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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2016.08.12
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テーマ:街歩き(511)
カテゴリ:街歩き

 伊方原発が再稼働された。「狂気の沙汰だ」とか「正気の沙汰ではない」と言う友人や知人の声が聞こえてくる。私も「狂気の沙汰だ」と思う。この自公政権や電力会社の再稼働の決断、それを歓迎する地方政治家の「狂気」は何に支えられているのか。
 60年以上も前に、この地球には「核アポカリプス不感症」が蔓延している、とギュンター・アンダースが喝破している。ヒロシマ、ナガサキにそれぞれウラニウム型原爆、プルトニウム型原爆が落とされ、ビキニ環礁で水爆実験が行われた後の人類の話である。まだ読み終えていないが、そういうことが『脱原発の哲学』
[1]に書かれていた。
 私たちが生き死にする世界、つまり生化学的な生存環境の次元とはまったく異なる物理的レベルで生じる原子核分裂を利用した軍事技術の対象はまちがえようもなく人間であるが、その技術水準は人類殲滅の段階に達してしまっている。しかし、それを現実世界で目の当たりにしても、私たちは黙示録的な世界の終焉を想像することができない。それが「アポカリプス不感症」である。
 ヨハネの黙示録に示された神の目的としての世界観は私たちにはなかなか馴染めないが、『脱原発の哲学』の著者ら(佐藤嘉幸、田口卓臣)は「核カタストロフィ不感症」という言葉も用いている。
 世界の政治権力が「原子力の平和利用」と言い換えても、原子力発電は技術水準としては原爆とほとんど変わらない。スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマで起きたことは、原発の事故が原爆の人類殲滅への道とまったく変わらないことを示している。あと2、3か所で原発事故が起きたら、おそらく日本列島に人間は住めなくなってしまう。理としては、誰でもそんなことはわかる。しかし、リアルな未来の現実として想像することができないのだ。
 それでも原発を止められない人たちがいる。想像力がないのではない。想像することを拒否する「病」に侵されている。その病名を「核アポカリプス不感症」あるいは「核カタストロフィ不感症」と呼び、それが亢進すると「川内原発再稼働」、「伊方原発再稼働」という狂気として発症するのである。

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集会@錦町公園。(2016/8/12 18:40~18:57)

 仙台人は、「七夕を過ぎれば秋風が吹く」とか「暑さも盆までだ」とかよく口にする。そのとおりに、日中は暑いが朝晩はめっきり涼しくなった。朝の5時ころ、Tシャツ一枚で犬と散歩に出かけると風邪をひくのではないかと思うほど涼しい。
 夕方の冷え込みはどうだろうと心配しながら家を出るが、じっさいは歩いていれば汗ばむのである。

 さすがに今日は伊方原発再稼働の話で主催者挨拶は始まった。原子力規制委員会は安全を保証せず、事故時の避難路も避難方法も吟味しないまま、ほぼ中央構造線の上に位置する伊方原発は再稼働したのである。政権と電力会社のつまらない都合が国民(とくに愛媛県民)の重大な不都合を押しつぶそうというのである。愛媛県知事は「福島と同じことが起きることはない」と念仏のように唱えるばかりである。「核アポカリプス不感症」どころかフクシマがまったく見えていないのである。
 福島から参加した人は、フクシマを忘れたかのような伊方原発再稼働にいたたまれずやって来たと語り、伊方原発ではMOX燃料が使用される危険性や日本が原発を止めるためには障壁となっている日米原子力協定をどうにかしなければというスピーチが続いた。

 また、スペインから里帰りされた一家が家族4人で参加され、スペイン語で話され、日本語へ翻訳するという形でご夫婦がスピーチされた。フクシマの後でも原発を止めない日本の不思議やスペインの原発の老朽化の問題を話されたが、スペイン政府が太陽光発電を進めるために補助金制度を作ろうとしたものの電力会社の強烈な反対で頓挫したという報告は印象的だった。
 資本主義国家における政治権力は資本そのものに従属しているという見本のような話で、安倍首相が川内原発の再稼働をかなり早い時期に九州電力の社長に約束していたという報道を思い出した。電力資本の使いっ走りが自公政権の生命線であるかのようだ。

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錦町公園から定禅寺通りへ。(2016/8/12 19:05~19:17)

 デモに出発するころにはすっかり暗くなっている。暗闇の中でデモの列は並び終え、暗闇の中で大きなコールが上がり、暗闇の中で動き出す。
 しょっちゅうカメラを覗き込む身には、暗さばかりが気になるのである。暗いし、人は動くし、写真を撮る条件はすごく悪い。「ええじゃないか」コールの時は踊り出す人までいて、こちらとしては「写らなくても、ええじゃないか」という気分でシャッターを押すのである。

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一番町に入る。(2016/8/12 19:20~19:23)

 今日の参加者は40人とあまり多くはない。盆の休みに入って出かけてしまった人もいるのだろう。私も今日は祖母、両親、兄二人が埋葬されている生まれ故郷まで墓参に出かけた。
 ヘルパーさんが義母の世話をしてくれる日でないと、妻と二人で出かけられない。盆の前だが今日しか時間が取れなかったのだ。故郷はとても近いので、日帰りであっという間に帰って来た。
 妻と一緒に食べる外食はしばらくぶりだったが、とても不味い鮨を食べて二人で文句を言いながらの戻り道、口直しと称して食べたもろもろが運転中もあまりこなれず閉口した。どうもそれが悪かったらしく、デモが一番町に入った頃に少しおなかが痛くなった(すぐに収まったものの)。

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広瀬通りの信号待ち。(2016/8/12 19:27)

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青葉通り。(2016/8/12 19:39、19:49)

 どのような悲惨な歴史があったにせよ、確かに、人類は人類が生き延びられる条件が満たされた世界でのみ生きてきた。そのような人間たちが世界の終末を想像することは非常に困難だろう。黙示録に示された神の意思を理解することも難しい。
 しかし、人間は人間が生み出した科学技術がもたらす世界なら想像できるのだろうか。ギュンター・アンダースが言おうとしたことは、人間には人間自身の技術でありながらその結果を想像できない技術があり、原爆はそのような技術そのものである、ということだろう。『脱原発の哲学』には、原爆と原発が全く同等のものだということが詳説されている。
 人間を盲目にさせるもう一つの重要な要素は、その人間が帰属する階層(階級、クラス)の利害であろう。『脱原発の哲学』に次のような一文がある。

〔……〕チェルノブイリ原発事故の影響については様々な評価があるが、IAEAなどからなるチェルノブイリ・フォ—ラムは、チェルノブイリ原発事故の被害を受けた三ヵ国(ベラルーシ、ロシア、ウクライナ)のうち、比較的被曝量の多い六〇万人を対象として、ガン死者数を約四〇〇〇人と評価している。また、グリーンピースは全世界を対象に、ガン死者数を九万三〇八〇人と評価している。さらに、ニューヨーク科学学会は、全世界の五〇〇〇以上の論文と現地調査を基に、ガン以外も含めた多様な死因による死者数を九八万五〇〇〇人と評価している。 (p. 34)

 IAEA(国際原子力機関)はもともと原発を推進する国々の政府からなる機関であるが、それにしても原発事故による死者数の違いに驚くほかはない。原発を推進しようとする権力イデオロギーにとっては実際に起きた(起きつつある)原発事故の死者の姿も見えないのである。
 そういえば、福島事故に際して「死者は一人もいない」とその盲目ぶりを恥ずかしげもなく顕示した自公政権の閣僚もいる。無知(イデオロギー的盲目)が再稼働の狂気を煽っている図だ。

[1] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)。

 

 

 

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Last updated  2017.03.19 17:28:41
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