490674 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

PR

Profile


小野寺秀也

Category

Archives

Recent Posts

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

安倍政権とは何だっ… New! fujiwara26さん

私の父じゃないでし… New! 元お蝶夫人さん

今年の夏は行きたい… New! 木昌1777さん

トルコへのS-400引き… New! Condor3333さん

《短歌日記》進撃の… New! 平安寺悠悟(へいあんじ・ゆうご)さん

Comments

Freepage List

Headline News

2016.07.01
XML
テーマ:街歩き(449)
カテゴリ:街歩き

 言葉が、日本語がとても貧しくなったと思うのは、単に私の言語の感受力が衰えたせいなのだとは思えない(思いたくないということなのだが)。
 かつて、ある政治家が「警察は国家の暴力装置」と発言したら自民党が鬼の首を取ったかのように大騒ぎしたが、政治を志す者がごくごく一般的な政治学的用語を誤解している(知らない)ことはとくに気にならなかった。もともと、政治家にはそれほどの知性があるとは思っていなかったからだ。
 それでも、ある時、日本の宰相が自分を批判する人間を「サヨク」と呼んでドヤ顔を見せたときには少しばかりあきれてしまった。その一言で批判し返したつもりなのだ。彼の中では、「サヨク」という言葉が「お前の母ちゃん、でべそ!」などという言葉と同レベルで整理されているらしいのだ。知性がどうのという以前の話だ。
 いまは、参議院選挙の真っ最中だが、正しく政治の言葉を彼らと闘い合わせることは可能なのか。いや、論戦が不可能であっても、選挙には勝たねばならぬ、そうは思うのだ。そして、これが、こんなことがずっと若い時から私が政治家には絶対なりたくなかったと思っていた理由だと、いつもの選挙の時と同じように繰り返し思い出し、自己確認するばかりだ。

nnk170-1

nnk170-2

nnk170-3

nnk170-4
集会@勾当台公園野音。(2016/7/1 18:36~19:01)

 先日の日曜昼デモも暑い日だったが、今日も暑い一日だった。まだ火照りが残る街を抜けて勾当台公園の野外音楽堂まで歩くことを思うとすこしばかりうんざりする気分だった。これからデモでたっぷりと街を歩くのに、その前段でうんざりしてしまうのはどういうことだ。デモを歩くことにはべつにうんざりしているわけではないのが変だ。

 主催者挨拶は、熊本・大分大震災の震源地に連なる中央構造線のすぐそばにある伊方原発の再稼働の動きに触れ、熊本・大分大震災で観測された縦揺れの地震に対する原発の耐震性を規制委員会がまったく考慮していないのは極めて問題だと話された。また、7月10日の参議院選挙では原発問題が争点になっていないが、ぜひとも原発問題を考慮して投票してほしいという訴えもあった。
 続いて、仙台市が行っている「伊達な節電所」というキャンペーンについての案内もあった。7月1日から来年の3月11日までの間、昨年より電気使用量の少ない月があったらメールや郵送で「電気使用量のお知らせ」のコピーを送れば抽選で景品がもらえるのだという。

 東北電力の株主総会が6月28日に開かれ、その報告があった。脱原発東北電力株主の会が提案した「東北電力が所有する原発を再稼働させず、廃炉作業を開始する」、「原発で発生させた放射性物質を、原発の敷地内で厳重に管理する」、「核燃料再処理事業への投資を行なわない」、「高速増殖炉開発から撤退する」、「原発の事故に対して全責任を負う」という5項目は、残念ながらすべて否決された。そのうえ、「脱原発派に発言させるな」という主張までなされるようなきわめて悪意ある雰囲気の総会だったという。
 東北電力の大株主である仙台市も、5項目提案に反対した。現在、大阪府や京都府などの自治体は電力会社の株主総会で将来的な脱原発依存を主張していることなどを考えると、福島の事故があっても市民や県民を原発事故の危険から守る意思を示さない宮城県や仙台市の態度は極めて問題があると強い批判がなされた。
 また、原子力推進は右上がりの経済発展幻想に支えられているが、いまやいかなる経済先進国にあってもかつてのような経済発展はありえず、あっても現状維持、持続可能な経済を求めるしかない時代になっている。このような時代に強引に経済発展を望めば、中国のような深刻な公害を引き起こすか、日本のような原発事故に結びつくような経済運営になってしまう危険を訴えるスピーチもあった。

 福島県と県境を接している丸森町での甲状腺検査の結果についての報告もあった。福島事故当時18歳以下だった対象者2323人のうち1982人が受診した2012年3月~2013年1月の検診では甲状腺がんやその疑いと診断された子供は1人もいなかったのだが、2015年7月~2016年4月にかけておこなわれた2回目の甲状腺エコー検査では1564人の受診者のうち2人が甲状腺がん及び疑いと診断されたという。
 甲状腺がんの発生割合から言えば、172人の甲状腺がんの発生をみた福島県の事例に匹敵するが、丸森町は「原発事故が原因かどうかははっきりしない。今後の動向を見たい」と結果を深刻にとらえているということだった。この検査は、丸森町が独自に行っている事業で、宮城県の他の自治体では行われていまい。全県で行う必要があるのでないかという報告だった。

nnk170-5

nnk170-6

nnk170-7

nnk170-8

nnk170-9
表小路から一番町へ。(2016/7/1 19:12~18)

 今年は7月に入ってから夏時間デモ(午後6時半集合、7時デモ出発)になったので、集会が終わるころからデモ終了くらいまでの間に仙台は次第に日暮れていくのである。 夕焼け空を期待したが、青空のまましだいに暮れていくばかりだった。

nnk170-10

nnk170-11

nnk170-12
一番町(定禅寺通り~広瀬通り)。(2016/7/1 19:19~23)

nnk170-13

nnk170-14
広瀬通りを渡る。(2016/7/1 19:27、28)

 今、エンツォ・トラヴェルソの『全体主義』という本を読んでいる。新書版の本を図書館の書架で見つけ、フランスで全体主義に関するアンソロジーが刊行されたときの序文で、全体主義に関する議論のまとめのような本らしいことで借り出した。
 「全体主義」という言葉は、多くの場合、共産主義国家を批判する際に多用されて来て、アベ首相の「サヨク」という言葉と同様に、「全体主義」と批判することで共産主義国家の歴史的、政治学的問題には一切踏み込むことなく思考停止してしまう役割を担わされた言葉でもある。
 全体主義と括られる政治システムには、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシアのスターリニズムがあって、その特質は必ずしも同じではない。アベ自公政権の現在の日本が直面しているのはファシズムだという人もいれば、ナチズムのやり方にそっくりだという人もいる。私には、民主主義を経験したことのない極東アジアの後進国特有の独裁制のようにも見えて、全体主義の括りから外れている部分もあるように思う。宮台真司のいう「田吾作」、大塚英志の言う「土人」
[1] 国ということだ。
 今度の参議院、続く解散総選挙で現在の政権に勝たせたら、いつかの将来、アビズム(あるいはエイビズム)の(abe-ism:abism)の全体主義における位置づけ」だとか「アビズムとナチズムの差異」などという論考が政治学や歴史学の主題としてもてはやされるかもしれない(日本国民の大いなる犠牲の上にだが)。
 いや、冗談を言っているわけではない。

nnk170-15

nnk170-16

nnk170-17

nnk170-18
一番町(広瀬通りから青葉通りへ)。(2016/7/1 19:29~35)

 選挙応援のボランティア活動が忙しくなって金デモに参加できない常連もいる。それでも40人が集まった。40人というのは毎回確保できるギリギリの参加人数である。
 なにかブレークスルーがあって、デモ参加者がどっと増えないかなあと思うのだが、とくにアイデアがあるわけではない。こんな時こそ知恵が出せればいいのだが、年寄りに知恵がないからこそこんな状態なのである。
 ブレークスルーは、いつでも若い人とやってくる。そう信じて、若い人たちに任せて、私はひたすらデモの後をついていくばかりである。

nnk170-19

nnk170-20
青葉通り。(2016/7/1 19:40、43)

 青葉通りまで来るとすっかり夜である。明から暗へ遷移していく時間帯をたっぷり使うデモは、とても贅沢である。日暮れ時、人を思い、街を思い、国を思ってゆったりと過ごせればどんなにかいいだろう。そんな時間を許したくないらしいこの国の政治家たちにこんな詩句を。

何も約束してくれないモラリストの方がよい
信じやすく 騙されやすい善よりは 抜けめのない善の方が好き
軍服だの制服だのはない国の方がよい
侵略する国よりは 侵略された祖国の方が好き
常に疑問を抱いていたい
整然とした地獄よりは 混沌とした地獄の方がましと思っている
新聞の第一面よりは グリム童話の方が好き
葉のない花よりは 花のない葉の方を好む
尻尾をちょん切られた犬よりも 尻尾のある犬を好む

           ヴィスヴァ・シンボルスカ「可能性」 部分 [1]

 信じやすく、騙されやすい犬、尻尾を切られた犬にはなりたくない。あいつらに尻尾を振るのは嫌だが、尻尾を振ってあの人には親愛の情だけは伝えたい。尻尾を切られてたまるか。

[1] 大塚英志、宮台真司 『愚民社会』 (太田出版、2012年)
[2] ヴィスヴァ・シンボルスカ(つかだみちこ編訳)「世界現代詩文庫29 シンボルスカ詩集」(土曜美術社出版販売1999年)p.93。

 

 

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

 
小野寺秀也のホームページ
ブリコラージュ@川内川前叢茅辺






Last updated  2017.04.08 20:45:01
コメント(6) | コメントを書く

Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.