は夜だった、などとおちゃらけて見たくなるようなタイムスリップのような夕暮れの変化だ。

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定禅寺通りを西へ。(2016/5/20 18:57、59)

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晩翠通り。(2016/5/20 19:04、10)

 今日、明日と、仙台市郊外の秋保温泉ホテルで伊勢志摩サミットに先立つG7財務相・中央銀行総裁会議が開かれていて、市内も警備が厳しくなっていると予想されたが、そのようなことはまったくなく、デモはスムーズに定禅寺通りをまわり、晩翠通りから肴町公園に戻って来た。

[1] 辺見庸『国家、人間あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社、2013年)p. 26。
[2] 同、p. 25。
[3] 同、p. 194。

 

 

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