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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.12.23
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テーマ:街歩き(515)
カテゴリ:街歩き

 先週の金デモの日(12月16日)に、司会者から脱原発犬チョモランマさんへの病気見舞いの報告があって、目を開けられないほどに重篤だったことを知った。その翌日、チョモさんが亡くなったとの知らせがあった。
 飼い主さんへ届ける言葉も見つからないまま、チョモさんのメモリアルアルバムを作ろうと思い立った。亡くなった直後にチョモさんの写真を見るのは飼い主さんには辛いことかもしれないという躊躇もあったが、なにか手作業のようなことに没頭したかったということもある。
 2012年夏から始まった金デモは200回を超え、私が参加した192回分の写真からチョモさんが写っている71枚を選び出し、RAWファイルがあるものはそのまま画像調整し、JPEGしかないものはPhotoShopで調整した。その作業に半日ほど費やし、「〈脱原発犬・チョモランマ〉メモリアルアルバム」をフェィスブックに載せた。

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  チョモさんはなかなかカメラ目線をくれない犬だった。もっとも印象的だったのは、後肢が不調だったチョモさんがデモの途中から飼い主さん手製のキャリーに乗せられたときに見せてくれた視線だった。照れくさかったか、恥ずかしかったのか、それとも写真なんか撮るなと言いたかったのか………。 安らかに、チョモさん!

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元鍛冶丁公園。(2016/12/23 14:12~14:26)

 「赤鼻のトナカイ」の替え歌の脱原発ソングの練習が終わって、集会が始まった。主催者挨拶は、政府のもんじゅ廃炉の決定とその決定に強い不満を表明した福井県知事の話題から始まった。
 福井県は「原発銀座」と呼ばれるほど多くの原発を抱え、地方自治そのものが原発のもたらす経済に強く依存してしまっていて、地方行政・政治的判断が著しく歪められてしまっている。宮城県の県知事選挙は来年に迫っているが、せめて最低限の「賢明な選択」をしませんか、と話を括られた。

 「これは、私が作った歌ではありませんが……」と言って、シンガーソングライターの苫米地サトロさんが武満徹作詞作曲の「小さな空」という曲を歌ってくれた。親しみやすいメロディで、少しばかり切ない歌だった

青空見たら 綿のような雲が
悲しみをのせて 飛んでいった
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした

 これは「小さな空」の1番の歌詞だが、この歌の悲しさに応えるように、カトリック元寺小路教会で行われた渡辺清さんの追悼ミサのことを「仙台正義と平和協議会」の人が語られた。
 「脱原発みやぎ金曜デモ」の立ち上げに深くかかわり、デモを牽引してきた渡辺さんを偲びながら、彼の想いを引き継いで金デモに参加していきたいと決意の表明でもあった。
 渡辺さんの話題に触れつつ、司会者からチョモランマさんが亡くなったことも参加者に報告された。

 12月21日に開かれた8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物の焼却問題についての仙台市環境局との意見交換会の報告もなされた。90名の仙台市民ばかりではなく、多賀城市や焼却灰を廃棄する富谷市からの出席もあった。3・11前とまったく同じ方法で消却することの問題性や、多賀城市での交渉で環境省の役人そのものが焼却問題を本省に持ち帰ると言ったことなどが紹介された。汚染廃棄物の焼却については政府・行政の側も問題の本質を理解できないままに強引に推し進めようとしているのだ。
 12月26日には反対の署名簿を宮城県に提出する予定であること、翌27日には市町村会が開かれ宮城県から再度焼却の要請がなされる予定で、市町村会に向けて何らかの抗議行動を立ち上げるべく検討中であることが報告された。
 主催者から、今後、各市町村の焼却場やその周囲の住民へと話が落とされていくだろうが、その各々の現場での反対の意思表示、抗議がとても重要になるだろうと付け加えられた。

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元鍛冶町通りから一番町へ。(2016/12/23 14:36~14:42)

 しだいに暮れも押し詰まってきて、クリスマス・イブ・イブの今日も街はほんとうに賑わっている。スチル写真の他に、ときどき動画も写しているのだが、動画をとるのが難しい。賑わっている街では一般の通行人が写し込まれてしまうのだ。
 スチル写真は切り取りもボカシも自在だが、私のソフトでは動画にそんな処理ができない。通行人の顔がわかるような場面そのものをカットするしかないのだ。

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一番町(広瀬通りから青葉通りへ)。 (2016/12/23 14:43~14:49)

 人生を一緒に生きた動物たちの死はほんとうに辛い。兄や姉が家を出て行って母と二人きりの生活になった小学2年の頃、母が子猫を貰って来た。「ニコ」と名付けられた子猫は半年後に家に戻らなくなり、原っぱで野球をしていた私が見失ったボールを探していたとき草叢のなかに横たわる死骸を見つけた。
 中学2年のとき、姉の嫁ぎ先から黒い犬を貰って来た。そのまんま「クロ」と名付けられた牡犬は、私が結婚した翌年に亡くなった。
 息子が小学5年、娘が3年のときから17年間「ホシ」という雑種犬と暮らした。腰骨にがんができたホシは最後の4年間は完全介護が必要だった。一週間、毎日のように病院に通ってからブラジルでの国際会議に旅立った翌々日にホシは息を引きとった。リオデジャネイロの一泊目の夜、ホシの夢を見たが怖くて電話などできなかった。
 いま、16歳になった「イオ」という老犬と暮らしている。いずれ、別れがやってくることの覚悟を迫られている日々である。
 どこかで読んだ小学1年生の詩に「犬は悪い目はしない」というのがあった。たしかに、一緒に暮らしたどの犬も私を非難するような眼をしたことはなかった。ただ、こんなことは何度もあった。

犬は迷っている。お前には
持続のにおいがしない。

    ヒルデ・ドミーン「軽い荷を持って」から [1]

 犬は、迷ったり悲しんだりすることで私を批判して(そして、励ましてくれて)いたのかもしれない。

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青葉通り。 (2016/12/23 14:52~14:58)

夕空見たら 教会の窓の
ステンドグラスが 真っ赤に燃えてた
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした

 これはサトロさんがうたった「小さな空」の2番の歌詞である。この歌をユーチューブで聴きながらブログを書いているのだが、この辺りで急に涙が止まらなくなった。「いたずらが過ぎて叱られて泣いたこどもの頃」からこの年になるまで、私はずっと泣き虫のままだったのだ。

人が死ぬのに
空は あんなに美しくてもよかったのだろうか

燃えてゐた 雲までが 炎あげて
あんな大きな夕焼け みたことはなかった

    吉原幸子「幼年連禱三 VII呪ひ」から [2] 

 こんな年になったのだから、私を叱った人間たちとの別れもあった。4歳ころのとき祖母と別れた。母親に追いすがって泣く私を抱き上げる祖母、というのが唯一の祖母の記憶である。

 結婚する一か月前に父が亡くなった。それから34年後に母が102歳で逝った。母の死の翌年に15歳上の次兄が、4年後に17歳上の長兄が、8年後に9歳上の次姉が亡くなった。
 次姉は大阪で亡くなったが、残った長姉も三兄も老い過ぎて私だけが葬儀に参列した。6人兄弟の年の離れた末っ子としてみんなを送る覚悟はしていたが、次姉の葬儀の時にはその覚悟が揺らいでしまった。そんな運命を恨めしく思ったのである。
 不思議なことに、犬が死んだ時より肉親が死んだときの方が悲しみは激しくはなかった。人間には生きた証としての雑多なものが付随するが、犬は純粋に犬の死を死ぬだけなのだ。

 16歳になった犬のイオのことばかりではない。一緒に暮らしている112歳の義母も今年は救急入院が3回もあった。年齢が年齢だけに何が起きてもおかしくはないと医者が大事をとるせいもあるが、毎日が緊張する日々である。
 「死」はいつも私たちの身近にあるのだ(私の死もまた)。

いつの日も生まれるに良き日であり、いつの日も死に逝くに良き日である。
           アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ [3]

 

[1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.125。
[2] 「現代詩文庫56 吉原幸子詩集」(思潮社 1973年)p.37。
[3] ハンナ・アレントによる引用(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリはローマ教皇ヨハネス二三世である)。ハンナ・アレント(阿部齊訳)「暗い時代の人々」(筑摩書房 2005年)p.113 (原典:Jean XXIII, “Discorsi, Messagi, Colloqui, vol. V, (Rome, 1964) p.310)。

 

 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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