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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.05.27
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テーマ:街歩き(510)
カテゴリ:街歩き

 気ぜわしい日が続く。退職前はいくら忙しくてもそれは私の一連の仕事だったが、いまはカテゴリーの違うことがらを処理するのが日課となった。それぞれに拘束される時間はたいしたことはないのだが、仕事のように一貫していないので「あれも、これも」という気分で心が急くのである。
 日曜日の夜に義母が38度の熱を出した。二日ほど前から少し咳をしていたが、さほど具合悪そうに見えなかった。明けて月曜、定期検診で訪れた訪問医の判断で緊急入院となった。義母は112歳ということもあって、肺炎の疑いなどでは慎重を期して設備の整った病院への入院を勧められることが多くなっている。
 妻は義母に付きっきりで病院で寝泊まりするので、火曜日の朝から妻の食事を届ける仕事ができた。「火曜日は一般ごみ、水曜日はプラごみの日」と指示されて家に戻ると、夕方に病状の説明と延命治療の是非について担当医から話があると呼び出される。
 こんなふうにバタバタと三日過ごして、木曜日は東京出張で早朝に家を出る。たぶん今年度だけだろうが、委嘱された仕事もまだあるのだ。夕方、仙台に帰ってきて、一日空いてしまった妻の食事を作って準備していた。
 金曜日、朝に妻の食事を届けたら夕方の金デモの時間までゆっくりできると構えていたら、妻から電話で「経過がいいので午後に退院」と連絡が入る。この時、「もうちょっとのんびり入院してればいいのに」と思ったのだが、電話口ではさすがにそれは言えなかった。明日は、250室ある学生マンションへの市政だよりを配布する町内会の仕事の手伝い、明後日は脱原発のシンポジウム。毎日、何かがあるというのは気持ちを落ち着かせない。
 自分で言うのだからあてにならないが、私は一つのことは夢中になってやれると思うが、カテゴリーの違うことをうまく切り替えて処理する能力が欠如しているのだと思う。たいした仕事量でなくてもバラバラな事柄にうろたえてしまうのだ。
 今になって思えば、研究室に籠って実験に夢中になっていたり、論文書きで居室に閉じこもっていたりするのがつくづく性に合っていたのだと思う。まあ、私の過去は恵まれていたと思って、わが身を落ち着かせようと努力はしてみる。

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肴町公園。(2016/5/27 18:20、29)

 どんどん日が長くなっている。肴町公園に着いて、日の長さのことを考えていたら、日暮れの最も遅いこれから6月にかけての時期に行こうと計画した長時間コースの日帰り登山のことを思い出した。
 日暮れの遅い季節は
毎年巡ってくるけれども、12時間近いコースを歩く体力はもう戻ってこない。丹念にコースを調べ、6年ほど温めていた計画だったが、いまではこういう時に思い出すだけの計画になってしまったのである。

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フリー・スピーチ。(2016/5/27 18:13~28)

 先週の主催者挨拶で、東京電力が福島第一原発の作業を中止する計画についての話題が出たが、「テロや事故のリスクを避けるため」ということではなく単に「安全のため」と東京電力は発表しているというちょっとした訂正があった。しかし、それは本質的な違いには思えない。いずれにしても作業を続けるのは「危険」で、作業をやめれば「安全」と言明していることに変わりはない。サミット会場の伊勢志摩にまで危険が及ばないまでも、「福島事故はアンダーコントロール」という虚言が危険性とともにサミット関連のニュースとして世界に周知されてしまうのはなんとしても避けたいという姑息な判断なのだ。

 フリー・スピーチの最初は、宮城県議の中嶋廉さんである。中嶋さんも「脱原発県議の会」のメンバーで、奈良県議会で脱原発に取り組んでいる県議9人が来仙されて「脱原発県議の会」と交流された話題からスピーチが始まった。宮城県は原発の立地県であるうえに電力会社の本社もある県で、奈良県はそのどちらもないという違いはあるけれども、県議が脱原発の会を結成しているのはこの二県だけだという。奈良では会の代表が元自民党で現在無所属の県議会副議長で、会には3人の自民党議員も参加されているという。脱原発では党派を超え、政治イデオロギーを超えて手をつなげる可能性の証のような話である。
 また、原発事故時の放射能汚染のシミュレーションの方法、結果についての原子力規制庁とのやりとりを話された。規制庁の計算は汚染を低く見積もりすぎているのではないかという指摘に明確な否定をしなかったり、UPZ(緊急時防護措置準備区域)を30km圏内とすることにこだわっているわけではないという話が出たりしたという。こうしたことを含めた話を29日の「事故が起きたら逃げられるのか? 市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム part2」で行う予定なので、ぜひシンポジウムに参加されたいと締めくくられた。

 続いて、電力会社や原子力村がマスコミに圧力をかける方法についてのネット記事からの話題提供があった。話題の出どころを聞き漏らしてしまったが、おそらく『電通と原発報道』や『原発広告』の著者、本間龍さんのインタビュー記事ではないかと思う。「原発安全神話をすり込むために、電力会社はこの40年間に2兆4千億円の広告費を使いました」というタイトルのインタビュー記事で、そのなかで東京電力は2010年度だけで269億円を広告費につぎ込んでいると述べられている。莫大な広告資金をバックに原子力に不利な記事や番組に圧力をかけるのに、記者や番組制作者ではなく営業担当にクレームをつけるという方法をとるのだという。こうして垂れ流された原子力安全神話のもとに日本の原発は次々と建設されてきたのだ。

 最後に、熊本の災害ボランティアに出かけられた方の報告があった。軽自動車で1200km走って参加し、仙台から来たということで報道でも取り上げられたが、現場には沖縄からも北海道からもボランティアが来ていたということだ。川内原発まで足を延ばす余裕がなかったのが残念と話された。

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一番町を広瀬通り角まで。(2016/5/27 18:39~42)

 昨年の暮に再開したジョギングは、筋肉痛で少し休みを入れたら間遠になってしまって、結局は頓挫してしまった。さらに悪いことには、老犬の散歩量がガクッと減って、それに付き合う私のあさの散歩は1000歩にも満たない日がある。
 そんなこともあって、犬と一緒に朝5時に家を出て短い犬散歩をすまし、それから私一人で1時間から1時間半の速足散歩に出かける。ジョギング代わりにそんな散歩を続けていたが、義母の入院騒ぎで、体全体がふわふわするような疲労感があったので速足散歩を火曜日から金曜日まで4日間休んだ。
 一番町を行く50人のデモの列の前になり後ろになりしながら写真を撮る。そのとき考えていたのは、このまま1時間半の速足散歩を止めてしまう惧れがないでもないなあ、ということだった。体力が落ちると、体力を使わない方へ体が楽をしたがる。それでいっそう体力が落ちるのだ。ハイデッガーの言う「頽落」とはこういうことなのである。

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一番町広瀬通りから定禅寺通りへ。(2016/5/27 18:43~48)

 広瀬通りまでは昼のような明るさで、一番町広瀬通り角の人混みを抜けると、街頭や店々の照明の感じが夕暮れらしくなってくる。一番町から定禅寺通りにひょいと曲がると、一瞬で暗さが濃くなったような錯覚に落ちる。欅の葉の茂りが空を覆い、道幅が広がって店頭照明が遠ざかったせいだ。

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定禅寺通りを西へ。(2016/5/27 18:54~58)

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晩翠通りを行く。(2016/5/27 19:02~12)

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晩翠通りから肴町公園への路地へ。(2016/5/27 19:13)

 定禅寺通りから晩翠通りに曲がれば、もう立派な夜である。夕暮れの時間の過ぎてゆく様を味わえるのは、デモの時だけのような気がする。夕方の時間の過ごし方について考える、などということはなかった。
 子どものころ、夕暮れは外で遊びまわっている時間帯だったが、それでも私は夕方の寂しさが激しく嫌いだった。夕暮れのこんな時間が好きになったのは、いつごろからだったのか。そんなことが思い出せないくらい長い時間を生きたということか。

夕空はしろく映えをり不帰の客としらず発ちゆく人もあるべし
                    春日井建 [1]

 年齢相応に決定的な別れもまた経験したというのに、子どものころのように夕暮れが悲しいということはなくなった。鍛えられたのか、諦めたのか。

[1] 春日井建『歌集 水の蔵』(短歌新聞社 平成12年)p. 24。

 

 

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Last updated  2017.04.08 20:48:05
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