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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き
熊本・大分大震災の被害が続いているというのに、2020年東京オリンピック開催決定を巡る日本側の買収だとか舛添東京都知事の公金不正支出問題などでマスコミが大騒ぎしているさ中、19日の参議院法務委員会で「改正刑事訴訟法」(国民盗聴法)がたいした報道もされずに成立した。国民の自由を憎んでいるかのようなファシズム的統治システムが次々とできあがっているのだ。
時代を遡っていえば、紅衛兵のこともある。政治に煽られて暴走する人々も、AKB48の熱狂する人々も「日中の幼(いと)けない阿Qの子孫たち」なのである。先のクレーマーもまた阿Qそのものだ。
今、日本でも大勢の阿Qたちがおのれの行為の政治的意味を知ってか知らずか、右翼政治権力の「生政治」の操られるまま社会の閉塞化、ファシズム化へと加担し続けている。
魯迅は阿Qの愚かさを仮借なく描き出したが、阿Q(たち)を愛してもいたのだというのが正しい『阿Q正伝』評なのだろうが、私は、現代日本の阿Qたちを愛しているとはとても言い切れない。
午後6時の肴町公園にはまだ人は少なく、4、5人の高校生がブランコ近くのベンチで何か話し込んでいる。 主催者挨拶は、伊勢志摩サミットに合わせて東京電力が福島第一原発の作業を中止する計画だという話題から始まった。テロや事故のリスクを避けるためということだが、テロを心配するなら稼働中の川内原発を止めるべきだろう。放射能まみれになった福島第一原発に近づいて被爆覚悟でテロを仕掛ける馬鹿なテロリストはいない。なによりも、原発はテロを受けない、事故も起きないと信じて(そのふりをして)原発を再稼働してきたのではないか。自己矛盾もはなはだしい。 フリー・スピーチの最初は、憲法の話である。私たちは国民が憲法を守るものとして教育を受けてきたが、本来憲法は権力の暴走を防ぐために政治権力を持つ者が守るべきものとして制定されたものだ。権力を縛るものとしての憲法の正しい位置づけのもとで行動していきたい、という話だった。
午後6時半、肴町公園を40人のデモが出発するころは、まだかなり明るさが残っている。しかし、一番町に入れば、店々の照明や街灯が明るくて、陽の残りなど気にしなくなってしまう。
広瀬通りを過ぎるとアーケードの天井はなくなり、空の色が見え出す。夕暮れが急に進んだようだ。一番町を抜けだすと仙台は夜だった、などとおちゃらけて見たくなるようなタイムスリップのような夕暮れの変化だ。
今日、明日と、仙台市郊外の秋保温泉ホテルで伊勢志摩サミットに先立つG7財務相・中央銀行総裁会議が開かれていて、市内も警備が厳しくなっていると予想されたが、そのようなことはまったくなく、デモはスムーズに定禅寺通りをまわり、晩翠通りから肴町公園に戻って来た。
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こんにちは。
佐原といいます。 戦争はやめようとか、選挙に行こうというスローガンを店頭に張り出してはいけないなどと妙な言い掛かりをする者がいるのは困ったものです。一週間後に来て同じことを言ったときは、すぐに警察に通報したほうがいいと思います。 (2016.05.22 16:00:16)
歩世亜さん
>今晩は! > >だんだん日本本来の美徳が失われて行きますね。 ----- 奥ゆかしさのようなものがなくなって、気にくわないとすぐに文句を言うのですね。 一歩踏みとどまって考えてくれれば、と思います。 たちが悪いのは、本人は正義を実行していると思い込んでいることですね。 中途半端な人間の正義感ほどやっかいな物はありません。 (2016.05.22 16:07:22)
佐原さん
>こんにちは。 >佐原といいます。 >戦争はやめようとか、選挙に行こうというスローガンを店頭に張り出してはいけないなどと妙な言い掛かりをする者がいるのは困ったものです。一週間後に来て同じことを言ったときは、すぐに警察に通報したほうがいいと思います。 ----- 本当ですね。 自分の小さな知識で構成された社会理解で、自分にないものを排除しようとするのは、それ自体が反社会的だということがわかっていないのですね。 こうした行為の先にマイノリティ差別、ヘイト言動があるのだと思います。 (2016.05.22 16:12:08) |