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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.11.27
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き
 二日ほど前には、蓮鉢にも睡蓮鉢にもうっすらと氷が張っていた。少し前まで花が咲いていたダリアもサンパチエンスも一挙に緑を失って無残な姿になっている。ダリアもカンナも掘りあげるのだが、それは12月に入ってからだ。
 予定表では10月が忙しくて、11月は暇なはずだったが、そんな気分も味わえないままもう11月も終わろうとしている。12月の予定表も少しずつ詰まり初めていて、心が落ち着かない。「何もない老後」という理想はどこへ行ったのだ。
 第4日曜日はいつものことだが、昼食を作ってテーブルに並べ、私一人が先に食べる。妻が教会から帰ってきて家族の昼食が始まるころ、私は家を出てデモに向かうのである。











元鍛冶丁公園。(2016/11/27 14:06~14:29)

 今日の集会時間は、女子駅伝が市街中心部のコースに入ってくる時間帯と重なり、上空をヘリコプターが旋回している。その爆音で集会の前半のスピーチはほとんど聞きとることができなかった。
 主催者挨拶は、おそらくは政府ばかりではなく社会全般がもつ福島事故の自主避難者に対する差別やいじめの問題に触れられたのではないかと思う。聞き取れなかった内容は紹介できないので、関連する話題を記しておくことにする。
 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは今年初めにジュネーブで開催された第31会期人権理事会に「福島・原発事故後、日本政府による被災者の基本的人権の継続的侵害に関する声明」を提出した。声明文は英語だが、次のような提案をしている。
 (1)2015年の避難地域の解除の見直し、(2)非指定地域からの避難者への住宅援助停止決定の見直し、(3)すべての避難者を国内難民として保護し、住居、健康、環境、家族に関する権利を保障するための経済的、物質的援助を行うこと、(4)最も被害を受けやすい人々を守るための避難地域や線量限度に関する国家プランを策定し、被ばくを1mSv/y以下にすること、(5) 1mSv/y以上の地域からの避難、滞在、帰還する人々への移住、住居、雇用、教育、その他の必要な援助のための資金を提供すること、(6)健康調査政策を見直し、1mSv/y以上の地域に住む人々にたいする包括的かつ長期的な健康診断を行うこと、(7)福島事故被害者に対する効果的な相談業務を行うこと。
 つまり、こうした至極当然な提案がなされる背景には、被害者の人権にかかわるきわめて基本的な政策を政府は行っていないということだ。国策としての原子力政策であるがゆえに東京電力への援助は手厚い。であれば、国策の被害者にたいしても手厚くするのが筋だと思うが、現実はまったく非対称である。もう誰でも気づいているにちがいないが、この国にとって大事なのは国民ではないのである。

 その国家のありようを示すもう一つの話題として、原子力ロビーである電気事業連合会(電事連)が自民党に7億6千万円の政治献金を行ったということが紹介された。電力9社は電事連を通じて(隠れ蓑として)自民党へ献金をしているわけで、東電と事故被害者に対する政府の手当ての非対称もそこから由来している。「金め」に象徴される政治というのが自民党や公明党のめざす政治なのである。

 次もほとんど聞き取れなかったスピーチだが、切れ切れの言葉から独協医科大学の木村真三准教授が二本松市で行っている放射線に関する出前授業の話題が紹介されたようだ。私が知っている範囲内で言えば、木村先生は二本松市教育委員会とのコラボで、小中学校の多くの先生の協力のもとに放射線学習の副読本を作成し、市内の小学校の各学年で年2回の放射線授業を行っているということである。
 こうした放射線教育が普及することはとても大事なのだが、当然のように、ひたすら放射線は危険ではないとする勢力が蔓延しているので、ことはそれほど簡単ではない。

 四つの告知があった。
 「原発のない東北の復興を考える」ことを主題とする『市民による女川原発の再稼働を問うシンポジウム』は、2017年1月29日(日)13:00~16:30、仙台国際センター大ホールで開催される。
 8,000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物の焼却問題に関する講演会が12月11日(日)14:00から仙台弁護士会館4階大会議室で行われる(講師は、宮古市の岩見億丈先生)。
 みやぎ脱原発・風の会主催の公開学習会『女川原発申請書等を“ぶっとばして”見ようぜ!!』は、12月17日(土)18:30~20:30に戦災復興会館4F研修室で開催される(講師は「仙台原子力問題研究グループの石川徳春さん」。
 来年1月13日~18日に仙台メディアテーク6階で「東北書道新春選抜展」が開催されることも、反原発を主題とした作品を出品する予定の書道家から告知された。

 また、11月いっぱいで京都に移られるという人の挨拶があった。正しい情報はテレビや新聞などでは得られにくいこともあって、集会やデモに出て得られる情報がとても貴重だった。200回記念デモで200人以上の参加があったように、いつでも多くの人が参加されて重要な情報をこのような場で得られるようになってほしいと話された。

 最後に、仕事で飯館に行くように言われている人が「除染等放射線電離検査」なる健康診断を受けさせられたが、これはどういうものかという質問があった。私も初めて聞く言葉だった。
 帰宅後にネットで調べたら、福島事故の後で急いで発せられた厚生労働省令によって「東日本大震災により生じた放射性物質により汚染された土壌等を除染するための業務に係る電離放射線障害防止規則」に定められた健康診断で、正確には「除染等電離放射線健康診断」という。
 除染等の業務に常時従事する労働者に対して、雇入れ時、当該業務に配置替え時、その後6か月以内ごとに1回、定期に、(1)被ばく歴の有無の調査及びその評価、(2)白血球数及び白血球百分率の検査、(3)赤血球数の検査及び血色素量又はヘマトクリット値の検査、(4)白内障に関する眼の検査、(5)皮膚の検査について医師による健康診断を行わなければならない、と定められている。
 従来は、放射線管理区域に放射線作業従事者として立ち入る者に対する健康診断であるが、福島の汚染地区を管理区域と定めないままに除染作業をさせるために策定されたものだ。管理区域と定めると作業従事者しか立ち入ることができなくなり、それ以外の人間はすべて区域外に居住しなければならなくなる。政府が進めている帰還計画など問題外ということになってしまう。
 いわば、現状をしのぐための泥縄の法令ではあるが、そこで働く人間にとっては将来の放射線障害に対する予防と保障のためには絶対に欠かすことのできない健康診断である。これと、労働期間中の被ばく線量や身体汚染の正確な記録は不可欠である。






元鍛冶丁公園から一番町へ。(2016/11/27 14:35~14:38)

 朝からずっと暗い曇り空だったが、集会中にポツポツと落ちだした。それでも、傘を出すほどではない。
 集会の中ごろからヘリコプターの音もほとんど聞こえなくなり、元鍛冶丁公園をデモが出発するときにはコールの声が周囲の雑音を圧倒するようになっていた。
 日曜日の昼デモはいつも参加者が少ない。今日は30人である。カメラのフレームのなかに旗や横断幕がきれいに収まるのも意外にいいものだ。









一番町。(2016/11/27 14:41~14:52)

 デモ参加者が少なかったのは雨模様のために外出を控えたせいかと思っていたが、一番町はいつも以上に人であふれているように思えた。こちらの人数が少ないための相対的な感じ方なのかもしれないが。
 いつもより少ない人数でいつもより大勢にアピールする。今日のデモのコスパはとてもいいということだろう。

 
 






青葉通り。(2016/11/27 15:00~15:05)

 これだけ悪政が続くのになぜ自公政権の支持者が多いのかという話題はネットに溢れている。ボエシの『自発的隷従論』では、500年近く前の大衆も自発的に権力者に隷従するのだと書かれていた。その本を読んだときに、たいして根拠もなしに思ったのは、国家あるいは前国家的共同体を形成する時にはすでに共同体成員に隷従的心理が発生していたのではないか、集団(共同体)の国家化が隷従の機制そのものではないかということだった。
 その後、考えは何も進んではいないが、昨夜の第二書斎(風呂場)で湯につかりながら開いていた本はマックス・ホルクハイマーの『理性の腐食』だった。開いていたページにこんなことが書かれていた。


現存の諸条件が平均的人間の生活に与える衝撃の結果は、先に述べた服従的な型の人間が圧倒的に支配的になってきているという点に現われている。幼時期以来、個人は、この世でやって行くにはただ一つの仕方、すなわち究極的な自己実現の希望を放棄するしかないのだと感じている。この生き方を、個人は、模倣によってのみ身につけることができる。かれは、自己をとりまくものを近くするときに、意識的にばかりでなく全存在をかけて一致しようとする。それも、かれが巻き込まれている集団のすべて、すなわち、遊び仲間、級友、運動、チームその他によって表現される特徴や行動様式を、競って模做することによってである。それらは、すでに指摘したようにより一層厳しい服従、完全な一様化によるより一層根底的な屈服を一九世紀の父親や教師が強要しえた以上に強制するのである。あるいは自己を取り囲むものに呼応し、それを反覆、模倣することによって、あるいは自己が究極的に属する強力な集団のすべてに適応することによって、また人間から組織の一員に変身することによって、さらには組織に服従し、そのなかで影響力をもつために自己の可能性を犠牲にすることによって、個人はなんとか生きのびるのである。
 [1]

 翌日の未明(つまり、今朝)、第一書斎(居間)で読んでいたのは、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』である。たまたま、この2冊を並行して読んでいるが、どちらも書かれた時期は70年近く前で、いまや古典と呼ぶべき本である。
 そして、今朝開いたフロム本のページには、ホルクハイマーの文章に呼応するように次のような文章があった。


ドイツやその他ヨーロッパ諸国の、下層中産階級の大部分には、このサド・マゾヒズム的性格が典型的にみられる。のちにくわしく示すであろうが、ナチのイデオロギーがもっとも強く訴えたのは、まさしくこの種の性格構造であった。この「サド・マゾヒズム的」という言葉は、倒錯と神経症という観念と結びついているから、ことに神経症的ではなくて正常な人間をさすばあいには、私はサド・マゾヒズム的性格という言葉を使うかわりに、「権威主義的性格」と呼ぶことにしたい。この用語の使いかたは、サド・マゾヒズム的人間の特徴は、権威にたいする態度にあらわれるものであるから、正当であると考えられる。かれは権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと頼っている。さらにこの言葉を使うもう一つの理由がある。ファッショ的組織は、権威が社会的政治的構造において支配的な役割を果しているという理由で、みずから権威主義的とよんでいる。それで「権威主義的性格」という言葉で、ファッシズムの人間的基礎となるようなパースナリティの構造を代表させたいと考えるのである。 [2]

権威主義的性格の人生にたいする態度やかれの全哲学は、かれが感情的に追求するものによって決定される。権威主義的性格は、人間の自由を束縛するものを愛する。かれは宿命に服従することを好む。宿命がなにを意昧するかは、かれの社会的位置によって左右される。兵士にとっては、それはかれが進んで服従する上官の意志や鞭を意味する。小商人にとっては、経済的法則がかれの宿命である。かれにとっては、危機や繁栄は、人間の行動によって変更できる社会現象ではなくて、人間が服従しなければならない、優越した力のあらわれである。ピラミッドの頂上にいるものにとっても、それは根本的に同じことである。ちがっているのは、ただ人間が服従する力の大きさや一般性であって、依存感情そのものではない。 [3]

 ホルクハイマーは批判的な哲学史の語りから、フロムは資本主義段階における社会心理学的な立場からの論だが、ともに権力への服従へと流れていく大衆のありようを述べている。
 フロムの「サド・マゾヒズム的性格」が描いて見せる人間像は、まるっきりネトウヨそのものに見える。安倍政権誕生以来、画然と存在が露わになり始めたネトウヨ集団は、一方で政治権力にべったりとしがみつき、一方でナショナル・マイノリティやポリティカル・マイノリティに向けて薄汚いヘイト言説を投げ続けている。現代日本には、「サド・マゾヒズム的倒錯」があふれている。
 二人の先哲が指し示す大衆的人間の「隷従論」に暗然たる思いがする。啓蒙などということがいかに困難で、擬制に満ちている思想だということがよくわかる。そして、自分の中に生まれる隷従心理に多くの人々が悩まされてきたに違いないが、この先にしか道はないのも確かなことだ。


声なきはひとつの罪と責められて耐へにきのちも声なきわれら
                  板宮清治 [4]

ポケットに手套なき手をひそませて争ひ勝たん意思育てをり 
                  島田修二 [5]

隷属の街といふともかなしきに不逞なる貧のまばたきをせり 
                  坪野哲久 [6]


[1] マックス・ホルクハイマー(山口祐弘訳)『理性の腐食』(せりか書房、1987年)pp. 169-70。
[2] エーリッヒ・フロム(日高六郎訳)『自由からの逃走』(東京創元社、昭和26年)pp. 181-2。
[3] 同上、p. 188。
[4] 板宮清治「歌集 麦の花」『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年) p. 296。
[5] 島田修二「歌集 花火の星」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 101。
[6] 坪野哲久「歌集 北の人」『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年) p. 387。

 

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